2009年8月19日 (水)

イスラエルでイエスの生涯を辿る

1 先日、「イスラエル一周とシナイ山 11日間」の旅より帰国致しました。現在は治安も安定しているようで、観光客もあちこちで見かけられました。イスラエルへの入国はハラハラドキドキ。ここでスタンプを押されてしまうと、アラブ諸国へ旅行が出来なくなってしまう!ということで、「ノースタンプ、プリーズ!」と力強くお願い。ところが、スタンプを押して欲しい方もノースタンプになってしまうという、おかしなハプニングもありました(もう一度お願いして、スタンプを押してもらうことができました)。無事に入国を果たし、イスラエル在住なんど35年!の日本人ガイドさんと合流をして、早速観光スタートです。

イスラエルといえば、旧約聖書と新約聖書の世界。どの町へ行っても聖書の世界で染まっています。今回は、「イエスの足取り」に着目してご紹介させて頂きます。

まずは、ナザレの「受胎告知教会」。ここで、イエスの母マリアは、神から受胎告知を受けたといわれています。教会内はとても厳かな雰囲気。“受胎告知を受けた場所”とされている祭壇では、静かにお祈りを捧げている方もいらっしゃいます。私達はよく、「本当にここで受胎告知があったのか?」という疑問を口にしがちですが、どの場所もそうですが、“事実”ではなく“信じる心”が大切なのだとか。“信じる心”があればそもそも、疑問ももたないのでしょう。さて、この受胎告知ですが、夫のヨセフはこの事実にとても悩んだそうです。隣接する「聖ヨセフ教会」には、“受胎告知を知って悩めるヨセフ”のステンドグラスが飾られていますので、ぜひ、ご覧になってみてください。成人したイエスは、カナの町でとある婚礼パーティーに出席した際、母のマリアを助けるために初めての奇跡を行いました。現在、「婚礼教会」となっており多くの方が訪れています。

その後30歳になったイエスは、ナザレを後にし、ガリラヤ湖へ拠点を移しました。まず訪れるのは、「パンと魚の奇跡の教会」です。イエスが起こした奇跡の1つで、5つのパンと2匹の魚を増やし、多くの人々の腹を満たしたといわれています。教会最奥部にある祭壇の下には、パンと魚のモザイクがありますのでぜひご覧になってみてください。「カペナウ3ム」はイエスが宣教を始めた場所。ここにあったペテロの実家に身を寄せていたそうです。イエス復活後の話にはなりますが、「ペテロ首位権の教会」はイエスがペテロを一番弟子として再認したところ。イエスはここで、「あなたは私を愛していますか」とペテロに尋ね、ペテロは「それはあなたがご存知です」と答えたといいます。銅像もありますので、場面を創造しながらご覧になってみて下さい。

33歳のときにイエスは捕らえられました。エルサレムの「万国民の教会」には、捕らえられる前のイエスが必死に神への祈りを捧げているレリーフが残っています。その後イエスは、「鶏鳴教会」となっているカヤパ邸へと連行され、最後の一夜を送りました。イエスが過ごした牢獄も残っています。翌朝、ピラト総督邸へ連行されたイエスは死刑判決を受け、十字架を背負わされました。「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」はイエスの足取りを辿った道。十字架が立てられた「ゴルゴタの丘(聖墳墓教会)」まで続き、そこでイエスの生涯は終わるのです。ちなみに、2000年前のヴィア・ドロローサは現在の道路の下2にあったそうです。

すでに聖書の世界をご存知の方には、実際に訪れることでさらに理解が深まるでしょうし、これまで断片的にしか聖書を知らなかったかたは、イスラエルへの旅によって様々な話が1つにまとまることでしょう。これからは気候もよくなり、日々過ごしやすくなっていきます。ぜひ一度、足をお運びになってみてください。(江間 菜穂子)

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