2009年12月25日 (金)

元気を貰えるパワースポット!?マラケシュ、ジャマ・エル・フナ広場(モロッコ)

Jamaelfuna 先日、「エキゾチック・モロッコ」より帰国致しました。

秋も終盤を迎えたモロッコ。国土の中央に位置するアトラス山脈には朝方になると霜が降り、日中は民家の屋根から柔らかな木漏れ日が差す、すがすがしい季節です。
長時間の空の旅を終え、私たちを迎えてくれたのは、この時期ならではの素朴な人々の生活風景でした。カサブランカの空港からフェズへ向かう道中には、ユーカリ、杉、コルク樫などの木々が生い茂り、ちょうどコルク樫の実の収穫真っ最中。日本ではあまり目にする事のないコルク樫の実ですが、見た目は大きなどんぐりそのもの。モロッコの人々にとっては気軽に食べられる天然のおやつのような感覚で栄養も満点です。道端では、まぶしい笑顔と威勢の良い掛け声でバケツの量り売りをしていました。

人々の溌剌としたエネルギーに迎えられた、この9日間のモロッコの旅。翌日に訪れた世界最大の迷宮都市と呼ばれるフェズのメディナ、またサハラ砂漠で出会ったベルベルの先住民、そしてラクダ引きのお兄さん・・・旅で出会った人々は皆、陽気でとても明るい方ばかりでした。その中でも特に印象的だったのは6日目に訪れたマラケシュにあるジャマ・エル・フナ広場の人々が生み出すあの熱気です。

Souk マラケシュはモロッコのほぼ中央に位置し、人口は約150万人ほどです。また、モロッコの歴史を語る上でもとても重要な場所でもあります。マラケシュが歴史の舞台に登場するのは、11世紀のこと。先住民ベルベル人によって興ったムラービト朝は、当時、南サハラで行われていた、サハラ縦断交易で得た金によって発展し、隊商で賑わう交易都市となりました。その後、ムワヒッド朝時代にはマラケシュは首都となり、モロッコ全土だけでなくイベリア半島にも遠征をして現在のアンダルシア地方までもを支配下に治めてしまうほどの力を持つ大きな王朝となりました。「マラケシュ」という言葉が、「モロッコ」の語源になったのもこの頃だと言われています。かつての栄えた都の名前が現在も国名として使われているなんて、いかにマラケシュが人々にとって重要な場所であったかがわかります。
そして、その後、ムワヒッド朝はベルベル系の遊牧民が興したマリーン朝に滅ぼされ、歴史の舞台は再びフェズに移されました。

マラケシュのランドマーク的存在のジャマ・エル・フナ広場には、16世紀にペストが流行した際に感染して亡くなった人々の遺体が集められました。その為、日本語に訳すと「フナ広場」とは「死の広場」という意味になります。しかし私が訪れた時はそんな名前からは想像もつかないくらい、威勢の良い声が飛び交う活気溢れる場所でした。夕暮れ時になるとフナ広場はお祭り騒ぎ!エキゾチックなアラビアの音楽が聞こえてきたかと思うとそこには、コブラを自由自在に動かす蛇使いが姿を現し、ピエロの格好をしたサルの大道芸、アクロバットなどが互いに競うように始まります。パフォーマーの前で一旦足を止めると、人間技とは思えないパフォーマンスに目が釘付けになってしまいます。気が付くとあっという間に時間が経過していました。

くねくねと道が入り組んだスーク(市場)に一歩足を踏み入れると、そこはまるで絵本の世界。絵の具をこぼしてしまったかのようなカラフルな雑貨達が迎えてくれます。モロッコは陶器で有名な国ということもあり壁中に赤や青、黄色、ピンク色の大皿が飾られていたり、最近では日本でも大人気の、皮で作られたバブーシュというスリッパもパステルカラーのものやキラキラとした装飾が施されているものなどデザインも様々で見ていて飽きることがありません。「ビンボープライス!」と声を掛けてくる店員との交渉もイスラム圏ならでは。私も気が付けばお客様とともに30分近くも値段交渉をしていました。また、フナ広場には雑貨だけではなく食べ物の露店も立ち並んでいます。フルーツ屋の露店の前を通り過ぎれば、甘い柑橘系の香りが漂い、店員さんは店頭に並べられたオレンジにも負けないくらいのまぶしい笑顔で手を振ってくれます。「甘いオレンジだよ!少し見てってよ。」と声を掛けてくれ、まるで下町の商店街にいるようです。

陶器にバブーシュ、革製品、タジン鍋・・・モロッコにはついつい欲しくなってしまうお土産がたくさんありますが、フナ広場はついつい帰国後に友達に話したくなるお土産話がたくさん散りばめられています。いつ訪れてもパワーを貰える、厚い人情に溢れた、そんな場所でした。(三橋)

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