エブラ文書とウガリット文字 ~虹の彼方へ~ (シリア・ヨルダン)
先日、『シリア・ヨルダン隊商の道 13日間』の添乗より戻って参りました。
イスラエルやレバノンとともに、旧約聖書の舞台となり、その後のローマ・ビザンツ・イスラム時代を通して、常に東西文化、東西交易の結節点としてあり続けたシリア・ヨルダン。5千年にわたる人類の偉大な歴史の記憶が刻まれた大地を駆け巡る、とっても豊かな旅でした。
シリアヨルダンの最大の見所と言えば、イランのペルセポリスと並び「中東の3P」と称されるヨルダンのペトラと、かの有名なオアシス国家パルミラです。決して期待を裏切ることのないハイライト中のハイライト。けれどもシリアには、決して派手さはないものの、人類の歩みを語る上でははるかに重要な遺跡が2つもあるのです。
イスラム世界でも有名なスーク(市場)や巨大城塞で知られるアレッポの町からおよそ一時間。バスはハイウェイからはずれ、シリアの田舎道を走り、小さな小屋の前で停車しました。遺跡の入口のようなものは何もなく、チケット売り場は地面に置いてある薄汚れた小さな机。ちょっとしたお土産ものを売るおじさんが一人、ポツンと立っていました。
ペトラのような巨大建造物など一つも無く、パルミラのような華麗な列柱は1本足りとも見当たりません。「なんだぁ、あんまり見るべきものがないなぁ。」と思われた方もきっといらっしゃったでしょう。けれども私達がバスから降り立ったその地こそ、まぎれもなくあの伝説の都市エブラがかつて存在した場所なのでした。
1968年、シリアのある丘を発掘していたイタリア考古学調査隊が、世界中を驚かせる発見を成し遂げます。旧約聖書などにも登場する伝説の都市エブラの発掘に成功したのです。そして遺跡からは、古代文字が刻まれた粘土板がなんとおよそ16000枚も出土したのでした。政治から商取引、芸術まで様々な内容を含むこの文書群は厚いベールに覆われていた古代社会に一気に光を当てたのです。
ガイドのアハメットさんが言います。「これが図書館跡だよ。ここにあのみんなが博物館で見たエブラ文書、粘土板が千数百年も眠っていたんだ。」 お客様の多くが深く頷き、私も何だかブルッと震えました。
江戸時代の終わりがだいたい200年前。織田信長が殺されたのが約400年前。「鳴くよ鶯平安京」で1200年前。あの卑弥呼でも千年前には届きません。4,000年という時間はもう、私の感覚ではおよそ捉えることができそうにありませんでした。そんな時代に文字を使い、このような膨大な文書を残した人々とは、一体いかなる生活を送っていたのでしょう。
エブラ遺跡を訪れた日の夕方。私達はぐねぐねと険しい道を抜け、2つの山を越え、地中海がすぐ側に広がるウガリット遺跡に立っていました。ここ、ウガリット遺跡もまたエブラ遺跡同様、派手さの無い遺跡でした。
けれども、ここでもガイドのアハメットさんは言います。「このウガリットこそは、世界最古のアルファベットが発見された場所なんですよ。ダマスカスの博物館でご覧になったでしょう」と。
するとふいに、この3,500年というはるか彼方の世界が、何だか私たちが今住む世界と、何だかとてつもないスケールで繋がっているような気さえしてきたのです。その後、フェニキア人に受け継がれたアルファベットはやがてギリシアやヨーロッパ世界に伝わり、そして今では英語やアラビア語やフランス語となり、世界中の人々を結び付けているのだと思うと、数千年にわたる壮大な物語の中に生きているような、何とも言えない満たされた気持ちになったのでした。
気付くとお客様がざわざわとなさっています。一体何が起こったのだろうと、お客様が指差すよう方角に目をやると、なんと遺跡と地中海の向こうの空に、大きな虹がかかっていたのです。すーっと吸い込まれれてしまいそうな、そんな光景でした。(田村)
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