西アフリカで感じたこと
先日『西アフリカ黄金海岸6ヶ国物語16日間』より帰国しました。アフリカの中でも秘境と言われる6ヶ国(ガーナ、トーゴ、ベニン、ブルキナファソ、マリ、セネガル)は我々日本人にはまだあまり馴染みのない国々が多いかと思います。西アフリカの文明の源泉であり、その姿は今から約200年前までは謎につつまれたままだったアフリカ第3の大河ニジェール。ニンジンを掘るように金がとれると、かつて黄金の都市とも呼ばれ多くの探険家の心を奪ったトゥンブクトゥ。泥でつくった建物としては最大のジェンネの大モスクや自らの神話を守り抜き、その神話に基づいた伝統的な生活を今尚おくるドゴン族と見所はつきません。その中でも私が最も強い印象をうけたのがガーナ、セネガルで訪れたケープコースト、ゴレ島という奴隷貿易の拠点となった所です。
ヨーロッパのアフリカ進出の目的・・・はじめは黄金や象牙、香料でありキリスト教の伝道にあった。しだいにこれらの物がなくなってくるとそれは奴隷貿易へとかわった。ケープコーストやゴレ島は売られる為にあちこちから連れてこられた人達が船に乗せられるまでの奴隷収容所であった。男性、女性と分けられ、薄暗い部屋には明かりはほとんどなく、隙間がないほど詰め込まれた。一日一回トイレに出られるだけのこの空間で何をおもったんだろう?部屋は湿気まじりの嫌な空気に息苦しさを感じた。60キロに満たない男性は値がつかないと別室にて無理やり食事をとらされた。船が到着すると部屋から船へ通じるトンネル。『Door of no return』再び戻ることの出来ない扉。300年以上の間に1500万~2000万ともいわれる人々が海を渡った。
悲しく暗い歴史をもつケープコーストやゴレ島は今は重要な観光資源にもなっている。黒人の家族も多く目に付くこの場所は歴史を忘れてはいけないと親は必ず子供を連れて訪れるのだそうだ。日本から遠く離れた大陸での悲しい歴史に大きな衝撃をうけた旅でした。(岩間 裕子 )
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