2010年1月 4日 (月)

古代から人を惹きつける魅力たっぷりのパルミラへ(シリア・ヨルダン)

Palmira 「薔薇色のペトラと、巨大都市パルミラを訪ねる旅 9日間」の添乗より帰国しました。今回の旅は、毎日がハイライトで、休む暇なく、たくさんの魅力ある遺跡を訪れるなんとも効率の良いものでした。

特にツアータイトルにもあるようにパルミラは今なお古代の人々の思いを感じさせる遺跡でした。

パルミラの歴史は古く、紀元前にまでさかのぼります。イスラエルのソロモン王がここに“タデモル”という町を建設し、その後、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの隊商都市として栄えていきます。さらにパルミラの人達は厳密な設計に基づき、大都市を建設していきます。中央部に列柱道路を作り、長さ1.2km、幅11m、両側に石灰岩の柱を750本も並べました。柱の上部には、当時の有力者や有名人の彫像が飾られていました。現在ではその一部しか見ることができませんが、柱に刻まれた文字にはギリシャ語とパルミラ語という二つの言語を見ることができます。それは当時の地中海の共通語であるギリシャ語を刻む事で、他の国からの人々も楽しめる工夫がされているのです。

また様々な人種の人達が住んでいたため、ベル神殿、ナボ神殿、バールシャミン神殿など数多くの神殿が作られ、自分達の神を探し、祈ることができたと言われています。

Palmira2 ヨルダンのペトラが陥落した後、繁栄の波がパルミラに押し寄せ、2~3世紀にかけて最も繁栄した黄金時代へと突入します。この全盛期に女王となったのがゼノビアという女性です。野心的で教養があり、絶世の美女。クレオパトラの再来とまで称された彼女は、新しい通商路を求め、エジプトにまで出兵し、広大な領域を占拠します。しかしその繁栄もわずか2年で幕を閉じ、ローマ帝国に支配され、二度と繁栄は戻らなかったのです。

この遺跡の近くに小高い丘に立つアラブ城があるのですが、そこからパルミラの遺跡を一望することができます。ちょうど夕陽が沈む頃、黄土色からオレンジ色に染まる姿についみとれて、時間が経つのを忘れてしまいました。当時の女王ゼノビアがどんな思いで大帝国に戦いを挑んだのか?最後まで降伏しなかった強さはどこからくるのか?色んな思いが込み上げてきました。

さてこの遺跡の見所はもう一つ、近年、奈良大学の発掘チームが発見した地下墓です。今回は特別見学という事で、「ボルハ・ボルパの墓」と「タイボールの墓」の二つを訪れました。一枚岩の扉の中は少し薄暗く、たくさんの棺があり、棺の表面には生前の姿の彫刻がはめられ、まるで生きているかのようでした。お墓というと重苦しく、不気味なイメージがあるのですが、この場所は少し違った空間で、暖かい印象を持ちました。パルミラの人々は、墓は“永遠の家”と考え、淋しい時や会いたい時にいつでも話しかけられるようにという思いから、彫刻をはめていたそうです。今で言う遺影のようなものですが、とても生き生きとした彫刻に驚きました。

中東はテレビなどでは過激な報道もありますが、実際にそこに住む人達に会って話をしてみると、とても気さくで、親切な人ばかりでした。私自身、ますます中東の魅力にはまってしまう旅となりました。 (石井)

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