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2006年12月

2006年12月29日 (金)

活気溢れるリス族の「闊什節」

1229_001 先日、「雲南最後の秘境、怒江大峡谷縦断 8日間」より帰国致しました。このツアーでは、雲南省の中でも秘境中の秘境、西部の怒江大峡谷の少数民族の村々を訪ねます。ここは日本人観光客はおろか、国内の中国人観光客も滅多に訪れない場所です。

今回の目玉は現地に住む少数民族であるリス族のお祭り、「闊什節」です。「闊什」とはリス族の言葉で「新年」の意味で、その名の通り新年を祝うお祭りです。普段は静かな田舎町ですが、この日だけは縁日のように活気があふれます。

この「闊什節」を見学する為に、怒江リス族自治州の州府である六庫から北へ20KM、澡塘という小さな村を訪れました。すると・・・やっていました!村人たちが全員民族衣装を身を纏い、自分達の踊りや曲芸に興じています。
そこへ観光客が入っていけば、観光客の多い地域なら商売熱心な人々が「3個千円、3個千円!!」などと言いながらアクセサリーや民芸品を売る為に集まって来るところですが、この村の人たちは違います。
観光客が少ないせいか、「物を売る」という感覚がないらしく、よそ者である私達ツアー客の事は完全無視。「あなた達誰?」といった態度です。
そんな村人達の態度も、私達には却って新鮮に映りました。また村人達の飾らない素の姿が見られたので、良かったと思います。

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2006年12月28日 (木)

おもちゃ箱の中の冬のドイツ

1228 先日、「ドイツの新幹線(ICE1等車)で旅する優雅なクリスマス」のツアーから戻って参りました。冬のドイツなんて、さぞ寒いのでは?とお考えの方。いいえ、決してそんなことはありません。と言うのも、近年の温暖化で雪も降らず、観光中街中をよく歩いたので、暑い暑いとコートを脱いだり着たりするほどでした。
ドイツはクリスマスツリーの発祥の土地。伝統的には、ろうそくとガラス玉の飾りつけとシックなもの。言い伝えによると、ツリーにろうそくを初めて立てたのは、あの宗教改革の立役者、ルターだったとか?今では、火事などの危険もあるのでろうそくではなく、やさしい光の豆電球が夜の街を照らしていました。
今回のツアーの目的は、①ICE列車での旅、②ドイツのクリスマスを堪能する、③冬ならではの観光といった要素です。まず、ICEは日本の新幹線よりずっと乗り心地がよく、スペースもとても広かったです。飛行機で言えばファーストクラスです!振動も騒音も少なく、車窓も楽しめます。

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2006年12月27日 (水)

ガン鉄道で走るオーストラリア

1227 日本から約8時間のフライト。時差は1~2時間と少ないけれど季節は逆転。夏真盛りのオーストラリアへ行ってまいりました。 今回私が添乗した「オーストラリア物語」は、日本の22倍もあるオーストラリア大陸の真ん中から南半分を2週間で旅してしまうという盛りだくさんな内容。広大な大地を東から西へ。さらにタスマニア島、カンガルー島など見逃せない大自然スポットももれなく訪れ、毎日がハイライト。あっという間の2週間でした。

 毎日が興奮の連続だったオーストラリアで、今回特に印象深かったのが「ガン鉄道」。オーストラリアが誇る大陸縦断列車です。 今回私たちが乗車したのは南オーストラリア州州都のアデレードから大陸中央部、ノーザンテリトリーのアリススプリングスまで。その距離およそ1555キロメートル。1泊2日、所要時間約18.5時間の列車の旅は出発から到着まで胸躍る楽しさでした。

 今回の乗客は少なめ、ということで車両も少なかったのですが、乗客が多いときには全長1キロメートルに及ぶほど車両が連結されるというから驚きです。客車は一等のゴールデンカンガルークラスと二等のレッドカンガルークラス。今回私たちが利用したのはゴールデンカンガルークラスの方です。 二人利用のコンパートメントはシャワー・トイレ完備という充実設備。すべてが収納型に作られ、限られた空間を最大限有効利用した室内に目を見張ります。各車両には専属の車掌がいて行き届いたサービスを提供してくれるのにも感激。スピーカーからは音楽と共に旅を盛り上げるDJのメッセージが軽快に流れ、まるでテーマパークのアトラクションのようで気分がわくわく盛り上がります。

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2006年12月26日 (火)

古代マヤの人々の足跡を巡って

Pc110003 先日「古代マヤ文明を極める旅」に行って参りました。日本航空にてメキシコシティへ到着し、メキシコ、ベリーズ、グァテマラ、ホンジュラスを陸路で移動します。一言にマヤと言っても全く同じ文明というわけではなく、オルメカ文明など他の文明との交じり合い、部族同士の争いによる侵略、異なる自然環境を反映してそれぞれに文明が発展していきました。同じマヤ諸語を話す人々をマヤ族と呼んでいます。降雨量が少ない地域では雨信仰が強く、雨の神様チャーク神が神殿に付いています。その後、時代は流れ太陽を神として崇める様になった都市もありました。農耕の時期を知るために天文学を学び、マヤ暦を作り一年の周期を既に得ていたのです。5月から中米の雨期が訪れ、その直前に種まきをする為に春分の日を知る必要があったのです。

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2006年12月25日 (月)

ジョムソンで間近にヒマラヤを堪能

1225 「ヒマラヤ眺望リゾート、ジョムソンの休日 10日間」のツアーより帰国しました。
ただ今乾季を迎えているネパールでは、お天気に恵まれる日も多く、雄大なヒマラヤの美しい姿を望むことができました。
7000~8000m級の山々に挟まれた世界一深い谷にある村ジョムソン。今回のツアーではそのジョムソンに3連泊し、近郊の村までハイキングをしたり、ゆったりとホテルからヒマラヤを眺めたりして過ごしました。
ジョムソンへはポカラより飛行機で約20分ほど。短いフライトではありますが、山々をより間近に感じる、迫力ある景色を楽しむことができます。「魚の尾」の形をしたマチャプチャレやアンナプルナ、ダウラギリなどの上空からの素晴らしい山々の眺めに、ツアー参加の皆様はずっとくぎ付けでした。そして、深い谷間の小さな空港に、飛行機は滑り込むように着陸。標高2700mのジョムソンはひんやりとした空気に包まれ、澄み切った空が広がっていました。車がないジョムソンでは、空港からホテルまでの交通手段はトラクター。ガタガタと揺られながら山道を上って行った高台に、3連泊するジョムソン・マウンテン・リゾートがあります。ホテルの目の前にはニルギリやティリチョの峰々が聳え、ホテルにいながら雄大な景色を楽しむことができるのです。

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2006年12月22日 (金)

メデューサといえば…

Ag 皆様、リビアをご存知ですか?最近注目されてきたイスラム圏の中でも異色を放つ国、リビア。冬になっても日本の秋のような過ごしやすい季節となっております。
そんなリビアの魅力は、巨大なローマ遺跡群です。世界遺産に登録されている遺跡も多く、西にはレプティス・マグナをはじめ、サブラタ、東にはキュレーネといった遺跡があります。レプティス・マグナと言えば、蛇の頭をしたメデューサの顔がごろごろ置かれているのが興味深く、サブラタは3美神や哲学者のきれいなレリーフが基部に彫りこまれた劇場が印象的です。そして、ドーリア式の立派な柱が目を引く、ゼウス神殿があるキュレーネ遺跡。と、リビアの遺跡はどの遺跡も特徴があり、後で思い返してみてもその魅力は尽きません。

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2006年12月21日 (木)

ハラッパーは本当に原っぱ?

1221 12月8日発「インダス文明の栄華、6大世界遺産周遊11日間」のツアーより帰国致しました。パキスタン南部は暑さが和らぐ今ベストシーズンですが、更にお天気にも恵まれ、充実したツアーとなりました。
モヘンジョ・ダロと並んで有名なインダス文明の遺跡と言えばハラッパー遺跡です。ハラッパーは紀元前2500~紀元前1700年に栄えた古代都市遺跡ですが、インダス文明が消滅した後も独自の文化を育て、H墓地と呼ばれるインダス文明後の墓からは、洗練された土器が発見されています。最盛期には3万人が住んだ大きな町でしたが、紀元前1500年頃ラービー川のは氾濫で多くの人が水に飲み込まれて亡くなりました。「ハラッパー」=「飲み込む」の名前はここに由来します。つまり、この名前は後世の人々がつけたものなのです。

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2006年12月20日 (水)

手つかずのままの遺跡が残る、巨大寺院ベン・メリア

1220 先日、「アンコールじっくり周遊と森に眠る巨大寺院ベン・メリア 7日間」の添乗より帰国いたしました。今、まさにベストシーズンを迎えているカンボジア。日本は肌寒い日が続いておりましたが、カンボジアは灼熱の太陽に照らされ、非常に天気も良い晴天の7日間を過ごすことができたました。

このツアーでは、アンコール遺跡群の中心地、シェムリアップに4連泊し、 じっくりとアンコール遺跡群をご堪能頂きます。もちろん、アンコール・ワットやバイヨン寺院などの有名な遺跡もご見学いただきます。その後、カンボジアの首都プノンペンまで足をのばし、国立博物館や現在の王宮などもご覧頂けます。

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2006年12月19日 (火)

ルピナス咲き乱れるニュージーランドへ!

Lupinas_pukaki 先日、「ニュージーランド物語15日間」の添乗に行って参りました。数あるニュージーランドのツアーの中、北島・南島をじっくり時間をかけて巡る旅です。

北島では、ワイポウア森林保護区で”カウリの大木”にニュージーランドらしい、大自然を感じ、ワイトモ鍾乳洞ではまるで満天の星空を見ているかのようなツチボタルに感動、ロトルアの地熱地帯での気持ちのよい小ハイキングなどなど、魅力満載です。

 その後、飛行機にて南島最大の都市「クライストチャーチ」へと向かいます。そこは正に「ガーデンシティー」と呼ばれるにふさわしく、いたるところにイギリス文化を強く受けた素晴らしいガーデンを観ることが出来ました。この時期ではバラの花が特にベストシーズンを迎えている様で、日本のそれより大きく綺麗に咲く様は見事と言わずにはいられません。もちろん、ニュージーランドの手付かずの大自然を多く残す南島では、苔深い大森林、羊達の広大な牧草地帯、雄大なサザンアルプス、また、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の風景の中を走る”トランツ・アルパイン号”など本当に魅せられる場所が数え切れないほど存在しました。

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2006年12月16日 (土)

星に一番近い島・イースター島

P1020030 「ポリネシア人は南米からやってきた」と主張した、ノルウェーの考古学者トール・へイエルダールは自身の著書『アクアク』で、イースター島は“人が住んでいる土地としては世界で一番かけ離れた場所である。”と言っています。そして、“その住民の見ることの出来る一番近い陸地は、天空にかかる月や遊星である。”と。

 そう、太平洋に浮かぶ孤島、イースター島は星に一番近い島。そしてそこに何百年も前から空高くそびえたっている石の巨像、モアイたちはまるでその一番近い陸地からやってきたかのように、一心に空を見据えそびえたっています。彼らはなぜ作られ、そしてなぜ突然放りだされてしまったのでしょうか?

 今でも多くの謎を持つこの孤島。私は先日、この謎の島に添乗で行ってまいりました。イースター島での観光が4日とたっぷりの日程でしたので、お客様にはゆったりとモアイ様を拝み、思いを馳せ、ご堪能頂けたのではないかと思っております。モアイ倒し戦争でうつ伏せにされてしまったモアイの数々、日本のクレーン会社、タダノ興業によって立て直された15体のモアイが並ぶアフ・トンガリキ、唯一海を向いて立っているアキビのモアイ、そして、モアイの切り出し場であったラノ・ララクのモアイたち。モアイと言ったらイースター島。イースター島といったらモアイ。ですので、観光の中心はもちろんモアイ。様々なモアイに会いに行きました。

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2006年12月15日 (金)

仏教発祥の地・インド

20061111dib33 この度、「インド八大仏跡巡りと三大仏教美術館 13日間」より帰国いたしました。
 仏陀の生涯を訪ねて、仏教聖地のなかでも「八大仏跡」と呼ばれる場所をすべて巡ってきました。お釈迦様の生まれたルンビニ、6年間の苦行の末、菩提樹のもとで悟りを開いたブダガヤ、初めて説法したサールナート、そして入滅の地クシナガル、この4箇所は「四大仏跡」として有名です。インドを一度訪れたことのある方の中にはこの中の1~2箇所は立ち寄ったという方が多いのではないでしょうか。この4箇所と、仏陀の説法を聞くために沢山のお弟子さんたちが登った霊鷲山のあるラージギール、布教伝道の地となった祇園精舎のあるサヘト・マヘト、仏陀が最後の雨季を過ごしたとされるヴァイシャーリ、仏陀が母のためにとう利天に昇って説法しその後帝釈天の命によって造られた階段を降りたとされるサ―ンカーシャ、この8箇所はその重要度から「八大仏跡」と呼ばれています。

 その中のひとつ、仏陀の布教の地として重要な拠点となった「祇園精舎」のエピソードをご紹介します。

 舎衛城にスダッタという資産家がいました。スダッタは仏陀の教団のために僧園を造りたいと思い土地を探しているところ、ジェータ太子の持つ庭園を見つけました。さっそくジェータ太子にその土地を譲って欲しいと頼むとジェータ太子の答えは「この土地いっぱいに黄金を敷き詰められたら譲ろう」でした。スダッタは本当に黄金を敷き詰め始め、黄金が足りないとなると自分の家や土地、財産を売ってまで黄金を敷き詰め続けました。そのスダッタの姿を見てジェータ太子は無料でその土地を譲り、仏陀の布教活動に協力するようになりました。

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2006年12月14日 (木)

何度でも面白いエジプト。ファラオの力は偉大なり。

1214 3000年から4000年前へ踏み込み、当時のファラオが様々な願いを込めた神々のレリーフ(それも色つき!)。正にそのものを拝む。

このような体験が出来る場所が他にあるでしょうか。 

先日、「エジプト大紀行」のツアーへ行って参りました。このツアーは19日間でエジプトの主要な見所を1度で回ってしまう魅力的なコース。海に消えたアレクサンドリアでクレオパトラに想いを馳せ、ナイル河クルーズでエジプトの至宝を堪能。シナイ山でモーセも見たかもしれない御来光を拝み、黒砂漠・白砂漠でまるで宇宙旅行をしている気分に浸りました。思いがけない発見もたくさんありましたが、今回は「他国の遺跡と比べる旅」を自身のテーマとしたので、エジプトファラオの誇った力がいかに強大であったかに大きく心揺さぶられることとなりました。

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2006年12月13日 (水)

タイムスリップ in モヘンジョダロ

1213 マンゴーや小麦畑ののどかな田園風景も終わり日も高くなった頃、白く粉ふく塩害で痩せた乾燥地帯に入りました。四大文明の一つ、インダス文明の都市遺跡モヘンジョダロに到着です。

 「4500 年前のものです。」と言われても、例えようのない古さ。とりあえず当時の民俗を知るために、出土品を展示した博物館に訪れます。象や犀、水牛や女性の素焼きの土偶は小さいけれど、ぽってりとしてなんとも愛嬌があります。インダス文明特有の赤いビーズ、紅玉髄のネックレスや貝殻のイヤリングは、細部まで凝っていて当時の人々のおしゃれっぷりが窺えます。宇宙の様に遥かに遠いはずの 4500 年前はそう古くもないのかと思ってしまいました。 

 昼食を早々に済ませ、暑さ対策万全にいよいよ 4500 年前の都市へ入場します。

城塞地区の中心には一際高く聳えるストゥーパ。このストゥーパがあったためにモヘンジョダロは 1921 年の発掘まで仏教遺跡と考えられていたというからお騒がせな仏塔。紀元後 2 、 3 世紀と歴史はあっても、この街には新しすぎてあまり有難みを感じません。傍に沐浴場や穀物倉庫、集会所など公的な大きな施設が並びます。自分の背丈を優に越える壁の街は巨大迷路さながらに時々迷いそうになり、涸れた川の跡を眺めていると自分の喉まで渇いてきました。

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2006年12月12日 (火)

艶やかな色彩のインドネシアへ

1212 12月3日発『歴史遺産の宝庫・ジャワ島周遊と芸術の島バリ7日間』のインドネシア添乗より戻って参りました。
 この旅行では、バリ島とジャワ島という隣り合っているけれども、それぞれの島で特徴があり魅力もある2つの島を見比べられるように巡るのが面白いところです。まず南国のリゾート地バリ島は、まさに芸術の島!キンターマニ高原ではバトゥール山とカルデラ湖がパノラマで見え、まさに自然の風景美をご堪能!そして人が生み出した芸術美は、バリの自然と日常を西洋美術と融合して描き出されたバリ絵画のひとつウブド・スタイル。南国の明るい色彩と躍動感ある絵に惹かれます。そしてバリはインドネシア全体では約2%しか占めないバリ・ヒンドゥー教を島民の90%が信仰しているのです。

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2006年12月11日 (月)

街角で「地元」を味わうひと時

Bar2 先日、「イタリア・ルネサンス芸術と古都を巡る」のツアーより帰国しました。晩秋のイタリアにしては今年は暖かい日が続き、過ごしやすい陽気の10日間でした。

この旅で訪れる街々や、美術館の数々(比較的観光客の少ないこの時期ならでは、とてもゆっくり鑑賞してきました!)の素晴らしさは、ツアーの紹介ページをご参照いただくとして、このレポートでは自由時間の楽しみの一つ、現地でいただく「おやつ」のお話などをさせていただきたいと思います。

まずはミラノ。
観光地にはお土産やソフトドリンクのワゴン販売が出ていますが、ここではホットチョコレートを探してみましょう。日本のココアとは比べ物にならない程濃厚なチョコレート飲料…というよりも溶かしたチョコレートそのもののような飲み物(スプーンですくって頂きますが、飲み物です。)ですが、体も温まり、糖分が疲れをとってくれますのでこれからの季節にはオススメです。

ローマのスペイン広場でジェラートを…というのは残念ながら、あの階段ではジェラートが禁止されてしまっているのでお楽しみいただけないのですが、イタリアのジェラートは美味しいところが多いので一度は挑戦していただきたいものです。味もいろいろありまして、果物やナッツなど、お気に入りを探してみてはいかがでしょう。

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2006年12月 8日 (金)

騎士の城、クラック・デ・シュバリエ

Is09jpg 先日、「薔薇色のペトラと巨大遺跡パルミラを訪ねる」の添乗より帰国いたしました。
このツアーでは新たに2006年8月に世界文化遺産に登録されたクラック・デ・シュバリエを訪れます。

紀元11世紀からイスラムの覇権の時代に突如現れた十字軍はアラブの世界を混乱に陥れました。このクラック・デ・シュバリエは十字軍が建てた城塞で聖ヨハネ騎士団の本拠地であり難攻不落の城と呼ばれました。保存状態も大変よく、1914年にここを訪れた映画で有名なアラビアのロレンスは「十字軍の残した城の中で最も美しい」と表現しました。

一歩足を踏み入れると内城と続くゴシック式回廊があり、少し暗く石畳が続く不気味な迷宮に迷い込んだような錯覚を覚えます。

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2006年12月 7日 (木)

インドであってインドでない場所

1207_000 先日「トイトレインに乗車!ヒマラヤの里ダージリンとシッキム王国9日間」より帰国致しました。
 さて、このツアー名を聞いてどこの国のことかお分かりになるでしょうか?ダージリンというと世界的に有名な紅茶であるということは知られていますが、それがどこにあるのかをご存知の方は意外と少ないのではないでしょうか。それにシッキム王国。“王国”とある以上、国には違いない?・・・とはいえ一体どこでしょう?
 今回は訪れたのはインドです。そう、様々な宗教、民族、文化、言語、あらゆるものが混在しているあのインドです。その中でも今回ご案内したのはシッキム州と西ベンガル州です。地理的に言うとインドの北。周囲をネパール、中国、ブータン、バングラデシュに囲まれています。この複雑な地形が物語るように、文化も民族もインドであってインドでない場所なのです。
 まずはデリーで一泊しシッキム州へと向かいます。シッキム州はまだまだ知られていない場所。かつてそこにはチベット系の王が統治していたシッキム王国が存在していました。その王国は17世紀から1975年にインドに併合されるまで栄えた小さな王国です。現在地理的な問題から、この州に入るときには入境証が必要となりますが、観光においては何の問題もありません。チベット系、ブータン系、ネパール系の人々が多く、インドの多様性を改めて感じます。

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2006年12月 6日 (水)

美の国、イラン

Iran_hanagara 先日、「イラン歴史物語15日間」の添乗より帰国いたしました。
 「イランへ行く!」というと、よく「大丈夫なの?」という不安そうな言葉を耳にするのですが、実際にこの国を訪ねるとそんな不安はどこかへ吹き飛んでしまいます。
 イランの人々はとても親日的で、どこへ行っても大変親切にしてもらえますし、「一緒に写真を撮って!」と逆に声をかけられることもしばしばです。
そんなイランでまず私たちの日常と大きく違うことは、やはり女性の服装に関してでしょう。
 イスラム教の中でもシーア派という宗派に属するこの国では、女性は皆、髪の毛を隠し、ゆったりとした服装で体のラインを隠し、家族以外の男性の前では「女性である」というオーラを封じ込めます。 とはいえ、女性たちは様々な色やデザインのスカーフを使うことによって、オシャレを楽しんでいるようです。やはり美しさへの執着心は並ならぬものがあります。私たちもこの旅行で経験をし、貴重な体験となりました。

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2006年12月 5日 (火)

稀代の悪女・則天武后のもうひとつの顔 ~龍門石窟~

061205cu15 先日、「雲崗・龍門と中原の旅15日間」のツアーより帰国致しました。

5~6世紀の北魏時代、中原(黄河中・下流域一帯)に栄えた仏教芸術。このツアーでもその時代に開鑿された数多くの石窟を巡りますが、今回私が特にお勧めしたいのが、河南省洛陽に位置する龍門石窟です。

この石窟は、莫高窟(甘粛省敦煌)、雲崗石窟(山西省大同)とともに中国三大石窟の1つとして数えられています。伊河という川の両岸の岩肌に彫られた無数の石刻は、494年に北魏王朝が大同から洛陽へ遷都するにともない、先述の雲崗石窟にならって造営が開始され、唐代に至るまで盛んに造営がつづけられました。この石窟を遠くから見るとさながら蜂の巣のようであります。近づいて見ると小さいものは2㎝しかないものもありますが、なんと言ってもハイライトは17mもの高さを誇る奉先寺の廬舎那大仏であります。

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2006年12月 4日 (月)

『栄光の三日間』 ボーヌ・ワイン祭り!

先日フランスワイン街道のツアーより戻って参りました。今回のメインはボーヌワイン祭り!

世界でも最も見事で格の高いぶどう畑を擁するブルゴーニュ地方の中心に位置する古都ボーヌはワインと芸術の町。ワインの王様「ロマネ・コンティ」の畑が広がるコートドール(黄金の丘)にも程近く、まさにワイン祭りを催すにはうってつけ!

今年で146回目を迎える歴史あるお祭りは「栄光の三日間」と呼ばれ、毎年11月の第三日曜日を中心に3日間開催されます。初日に利き酒騎士団による盛大なセレモニーで幕をあけ、普段は静かな古都ボーヌも世界中からワインファンが集結し、この3日間は大変な賑わいをみせます。

広場にはエスカルゴとワインを売っている屋台がでていたり、フォワグラやホットドッグなどをほおばりながら人々が談笑しています。寒くなったら暖かい手作りスープを飲めば身体も心もホカホカに。

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2006年12月 1日 (金)

美しさにかなうものはない。

Tcreport 黄葉美しいギリシャの大地を旅してきました。ところでギリシャでは、街を歩いていて、部屋に入って、なにかが違うことに気がつきます。「鏡が大きい。」どこの国にいっても、ほんの申し訳程度についているドライブインのトイレの鏡がここでは全身が映るほど大きいのです。トイレだけではありません。街の壁も姿が映るガラスタイプが多いし、ホテルの廊下などは全面鏡張りのところもありました。

この現象を説明するために、ギリシア神話で柱の一つとなっているトロイア戦争のお話をさせていただきましょう。お話はトロイアという国の王子様がギリシャの国のお姫様を略奪したため、ギリシャ軍が姫を取戻そうとしてはじまりました。ではなぜギリシャ軍はそこまで躍起になって彼女を取戻そうとしたのか。そしてなぜトロイアの王子様は彼女を奪ったのか。理由はこのお姫様、ヘレネーさんが絶世の美女だったからです。ただトロイアの王子様も元々の極悪人というわけではありませんでしたので姫を略奪したのにも理由がありました。事の発端は神様と人間の結婚式。新婦がテティスさんという女神様、新郎が人間の青年でした。このテティスさんも美しくて、やさしくてとても人気のある神様でしたから、ギリシャ中の神様が集まって盛大な結婚式が行われます。

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