2006年12月13日 (水)

タイムスリップ in モヘンジョダロ

1213 マンゴーや小麦畑ののどかな田園風景も終わり日も高くなった頃、白く粉ふく塩害で痩せた乾燥地帯に入りました。四大文明の一つ、インダス文明の都市遺跡モヘンジョダロに到着です。

 「4500 年前のものです。」と言われても、例えようのない古さ。とりあえず当時の民俗を知るために、出土品を展示した博物館に訪れます。象や犀、水牛や女性の素焼きの土偶は小さいけれど、ぽってりとしてなんとも愛嬌があります。インダス文明特有の赤いビーズ、紅玉髄のネックレスや貝殻のイヤリングは、細部まで凝っていて当時の人々のおしゃれっぷりが窺えます。宇宙の様に遥かに遠いはずの 4500 年前はそう古くもないのかと思ってしまいました。 

 昼食を早々に済ませ、暑さ対策万全にいよいよ 4500 年前の都市へ入場します。

城塞地区の中心には一際高く聳えるストゥーパ。このストゥーパがあったためにモヘンジョダロは 1921 年の発掘まで仏教遺跡と考えられていたというからお騒がせな仏塔。紀元後 2 、 3 世紀と歴史はあっても、この街には新しすぎてあまり有難みを感じません。傍に沐浴場や穀物倉庫、集会所など公的な大きな施設が並びます。自分の背丈を優に越える壁の街は巨大迷路さながらに時々迷いそうになり、涸れた川の跡を眺めていると自分の喉まで渇いてきました。

水を飲んでから整然と区画された市街地区に入ります。壁の厚さや間取りの広さから住んでいた人の階級の違いを見分けることができますが、角を曲がるごとに見事なまでに直線の通りが続いています。たくさんの井戸とくまなく張り巡らされた下水道は、先ほどバスで走った渋滞の町よりもずっと住みやすそうに見えました。

いつ文明は始まり、どのように終わりをむかえたのか?

諸説あるも文字の解読が出来ていない為、未だ謎の多いインダス文明。「死者の丘」を意味するモヘンジョダロは今も眠りについて私たちの疑問に答えてくれませんが、ああでもないこうでもないと考古学者にでもなった気分で推測しあうのもこの遺跡の楽しみ方。当然答えもでないまま、日は暮れていったのです。(山口 明子)

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