マヤの国へ(グアテマラ・ホンジュラス)
もともとマヤの建築は”神に祈りを捧げ、信託を得るための場”を作ることから始まったとされ、広場や神殿は祭祀を行う場とし、やがて王という支配者の権力を誇示する場へと移り変わっていきました。ここティカル遺跡のあるグアテマラ北部のペテン地方は、紀元前200年頃から900年頃まで栄えた都市国家でちょうどギリシャのスパルタやアテネの様に分立し、共通の言語と文字、高度な天文学を用いて発展していきました。
最盛期には8万人の人口にも及んだとされ、現在4000以上もの建造物が確認されていますが、まだ謎の多い遺跡でもあります。
まずこの遺跡に辿り着くまで、ジャングルのような密林を抜け、サクベと呼ばれる白い道を歩き、ほぼ半日かけて遺跡を回ります。すると目の前に大きな神殿が現れ、5号神殿と名付けられたこの建造物は、まるで大きな壁のように
目の前に立ちはだかります。ほぼ垂直と言って良いほどの傾斜で、はしごのような階段を登って行きます。
なぜか登り始めると雨が降り出し、行く手を遮るようでしたが、登り切ると頂上からは樹海が広がり、眺めは最高です。しかしこれよりももっと高い神殿が4号神殿と呼ばれる建造物で、高さが約70m。かつてはアメリカ大陸で最も高い建造物であり、メキシコのテオティワカンのピラミッドよりも高く、下から見上げると本当に天国へ続いているような印象でした。木と鉄でジグザグに作られた階段は、それ程傾斜はきつくないので、先程の5号神殿に比べると、登りやすいです。一歩一歩ゆっくり登ると、頂上では心地良い風が吹いて、気持ちが良かったです。ここから見る景色は、まるで神殿が樹海に浮いているような感じで、特にlこの時期は雨季の終わりということもあり、樹木が青々として、自分が天下人になったような気分を味わいました。かつてこの地を支配した王達が競って高層建造物を作りたくなる気持ちが少しわかった気がします。
さてこうしたマヤ文明を支えた、マヤの社会とはどういうものだったか?というと、農耕文化で、特にとうもろこしの栽培が盛んでした。
今でも、先住民の多く住むグアテマラでは、主な主食はトウモロコシから作られたトルティ ージャで、日本でいう米にあたる存在です。今回訪れたインディヘナの里、チチカステナンゴの市でも、様々な種類のトウモロコシが売られていました。古代マヤの神話には”人間はトウモロコシから作られた”というものまで残っているほどです。そのため、マヤの社会では農業に依存した生活が営まれ、農作業に関わる事柄を暦や宗教で決める独特のマヤの文化が生まれていきました。高度な天文学が発達し、暦や高層建築はマヤ文明の象徴ですが、もう一つ素晴らしい手織物も特徴的です。古都アンティグアやチチカステナンゴなど多くの村々には独特の色鮮やかな民族衣装があり、頭に巻く飾りひもやブラウスの様なウィピルと呼ばれる日常着、巻きスカートなどそれぞれの村ごとに異なり、複雑な模様を手織りしています。特にマヤの人達は共同生活に対しての意識が強かったため、こうした村ごとの衣装があり、衣装を見ればどの村の人間かわかるそうです。実際に機織している姿を見ましたが、図面などはなく、壁と腰に棒を固定し、器用に織っていく姿につい見惚れてしまいました。
先住民の村を歩いているとなんだか昔の日本にいるような懐かしい気持ちになり、このまま変わらずいて欲しいと思ってしまいました。
(石井)
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