2006年7月 4日 (火)

モアイに囲まれたイースター島

20060704 先日、「謎のイースター島と魅惑のタヒチ」のツアーのより帰国致しました。今回の旅は、成田を出発して関西空港を経由し、タヒチヌイ航空でタヒチへ向かいます。つかの間のタヒチ観光を経て、いよいよ巨大なモアイの待つイースター島へ出発です。

 イースター島の正式名称はチリ領パスクア島。イースター島を発見したオランダ人がその日が復活祭(イースター)の日だったことから、この地を「イースター島」と名付けました。

 到着して5分程走ると人口の9割が暮らすハンガロア村に到着。ホテルもこの村の中にありました。ホテルのそばを散歩しても、舗装道路も数本しかないこの島では時間がのんびり流れます。

到着後早速モアイの観光に入ります。この島では見所はなんといってもモアイ!帽子をかぶっているモアイ、目のあるモアイ、正座をしているモアイ、7体のモアイ、15体のモアイ、大阪万博のときに日本に来たモアイ・・・

モアイには、いまだ沢山の謎が隠されています。

海沿いに建てられ、村を見守るように建てられたそれぞれのモアイを見ながら『モアイがなぜ人々にとって必要だったのか』、『どのように運ばれたのか』を推測していると途方にくれてしまいます。島の中には約1000体のモアイがあるといわれる中で、重さ10トンから100トンを超えるモアイはどのように運ばれたのでしょうか。寝かせて丸太の上を滑らせたのか、てこの原理を使ったのか。はたまた勝手に歩いていったのか!? どちらにせよ何トンという石像を信仰心のみで動かした人間の知恵と力に感心してしまいます。

 いくつかある謎の中で、ひとつ明確にわかっているが『どのようにモアイが作られたのか』なのです。モアイ製造工場であったラノララクには、岩山が変形してしまうほどのモアイがつくられたそうです。作りかけのモアイが沢山埋まっている中には、体の一部のみ地表にでているものがあります。

首だけでているものも、土を掘れば約15メートルほどある胴体が埋まっています。また、岩から掘り出される途中のモアイもあり、モアイ信仰が活発である中で起こった戦いによりモアイの製造を突然中止してしまった様が良くわかります。

 どのようにモアイが作られたか、は皆様見てのお楽しみ。

是非、皆様実際に訪れて謎のひとつを解き明かしてみてください。(時田 麻弓)

イースター島のツアーはこちらから

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