2006年10月25日 (水)

スキタイが駆け抜けた輝く大地-ウクライナの旅

シェフチェンコをご存知ですか。先日のサッカー・ワールドカップで祖国をベスト8に導いたウクライナの国民的英雄アンドリー・シェフチェンコ選手も有名ですが、ウクライナ各地の地名にその名を残すのは、ウクライナ文学の父と呼ばれる詩人のタラス・シェフチェンコです。『遺言』という彼の詩の一節をご紹介します。

 わたしが死んだら/なつかしい ウクライナの  

 ひろい丘の上に /埋めてくれ

 かぎりない畑と ドニェプルと

 けわしい岸べが みられるように

 しずまらぬ流れが 聞けるように

詩にあるように、ウクライナはどこまでも続く広い広い穀倉地帯をドニエプル川が潤す、豊かで美しい国です。

この黒海北岸のステップに、 BC8C頃遊牧の民スキタイが移り住みました。首都キエフの歴史文化財博物館には古墳からの数々の素晴らしい出土品が展示されています。中でも、ギリシア世界との交流が活発だった証しでもある最も有名な傑作「黄金の胸飾り」には、躍動感溢れる動物表象とギリシア風の植物文様が施され、まさに目が吸い寄せられるような美しさと黄金の輝き。その世界最高水準の技術・芸術性は、騎馬に巧みで勇敢な戦士だった彼らが芸術を愛する知識人でもあったことを窺わせます。ギリシアとの交易によって豊かになったスキタイは次第に勇猛さを失い新興勢力サルマタイ人により駆逐されてしまうのですが、ペルシア軍をも撃退した勇猛な戦士たちも、黄金のもつ妖しい魅力には抗えなかったようです。

穀倉地帯の風景は、クリミヤ半島に入るとガラッと変わり、まさに黒海の真珠の名にふさわしい美しい海と起伏に富んだ風景、ロシア皇帝や作家チェーホフが愛した温暖な気候が待っていました。クリミヤ・タタールのエキゾチックな宮殿、クリミヤ戦争の史跡にヤルタ会談の会場…この小さな半島が舞台となって繰り広げられた歴史の移り変わりの何と目まぐるしいことでしょうか。

かつて中世にはヨーロッパ最大の帝国だったウクライナも激動の時代を経て独立から15 年。現在でも、ウクライナ人なら誰でも冒頭の詩『遺言』を口ずさむことができます。スキタイが駆け抜けた豊かな大地は、祖国を愛する人々に守られ今日も輝いています。 (長崎 若葉)

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