2017年3月23日 (木)

ヨーロッパ文明の礎、燦然たるギリシャの歴史

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先日「パトラのカーニバルと神々の国ギリシャ周遊9日間」の添乗より帰国致しました。まだ日本が冬の装いの中、今回2月下旬に訪れたギリシャでは日中20度程になり、春のような心地よい風を感じながらの旅となりました。春を告げるカーニバルがギリシャ第三の都市パトラで開かれ賑やかなパレードも見学。パトラ市民による百人単位のグループが数百組出場!それぞれ手作りの衣装に身を包み、街を練り歩きます。地元の人々の明るい笑顔は、こちらまで楽しい気分にさせてくれ、この時期ならではの旅の良いスパイスとなりました。

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今回の旅は、古代ギリシャ遺跡の数々、ギリシャ正教会そしてカーニアバルと盛りだくさんでした。中でも、古代ギリシャの遺跡群には訪れる度に驚かされます。ヨーロッパ文明発祥の地ギリシャ。今から4000年も前に起こったミノア文明を吸収し、ぺロポネソス半島でミケーネ文明が栄えたのが約3500年前。ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」や「イリアス」にも登場するトロイア戦争の時代です。紀元前8世紀頃にはアテネやスパルタをはじめとし、各地にポリス(都市国家)が形成され、繁栄の時を迎えます。各遺跡、訪れた都市の歴史や神話を知るたびに、他のヨーロッパでの繋がり、各地に及ぼした影響を再認識しました。それは、建築様式であったり、絵画の題材であったりと様々な場面で多かれ少なかれ古代ギリシャの中で見ることができます。今更ながら、大感激。次に、どこか他のヨーロッパの国を訪れたら、きっと再びギリシャの事を自然と思い出すでしょう。(帯津)

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2017年3月22日 (水)

マヤ文明を極める旅 ~肌で感じるホンジュラス~

神聖文字の階段/コパン遺跡

   先日、「古代マヤ文明を徹底的に極める旅 15日間」の添乗から帰国しました。今回はマヤを“極める”と題しまして、中米4か国に点在する遺跡を訪ねました。苔むした未開の遺跡、乾いた大地に突如現れる遺跡、密林の奥に眠る遺跡。個性ある遺跡巡りは15日でも足りないほどです。
 中でも今回ご紹介したいのは、ホンジュラスを代表するコパン遺跡です。グアテマラとホンジュラスの国境地帯で5~9世紀前半に栄えたこの都市は、8世紀に通称“18うさぎ王”のもとで最盛期を迎えますが、この時代に従属都市であったキリグアに攻撃され、王が斬首されるというドラマチックな歴史があります。また、歴代の16人の王が刻まれた祭壇や、2500ものマヤ文字が書かれ、マヤ文字の解読に一役買った神聖文字の階段が発見されるなど、マヤ文化史においても欠かせない遺跡でもあります。観光中も、「偉大な王なのに、なぜうさぎなんて小さな生き物の名前がついているのか」などお客様の議論も盛り上がりました。(ちなみにガイドさんによると、これは生まれて初めて見た生き物が守護動物になる、というマヤの考え方に沿って名前を付けたのではないかとのことでした。)

カラフルなコパンの町並み グアテマラからは特別出国スタンプ1つで行けるため日帰りの外国人観光客が多いコパンですが、日本からの観光客は非常に少ないのが現状です。というのも、ホンジュラスは数年来、外務省の渡航危険情報が周辺国に比べ高いままだからです。しかし、今回訪れたコパン遺跡や観光拠点となるコパン・デ・ルイナスの町の雰囲気は穏やかそのもの。陽光降り注ぐカラフルな町並み、広場で歌う人々、果物売りのお母さんの笑顔。行ってみてわかる、人のあたたかさがあります。もちろんユーラシア旅行社では、ツーリストポリスに同行を依頼し、万全を期しています。観光中も、レストランまでの移動中もそっと私たちを見守ってくれます。昼食中もずっとレストランの外に立っているという生真面目さ!(余談ですがホンジュラスの人は非常にまじめで、移民大国アメリカでも真面目で温厚な国民性は働き手として好まれるそうです。)

 今回私たちが訪れたのはコパンだけですが、このような人々に触れるにつけ、いつかもっと多くの日本人がホンジュラスという国を訪れる日が来ることを願っています。(松永華)

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2017年3月21日 (火)

年にたった2回の奇跡。~アブシンベルの朝日~

エジプト、アブシンベル神殿

「ナイル河クルーズと悠久のエジプト 9日間」から帰国しました。この出発日はエジプトでは“奇跡”と呼ばれるある現象が起こる特別な日に、アブシンベル神殿を訪れます。
2月22日。その名も「ラムセスデー」。太陽の光が神殿の一番奥にある至聖所まで届き、至聖所に並ぶ神々の像を照らすのです。至聖所には、左からプタハ神、アメン・ラー神、神格化されたラムセス2世、ラー・ハラクティ神と4体の像が並びます。しかし、照らされるのは、一番左のプタハ神以外。プタハ神は冥界の神だから、ただ単に移設の際にずれてしまったから、理由ははっきりしていません。そんな奇跡の現象を見るために、まだ真っ暗な内から人々が殺到するビックイベントなのです。
当日はアブシンベル神殿から、夜2時にホテルを出発します。日の出は6時27分頃。4時間も前に出る必要がないのでは?と思うかもしれませんが、朝日が至聖所の像を照らす時間は少しの間です。この日のために、何百人と世界中から、人々が集まり、列をつくるので、私たちのグループも気合を入れ、この時間から待機をします。昼間の観光時にはないセキュリティチェックも新たに登場し、準備は万全。夜が明けるまで、神殿付近で待機をします。世界遺産である、神殿の見事なレリーフをじっくり見ることができる機会もそうそうないでしょう。日の出の30分前になると、神殿内の明かりが一斉に消え、いよいよ!という雰囲気に。皆が待ち望んだ、真っ赤な朝日が顔を出すと、至聖所まで続く列が一気に動きます。出来るだけ、多くの人に至聖所を照らす朝日を見てもらうため、至聖所の前では立ち止まることができません。その時間わずか3、4秒・・・。ほんのわずかな時間ではありますが、確かに、朝日が一番奥の至聖所をめがけて一直線に差し込んでいるのがわかります。まだかまだかと後ろの人たちが、狭い神殿の中になりふり構わず入ってくるので、歩くのがやっとです・・・。朝日を拝み、まだ高揚感が残る中、外に出ると、この奇跡の現象を一目見ようと、神殿入口にはものすごい人の列ができていました。中には、警察が整備をしているにも関わらず、力づくで突破しようとしている人も・・・。このわずか数秒がどれだけ貴重か、外の状況を見て、ひしひしと実感します。音楽を奏でる団体、写真を撮る人々、神殿内での状況をお互いに話しながら、盛り上がる人々。アブシンベルが最も盛り上がる日といっても過言ではありません。
わずか3、4秒・・・。人類が作り出した遺産と、自然が生み出した“奇跡”。神秘的な古代エジプト文明を肌で感じる、貴重な体験となりました。(荒川)

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2017年3月17日 (金)

パタゴニアを食す!(アルゼンチン)

パタゴニア名物、羊の丸焼き
どこまでも広がるパタゴニアの大地。景色を眺めながらのドライブは全く飽きることなく、どっぷりパタゴニアに浸らせてくれる。雄大な世界は不思議とちっぽけな悩みなどもかき消してくれ、気持ちや心まで大きくしてくれる。だが、おや、待てよ。
どうやら大きくなったのは内面だけではないようで・・・。
先日、「パイネも訪れる!パタゴニア大自然紀行 13日間」のツアーより帰国しました。
モレノ氷河の大崩落にパイネの山々、最南端ウシュアイアと毎日のように私たちを楽しませてくれました。そしてパタゴニアは景色だけでなく、胃袋までもしっかり鷲掴みされました。それにより毎度毎度行くたびに余計なお土産?を持ち帰る次第です・・・。
心もお腹もいっぱいに満たしてくれるパタゴニアを代表するのは、なんと言っても子羊の丸焼き!アルゼンチン人は牛肉消費量が世界一という牛好きだですが、パタゴニア地方の開拓時代は今のように何でも手に入る時代ではなく、そこに住むガウチョ(牧童)達の主食は羊でした。しかも朝、昼、晩と三食羊だったのだとか。生後2ヵ月半ほどのコリデル種の赤ちゃんを3~4時間じっくり時間をかけて炭火で焼くのが美味しさの秘密。文章にしてみると何とも残酷にも感じられますが、これがまた独特の臭みもなく、ジューシーかつやわらかく最高に美味しいのです!今まで羊は食べられなかったというお客様も大絶賛のパタゴニアの羊肉。現地に行ったら必ず食べるべき料理の一つです。
カラファテのアイスクリーム
そしてデザートはアイスクリーム。パタゴニアではあちこちで沢山アイスクリーム屋さんを見かけます。種類が豊富で何を選ぶか迷ってしまうほど。ダイエットは帰国後にして取りあえず最初は「カラファテ」のアイスで決まり。町の名前でもあるカラファテは春~夏にかけて紫色の実をつける灌木のこと。パタゴニアに自生しており、その実を食べると再びこの地に戻ってくるといわれています。少し甘酸っぱいカラファテアイス、アイスでも効果はあるのかな?またここに戻ってくることを願いつつ、味わっていただきました。(岩間)

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2017年3月16日 (木)

ヒンドゥー教の原点、愛の世界遺産へ

先日、「魅惑の北インド周遊と宮殿ホテル 9日間」の添乗より、帰国致しました。
このツアーでは、世界遺産が点在するデリー、アグラ、ジャイプールのゴールデントライアングルやインドの聖地ベナレスまで足を運びます。9日間を通して、インドのヒンドゥー教、仏教、そしてイスラム教が混在する異文化や混沌としたインドの日常を体感しました。今回は、インドの世界遺産の35か所のうち9か所にご案内しました。
その中でもインドには「愛の世界遺産」があることはご存知でしょうか。
「タージ・マハル」は、言わずと知れた「愛の世界遺産」です。
タージ・マハルは、イスラム教国ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死を悼み、愛する王妃のために建てられた白亜の廟です。シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの対岸、つまりヤムナ河を挟んでタージ・マハルの一直線上に、自分の廟として黒大理石の廟を建てようとしていました。しかし、実の息子に囚われてしまい、夢半ばでこの世を去りました。そんな愛し合う二人は、今ではふたり並んでタージ・マハルに眠っています。世界中の人々がその美しさに魅了されるタージ・マハル以外にも「愛の世界遺産」があります。

カジュラホ寺院

それは、アグラから約410キロ離れたカジュラホ村の「カジュラホ寺院群」。これぞインドというようなバイクが行き交う光景はそこにはありません。(もちろん牛は道路の真ん中にどっしり腰を下ろしています。)
カジュラホ寺院群は、10世紀半ばから12世紀半ばごろに建てられたヒンドゥー教の寺院群です。創造と破壊の神・シヴァ神の象徴「リンガ」を祀っているカジュラホ最大の寺院「カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院」(西群にあります)をはじめとする寺院が点在しています。カジュラホ寺院の魅力は何と言っても壁面の彫刻の数々。砂岩でできた寺院の壁面には、官能的な彫刻が施されています。インドでは「カーマ・スートラ」という4~5世紀にかけて誕生した古代インドの性愛論書があります。カジュラホ寺院はまさにこの「カーマ・スートラ」の世界観を体現した寺院です。ミトゥナ像(男女交合像)の緻密な彫刻は世界中でここでしか見ることはできません。今回のツアーでは、カジュラホ寺院を背景に、インド古典舞踊「カタックダンス(シヴァ神の踊り)」もお楽しみいただきました。

カジュラホダンスフェスティバル

ヒンドゥー教の教義は奥深く、この宇宙全体は神が創り上げたと考えられています。
その神様とは、創造と破壊の神・シヴァ神とその妻のパールヴァティ。この2人によって宇宙全体、この世界、社会が生まれたと考えられます。つまり、この世界はすべて愛によって成り立っていると言えるのです。
ヒンドゥー教の教えによる、インドの原点を感じることができました。(角田)

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2017年3月15日 (水)

ラオス・ジャール平原に眠る謎の壺

先日、「ラオス大周遊 10日間」の添乗より帰国しました。
ラオスは他の東南アジア諸国に比べると、日本でまだ馴染みのない国かもしれませんが、
ニューヨークタイムズの‟今一番行きたい国ランキング“1位に選ばれる魅力溢れる国です。

ラオスでは首都ヴィエンチャン、古都ルアンパバーンだけでなく、今回は北部にあるシエンクワーンに足を伸ばしてみました。標高1000メートルの高原地帯に「ジャール平原」という有名な平原があります。平原の写真をご覧ください。無数にあるこれは一体何でしょうか?

ジャール平原

岩?石?いいえ巨大な岩壺です。
壺で最も大きい壺は、高さは2.5メートル、重さは何と6トンもあるそうです。
人よりも大きい石壺と一緒に記念写真をパチリ。
あきらかに人の手で作られたこの巨大な石壺は一体誰が何のためにこの平原に持ってきたのでしょうか?

実は謎はまだ解明されておりません。
ラオスの伝説によると、このエリアには巨人族が住んでいたそうで、彼らが戦いの後に、ラオス名物のお酒ラオラーオを石壺に入れ、乾杯したというロマンあるお話もあります。

しかし1930年代に入り、フランス人学者の調査により、人骨や装飾品と思われる銅の腕輪等が発見されました。また棺桶のようなものもその後発見されたため、1500~2000年前の古代モン・クメール族によるお墓説が有力だと言われています。

今回は蓋付きの石壺もご覧頂きました。
「まるでかくれんぼが出来そうだ」とおっしゃっている方もいらっしゃいました。

歴史ロマンが詰まっているジャール平原。次、訪れる際は謎が解明されているでしょうか?(白井)

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2017年3月14日 (火)

人の営みと自然が織りなす絶景、元陽の棚田(中国・雲南省)

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先日、「羅平の菜の花と世界遺産・元陽の棚田8日間」のツアーから帰国致しました。
今回のハイライトは、ツアータイトルにもある元陽の棚田。2010年に国連食糧農業機関(FAO)により世界農業遺産に認定され、2013年には世界文化遺産に登録されています。この世界最大級の棚田は、約1300年前他民族に追われ奥深いこの地にたどり着いた少数民族、ハニ族が気の遠くなるような労力で山肌を耕し、独自の農法で造り上げました。総面積は、約16,603ヘクタール。この面積は、東京ドーム約3533個分の広さに当たります。この想像もつかないような広さの棚田を手作業で築き上げたのだと想像すると感慨深いものがあります。その功績から世界文化遺産の登録名は、元陽の棚田ではなく、「紅河ハニ棚田群の文化的景観」。紅河ハニ族イ族自治州にあるハニ族が造り上げた棚田が世界遺産に登録されており、中国で初めて民族名で名付けられた世界遺産です。

そんな棚田を満喫する為、元陽には3連泊。日の出と夕日も2回ずつチャレンジできました。今回、一番心に残ったのは、「老虎嘴風景区(ろうこすいふうけいく)」での夕映えの棚田の観賞でした。夕映えや日の出の観賞には、世界各地から多くの観光客が集まります。その中でも中国の方の数がダントツ。一人一台大きなカメラと三脚を持参してベストショットを狙っていました。そんな人波に負けず、早めに展望台に行き、場所を確保して夕焼けを待ちます。老虎嘴風景区は名前から分かるように一部が口をあけた虎の横顔に見えることから名付けられました(下の写真左上の部分)。そんな特徴的な形の棚田の水面には、空が写り込み、日の入りが近づいて空が赤くなると、それにつれて棚田の色も赤く染まります。刻々と変化する棚田の表情に目が離せません。

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今回は、天候も良く最高の状態の夕映えの棚田を見ることができ、人の営みと自然が織りなした絵画のような風景に只々見惚れてしまいました。(五島)


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2017年3月10日 (金)

ポルトガル北東部、コアの岩絵を訪ねて

先日、「ポルトガル巨石文明絶景紀行 9日間」の添乗に行ってまいりました。今回のテーマは「石と古代文明」。一般的な周遊ツアーで訪れるリスボンやポルト、コインブラは通り過ぎ、古くは4万年前の、人類が生存した証を訪ねて、いざポルトガルの奥地へ。
旅のはじめにはコア渓谷の先史時代の岩絵遺跡群を訪れました。コア渓谷はポルトガル北東部、スペインとの国境近くにあります。1980年代、コア渓谷にダムを建設中一時的に水位が下がり、水中に沈んでいた岩絵をよーく見てみたらなんと絵が描いてあるではありませんか!!という経緯でたまたま見つかったのが、コア渓谷の岩絵群。その後はダム建設チームと岩絵保護チームの対立もありましたが、最終的に自然公園を作っての保護が決定、今では世界遺産に登録されるまでに至ります。
岩絵が描かれたのは1~4万年前。アルタミラやラスコーと同時代です。コア川の近くには、平らな岩がたくさんあり、まさに自然のキャンバス。このキャンバスの上に、動物の絵が複数重ねて描かれていました。いろいろな絵の線が交錯し、中には細い線もあり、初めのうちは少しわかりにくいかもしれません。ガイドさんに木の枝で線をなぞってもらい、一つのイラストごとに線が色分けされた図と見比べているとだんだん絵が浮かび上がってきました。
ところでこの岩のキャンバスは非常に硬く、火打石のようなさらに硬い石を道具に描かれたと考えられています。硬いキャンバスは細かい表現を可能にしました。毛の質感を出すために細かく短い線を用いた絵がありましたが、これは硬い岩のキャンバスならでは。また振り向いている様子を表現するために動きの流れに沿って首を2つ描くなど、現在の漫画でも使われているような表現方法も見られました。

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まだまだ研究中の分野で、何のために岩絵を描いたのか、どうして重ねて描いたのかなど、わからないことだらけ。しかし、この古さを感じさせない表現力豊かな岩絵を眺めていると、想像が膨らみわくわくしました。(佐藤)

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2017年3月 9日 (木)

訪れる度に変化するサラエボ

 この度、ユーラシア旅行社の「ボスニア・ヘルツェゴビナとモンテネグロ周遊 8日間」より帰国しました。
 モンテネグロのコトルやクロアチアのドブロヴニクなど、アドリア海沿岸の町は青い海とオレンジ屋根のコントラストが美しい街並みが人気のリゾート地です。冬は観光客がほとんどいないので、いつもは人でごった返している旧市街も貸切状態で散策する事ができました。
 ボスニア・ヘルツェゴビナは4世紀にも渡ってオスマントルコ帝国の支配下にあったため、モスクなどのイスラム建築が旧市街に多く残っています。その後オーストリア・ハンガリー帝国の支配となった為、旧市街の外にはヨーロッパ調の街並みが広がっています。わずか100mの間にモスクとカトリックの教会と正教の教会が混在していて、異文化を同時に見られる興味深い町です。

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 サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都。1984年の冬季オリンピックの会場となった都市です。また、旧ユーゴスラビアからの独立を巡って激しい内戦が繰り広げられた場所としても知られています。
 私が初めてこの町を訪れた10年くらい前は、砲弾の跡が生々しく残る建物があちこちにあり、資料で調べていた内戦の被害の様子を実際に目の当たりにして衝撃を受けました。1993年当時、学生だった私は、テレビでミサイルが飛び交う町の映像を遠い国のニュースとして見ていた事をうっすら覚えています。まさか大人になってその場を訪れるとは夢にも思っていませんでした。その後何度か訪れ、破壊された建物が新しいショッピングセンターに変わっていたり、新興住宅街が広がる様子を見る度に、復興が進んでいることを実感してきました。
 今回はサラエボ到着後、郊外の町へ移動する関係で盆地になっているサラエボの町を少し上から眺める事ができました。

″図書館兼市庁舎"

 ガラス張りの新しいビルがさらに増え、内戦で破壊されたと説明していた図書館兼市庁舎も美しく建て直され、数年前に訪れた時ともだいぶ変わったという印象です。四角くい黄色い建物は相変わらず目立っていました。内戦時、セルビア軍に包囲され、動くもの皆標的にされたという時期に最後まで営業を続けていた「ホリデイイン」ホテルです。ジャーナリスト達のたまり場になり、そこからの映像が世界に発信されたというホテルですが、最近名称変更したらしく「ホテルホリディ」になっていました。

ホテルホリディ

 以前案内してくれたガイドさんはサングラスの奥に涙を隠して案内してくれていましたが、今回の若いガイドさんは感情を込めることなく、ある意味事務的に事実を詳しく説明してくれました。
 当事者だった人も世代交代して、悲劇の内戦も過去の話になって、そのうち、歴史の教科書にさらりと書かれるだけになってしまうのでしょう。(関根)

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2017年3月 8日 (水)

スリランカのマチュピチュと呼ばれる天空都市シギリヤ

この度、「スリランカ大周遊~8つの世界遺産全てを訪ねる~10日間」のツアーより帰国しました。

シギリヤロックの上から

6つの世界文化遺産はもちろん、2つの世界自然遺産のハイキングもしました。
皆様、ハイキングは大変なのではないかと心配されますが、実はそれ以上にハードなのがシギリヤです。シギリヤには1200段もの階段が待ち受けています。そんなに登れるかしらと不安な方は、荷物を持って手をひいてくれるお手伝いのお兄さん(有料)がいるのでご安心ください。
シギリヤ名物のシギリヤレディも中腹まで登ればしっかり見ることができるので、まずはここまでひと踏ん張り。
そして、獅子の両前足が目を引く広場に出ます。かつては獅子の頭もあり、獅子の喉に入っていくようにして頂上へ登っていきました。それがシギリヤ(シンハラ語で獅子の喉の意)の語源になっています。ここで記念写真を撮りながら、一旦休憩。頂上まではもうひと踏ん張りです。

シギリヤロックの頂上への階段

獅子の足の間を抜けると、こからが正念場。階段の傾斜も少し急になります。今回は道中、スリランカの固有種であるしっぽのふさふさな黒いリスや毛づくろいをし合うサルも見られ、疲れを癒してくれました。一気に登りきり、遂に頂上に到着!
今回は天気にも恵まれ、そこに広がる王宮跡と少し霧がかった山麓の景色は圧巻。しかしここで気を抜いてはいけません。実はこの頂上には、知る人ぞ知る最後の2段が隠されているのです。最後の力を振り絞り1段、2段。ここに1202段の道のり完結です。(松永美)

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