メディナを歩こう!遺跡を歩こう!チュニジア
先日、「チュニジア縦断と5つの世界遺産 8日間」の添乗より戻りました。12月の末と言えども、日が出ると20℃くらいまで気温が上がり太陽の光がさんさんと降り注ぐチュニジア。日本は今冬を迎えているということなど忘れて、というか忘れさせてしまうようなぽかぽか陽気のおかげで、春のような気温の中観光を楽しみました。特に北部は地中海に面しているため、天気が良いとエメラルドグリーンの海がより一層キラキラと輝き、バスの窓からまばゆい地中海と白い砂浜に見とれてしまうこともしばしばでした。目の前に見える地中海は、かつて領土をめぐりローマ帝国とチュニジア北部を統治していたカルタゴ軍が激しい海上戦を繰り広げ、地中海諸国の繁栄を支えた場所であるということを忘れてしまいそうなほど穏やかで、美しい白波が印象的でした。
一度見たら忘れられない美しい風景ばかりのチュニジアは、写真に収めたくなる風景がたくさんあります。特に各都市のメディナ(旧市街)は人々の生活の中心であり、そこに暮らす人々の生命力や生活感、人くささに溢れています。旧市街がごちゃごちゃして行き交う人々が多いほどワクワクして、行き交う人々の姿を見ているだけで楽しくなります。くねくねと入り組んだ迷路のような路地、ずらりと道に並ぶ店、刺激的な香辛料の香りと、山盛りに積まれた新鮮な野菜。威勢のいい掛け声、食べてみて!と差し出される甘いマクロード(ドーナツのようなお菓子)などなど、今も昔と変わらない活気を感じることが出来ます。世界遺産に指定されている首都チュニスのメディナはもちろん、チュニジア第二の都市であるスファックスのメディナでは生きのいい新鮮な魚が並ぶ魚市場を覗いたり、砂漠の町トズールのメディナでは日干し煉瓦の町並みや伝統的な手作り絨毯の店にお邪魔したりと、それぞれ見どころたっぷりの旧市街歩きは時間を忘れさせます。
また、チュニジアはかつてフェニキア人によって建設された都市カルタゴが栄えた国です。豊かな土壌と強い軍隊、特に海上技術に優れ、倒しても倒してもすぐに復活するカルタゴは、その強さを恐れたローマと3回にわたり戦いますが、紀元前146年に敗れ、その豊かな土地が二度と蘇らないように焼き払われ塩をまかれた悲しい歴史をも持つ場所です。約100年後、ローマ帝国によって復興されたカルタゴは以後ローマ帝国の属州となったため、チュニジア各地にはカルタゴ時代の遺跡とローマ遺跡が点在しています。その遺跡の中でも私のおすすめはチュニスに残るビュルサの丘。かつてカルタゴの拠点だったこの丘には、カルタゴ時代の住居跡と、カルタゴを滅ぼした後、丘に宮殿を作ったローマ帝国の宮殿跡のどちらの遺構も見ることが出来ます。丘に残る宮殿の柱の跡の下にカルタゴ時代の崩れた住居跡が残り、歴史を実際に体感する場所です。また、この丘はチュニス市内を一望できるスポットでもあり、地中海とチュニス湖を見渡せます。
ローマ時代の建造物の中では、世界で3番目の規模を誇るエル・ジェムの円形闘技場は見逃せません。その保存状態はイタリア・ローマのコロッセウムよりも良いと言われており、午後の日差しの中、観光客もそれほど多くなかったのでゆっくり闘技場の中を歩いて観光することができました。
カルタゴとローマが残した歴史的建造物、伝統ある各都市の旧市街、どこまでも透き通る地中海。歴史を追いながら歩くチュニジアは、いつ訪れても見とれてしまう場所ばかりでした。(奥谷)
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