2010年1月14日 (木)

2つの国の相違点と共通点 ~チュニジアとリビア~

Leptis 先日、「チュニジア・リビア物語 16日間」のツアーより帰国致しました。
ツアータイトル通り、北アフリカに位置するチュニジアとリビアという隣り合った2つの国を訪れる旅で、16日間という長いコースですが、国境越えを含めすべて陸路で移動します。ここではこれらの2国の「相違点」と「共通点」を紹介させて頂きます。

まず「相違点」ですが、最初にチュニジアに訪れます。チュニジアは1957年に共和制になってから、イスラム教国でありながら西欧化が進められ、例えば土日を休日とし、お酒を飲むことも出来ます。また観光立国でもあり、特にフランス、ドイツなどヨーロッパの人たちが数多く訪れます。そして近年では日本人観光客も増えてきました。旧市街を歩いていると、地元の人たちは「コンニチワ!」、「ゲンキ?」、お店の人にいたっては「ヤスイヨミルダケタダ」などと高度な日本語で私たちに声をかけてきます。
それに対しリビアは、カダフィー大佐が1969年に革命を起こして以来、社会主義体制となりました。イスラム教の風習を厳格に守っており、例えば休日は金曜日で、またお酒を飲むことは固く禁じられています(持ち込むこともできません)。そして世界的な産油国であるが、近年ようやく外国人観光客を受け入れたばかりの国ですので、私たちのような日本人にお目にかかる機会はほとんどないと思われます。ですので地元の人たちが私たちを見ても、決して日本語で話しかけてくることはなく、好奇心の眼差しでじっと見つめてきます。

Ksar そこで私が「アッサラームアライクム(アラビア語でこんにちはの意)」と声をかけたところ、彼らは「アライクムアッサラーム」とにこやかに返してくれました。チュニジア人もリビア人も同じアラビア人。私たちのような外国人を受け入れてくれるホスピタリティーは変わらないなと感じました。

一方「共通点」は先述の通り、共にアラビア人(一部先住民であるベルベル人も住んでいます)であり、イスラム教を信仰しています。そして歴史を紐解くと、紀元前9世紀に現在のレバノンあたりに住んでいたフェニキア人がカルタゴ(チュニジア)に街を造ってから、その勢力は東側にも及び、サブラタやレプティス・マグナ(ともにリビア)にも都市が造られ、その後、ローマ時代には大浴場、劇場、神殿などが造られ、ビザンチン時代にはキリスト教会が造られたのもチュニジアもリビアも同じです。
また、もともとはベルベル人が住んでいて、7世紀ごろアラビア人がこの北アフリカの地に侵入してきました。その時ベルベル人は山の上へ逃げていきましたが、そこで要塞の代わりにもなる食糧倉庫「クサール」を造りました。それはチュニジアでも(「クサール・ハダダ」と「クサール・オウレッド・スルタン」)、リビアでも(「ナルート」と「クサール・ハジ」)見ることができます。

今回チュニジアとリビアを訪れてみて、その両国の歴史と文化などの「相違点」と「共通点」を認識することで、いっそう旅に潤いを与えてくれる、そんなツアーでした。(斉藤信)

チュニジア・リビアのツアーはこちら

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