無名の都市遺跡?!ジェラシュの魅力(ヨルダン)
ジェラシュは、紀元前64年にローマの属州となってから、イスラム軍に侵入される7世紀まで、約700年に渡って隊商都市として繁栄します。特に、ペトラがローマに征服された紀元後106年以降、ジェラシュは交易を拡大し、最盛期を迎えました。
全長3.5kmに及ぶ城壁の中には、列柱道路を軸にして、フォーラムや神殿、劇場、浴場が次々と造営されました。ひとたびジェラシュの城壁内に足を踏み入れると、ローマの殖民都市としての地位を得た、かつての栄華が伺えます。
世界に数多くあるローマ遺跡の中でも、ここジェラシュのローマ遺跡は独特の構造をしたものがいくつかあります。
まずは、アルテミス神殿。ジェラシュの守護神、アルテミスを祀るこの神殿は、驚きの耐震構造を備えています。列柱の底部を微妙に丸く削り、揺れに強い構造にしてあるのです。759年にこの辺り一帯を襲った大地震は、多くの建築物を破壊し、ジェラシュも80%以上が破壊されたと言われています。今、目にすることができる多くの列柱は、地震で倒れたものを再建したものですが、このアルテミス神殿だけは崩壊を免れ、2,000年前と変わらぬまま当時の姿を残しています。
また、劇場は、座席の下を空洞にすることで、高い音響効果を実現しています。実際、客席に座ると、舞台で紙を破る音や、コインを落とす音さえも反響し、その音響効果の高さに驚愕します。ここでは、毎夏2週間、ジェラシュ・フェスティバルが開かれ、現在も現役で活躍しています。他にも、世界で唯一、楕円形をしたユニークなフォーラムも印象的です。
さて、ジェラシュがローマ遺跡の中でも重要な遺跡であるのはご案内した通りですが、その割には、あまりに無名すぎると思いませんか。それもそのはず、ジェラシュは、世界遺産などのお墨付きがないのです。これほど、ローマ時代の街並みを完全に近い形で残した広大な遺跡であるにも関わらず、世界遺産に登録されていないのは、なぜでしょうか。
実は、「完全に残している」、ということが、皮肉にもジェラシュを世界遺産登録から遠ざけてしまったのです。残念なことに、修復の際、当時使われていた石やレンガではなく、セメントなどの化学物質を多用してしまいました。そのため、真に当時のままとは言えなくなってしまい、世界遺産登録の機会を逃してしまったというわけです。
また、ジェラシュの遺跡のすぐそばまで、現在の新市街が迫っており、発掘作業を妨げています。かなり巨大な遺跡も、実際に発掘されているのはわずか30%に満たず、未だ多くの遺跡が新市街の下に埋まったまま、発掘されるのを待っているという状況です。遺跡と都市との不調和も、世界遺産への登録を阻害しているようです。
あまりにも手を加えすぎたという理由で、皮肉にも世界遺産の枠から外された、無名の古代ローマ遺跡ジェラシュ。しかし、ローマ時代の街並みをほぼ完全に残すこの遺跡は、無名であるが故に、想像をはるかに越えて見る者に衝撃を与えるのかもしれません。
ヨルダンの隠れた名所、ジェラシュ。ヨルダンをご旅行の際には、必ずや心に残る遺跡となることでしょう。(兼井)
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