2010年4月 2日 (金)

時が重なる瞬間“チュニジアのローマ遺跡”

Romanbath

先日、「チュニジア周遊」の旅から帰国しました。季節が冬から春に変わり初めていたチュニジアは、肌寒さは残っていましたが、道の脇には野花が少し咲き始めていました。
チュニジアは日本の5分の2ほどの面積しかありませんが、地中海に面した美しい北部の街並やビーチリゾート、南部のサハラ砂漠、またアトラス山脈も走っていて、とても表情豊かです。

数多くある見所のなかでも、この国に残るローマ遺跡は、当時の生活が鮮明に浮かんでくるほど保存状態が良いです。チュニジアは歴史に名高い名将ハンニバルが生まれたところでもあります。紀元前、カルタゴとローマが覇権をかけて繰り広げたポエニ戦争のなかで、彼が生み出した数々の兵法は、未だに各国の軍隊で学ばれているそうです。日本では弥生、古墳時代にあたるころ、地中海では数十年に渡って海を挟んだ熾烈な戦いが繰り広げられていたという史実に驚きますが、当時の生活や出来事を知ると、人の心はいつの時代も変わりないのかもしれないと感じるところもあり、時を超えて当時の人々が身近になってきます。
3度にわたって繰り広げられたポエニ戦争。最後の戦争は、国力を失ったカルタゴと圧倒的な力を持ったローマという、始めから結果が明確な戦でした。それでも徹底的に抵抗を続けたというカルタゴ。街は焼き尽くされ、生き残った人々は奴隷として連れ去られ、2度とカルタゴの土を踏むことはなかったと言われています。さらに農作物が育たないよう土地には塩がまかれたという記録もあり、そこまでローマが徹底的に破壊したカルタゴに、逆に興味を覚えてしまうほどです。

ここに何があったのか、どんな人々が生活を営んでいたのか。当時カルタゴがあったという土地に足を運んでも、正直想像することさえ難しいほど痕跡はありませんが、丘の上にわずかに残った遺跡から地中海を臨んでいると、ほんの少しだけ、最後までこの土地を死守したフェニキアの民の気持ちが偲ばれるような気もしました。フェニキアの民は海の民。土に根を下ろすように、海に根を張り、海とともにあり続けた彼らだからこそ、内陸に移動せよというローマからの最後通牒に決して譲れない想いを抱いたのかもしれません。

Romanaquaduct

今となっては想像をふくらませるだけですが、今からおよそ3000年前に地中海に君臨したフェニキア人や、海を隔てて戦い続けたローマ人の暮らしや生き方に想いを馳せることは、決してただの夢物語に留まりません。
とりわけ保存状態が良く広大なドゥッガのローマ遺跡では、遺跡を歩いていると当時の生活臭さえ感じられるほどです。皆さまと当時の公衆トイレに腰掛けながら、当時の人々のように談笑していると、にぎやかな路地の歓声や湯気が漂う浴場の様まで浮かんでくるようで、だんだんと当時の街並にこっそり紛れ込んだ気分になってきます。
また、ローマ遺跡には、公衆浴場、広場など、街と生活の中心に公共の施設がちりばめられており、彼らがコミュニケーションをとても重んじていたことが伺えます。優れた建築技術やモザイク芸術など目で見て感心するところが多いローマ遺跡ですが、日々の生活の中心には人と人の強いつながりがしっかりと結ばれていたことが伝わってきます。日本でも以前は、町の銭湯が情報交換の場だったと聞いたことがあります。テーマパークのような浴場跡を見ていると、時を超えてローマ人とはお風呂について語り合えるに違いないと思い、当時の人々をさらに身近に感じたのでした。(菊池)

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