古代エグナティア街道をたどり、歴史ロマンにひたる!
アルバニアのドゥレスは、カエサルとポンペイウスのドゥラキム(ドゥレスの旧称)の合戦の地であったところです。ローマ劇場跡が当時の町の面影を伝えています。エグナティア街道はそこから内陸部に向かいます。現在の国ではアルバニアから東進して、マケドニアの湖畔の町オフリドに出ます。オフリドはビザンチン帝国時代には文化の中心地でもありました。旧市街に建つ聖クレメント教会のそばでは遺跡の発掘が真っ最中でした。発掘が終了したところを訪ねてみると、そこには美しいモザイク。やはりここにもローマの町があったことを感じました。
マケドニアとギリシアの国境の町ビトーラでは、ヘラクレア遺跡を見学。ここは古代マケドニアのアレキサンダー大王の父フィリポスニ世が築いた町です。残っているのは、古代マケドニア時代の後のローマ時代のものが多いですが、美しい色石の床のモザイクはため息が出るほどの美しさでした。
ギリシアではペラやテッサロニキを見学し、更に東へ。途中で立ち寄ったフィリピの町はこの旅の中でも最も印象的な町でした。このフィリピは、フィリポス2世が自らその名をつけた町です。この町のそばにはパンゲオ山があり、ここではかつて金を採掘することができました。フィリポス2世の時代に、マケドニア王国に富をもたらした黄金の採掘場の一つです。パンゲオ山は、紀元前42年にカエサルを暗殺したブルートゥスが、オクラヴィアヌス、アントニウスと戦って敗れた合戦場でもあります。この地に立つと、エグナティア街道を使って軍隊がここまで進軍してきた様子が浮かんでくるようでした。ローマ時代の遺跡には、マルクス・アウレリウス帝の時代に造られた大理石の巨大なフォロや図書館、聖堂の跡が残っていました。また、紀元後49年にはパウロがこの地に到着し、初めての洗礼を授けたことでも知られており、パウロが収監されという牢獄もあるのです。フィリピは古の歴史のロマンがたっぷり詰まった地なのでした。
そして、ギリシアから国境を越えるとトルコ。エグナティア街道の終点のビザンティウム(イスタンブール)に到着すると、終点の記念碑が待っていました。
ローマに繁栄をもたらしたエグナティア街道を現在の国境をいくつも越え、国から国へと。こうして無事に完走し、歴史ロマンを肌で感じる旅となりました。(斉藤さ)
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※本年のエグナティア街道を巡るツアーの募集は終了しました。2010年のツアーは、2009年12月頃発表予定です。
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