2006年7月28日 (金)

千年王国ハンガリーのすべて

060728_2 先日、ハンガリー大周遊10日間のツアーから帰国しました。
このツアーでは、遥か1100年前にこの地にやってきた騎馬民族を感じられるようなハンガリー大平原から、ヨーロッパの美しい都市を見慣れた皆様でもその夜景の美しさに感激していただけるでしょう“ドナウの真珠”ブダペストまで、8箇所あるユネスコの世界遺産はもちろんのこと、ハンガリーの全てをご堪能いただけます。
  896 年に現ハンガリーの地にやってきたのは、ウラル山脈から移動した騎馬民族で した。今ではすっかり西欧的な顔立ちのハンガリー人ですが、アジア系民族の名残と して、ヨーロッパで唯一、日本と同様に「氏」「名」と、名字が名前の前にくる呼び 方をします。また、古くは古代ローマ帝国時代から、さらにトルコ支配時代に盛んに作られた温泉は人々の憩いの場となっているので、世界でも珍しい温泉湖で現地の人と交流を深めたり、首都のブダペストでも有数の温泉で旅の疲れを癒していただけます。

ハンガリーは地理的な理由から、ある時はモンゴル軍に、ある時はトルコ軍に、ある時はハプスブルグ家に、そしてある時はソ連軍に支配されてきました。その歴史を紐解くと、現在ハンガリー共和国という国が残っていることが奇跡のようにも感じられますが、国の存続にかけて、一番初めに、かつ最大の決断をしたのは、初代国王イシュトヴァーン王でした。896年にハンガリーの地へやって来たマジャール人首長の子孫であるイシュトヴァーン国王は、新興国ハンガリーをヨーロッパの主要国にするために、キリスト教を国教として定めたのです。キリスト教を国境にするとは、「私たちは野蛮な新興国ではなく、あなたがたと同じ神を信じる洗練された国なのですよ」と、他のヨーロッパの国々に伝える意味を持ち、その結果、神聖ローマ帝国をはじめとする国々に、ヨーロッパの一国として認められることとなりました。 この初代国王の英断と同様に、様々な支配に苦しみながらも、ハンガリーにはいつも人々から尊敬を集める英雄が現れます。10日間に及ぶツアー最終日、ブダペストの英雄広場に並ぶ英雄たちの像を見ながら、この国の力強さを感じました。皆様も是非、ゆっくりとした時間の流れる田舎町から歴史の重みを感じる都市まで、ハンガリーを味わいつくせるこのツアーにお出かけください。  (門田 寿美子)

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