2010年5月 6日 (木)

北アフリカでローマ人の繁栄を辿る旅 ~アルジェリア、チュニジア、リビア周遊~

Jemira

地中海世界は古代より多くの勢力が栄枯盛衰を繰り返した。
人や物が往来したから、その土地土地には幾重もの文化が重なる。

陽光が煌き、遥か古代より人々を惹きつけて止まない地中海世界で、
今回は「パックスロマーナ(ローマ人の繁栄)」をテーマに、
アルジェア、チュニジア、リビアの北アフリカ3カ国を周遊した。

ローマ人の繁栄なら、本家のイタリアのローマにあるフォロロマーノやコロッセウム、
パンテオンなどを巡るものではないかとお思いの方が多くいらっしゃると思う。
確かにそうだ。やはり、ローマ人の繁栄を巡るには、まずはローマだろう。
しかし、歴史を紐解くと、古代ローマ帝国がヨーロッパ世界はもちろんのこと、
現在のトルコなどの西アジアや中近東から北アフリカ諸国にかけてもその勢力を広げたことが判る。

旅はまずアルジェリアから始まった。
アルジェリアというと、まだまだ観光業が発展途上中で、
日本人がそんなには渡航をしていない国のひとつではないかと思う。
しかし、首都のアルジェは港湾都市として発展しており、
思ってた以上に近代的だった。
この国で取上げたいローマ遺跡は「ジェミラ遺跡」だ。
アルジェリアの北東の山間部に位置しているこの遺跡は、
元々は紀元後1世紀にクイクルムという名前で町が造られた。
その後、東ローマ帝国の支配を受けたのち、アラブ人が侵入してきた際に、
アラブ語で美しいという意味のジェミラという名前が付けられた。
山間部に町が造られた為、遺跡観光は斜面を下って、そして、また上るという順序だ。
ジェミラ遺跡の町の始まりは斜面の一番下の部分で、
町が拡張される毎に上方の部分に広がっていった。
リビアのレプティスマグナ出身のローマ皇帝セプティミウスセウェルス帝の時代に大幅に町はその恩恵を受け、彼を祀る大神殿も建てられた。
遺跡の保存状態が良いのはもちろんのことだが、
この時期に観光をすると野花が咲いていて、
文字通り花を添えてくれるので得した気分になる。
また、併設のモザイク博物館も必見だ。
館内は決して広くはないのだが、壁一面にモザイクが展示されていて、
さながらモザイクの洪水のようでもある。
一つ一つのクオリティが高いので、観察するようにじっと見たい。
当時の生活の様子や狩猟の様子がモチーフになっているものが多い。

Zaguan

アルジェリアの旅を終えて、次に入国したのはチュニジアだ。
今回の3カ国の中では一番観光業が先進しており、
ホテルの質も全般的に一番良い。
この国では「ザグーアンの水道橋」を取上げたい。
ローマ人の生活には上水の設備は欠かせない。
多くの町では山より湧く水を水道橋を使って送水して、
飲み水やお風呂などの生活用水や噴水や感慨用水として使った。
ザグーアン山から水を引くこの水道橋は全長約132キロメートルもあった。
現在は3分の1程しか残ってはないものの、
傾斜だけで132キロメートルもの送水を可能としたことを鑑みると、
当時の測量技術の高さには驚くばかりである。
放牧の風景と重なり、ほのぼのとした観光になった。

Zeus

最後に訪れたリビアではギリシア時代より町が建設されたキュレーネ遺跡のゼウス神殿に触れたい。
神の中の神ゼウスを祀る神殿の中でアフリカで一番大きなものだ。
ドーリア式の柱の直径はおよそ2メートル。
写真で見るより、実際はもっと迫力がある。
このキュレーネの町もジェミラ遺跡と同様、傾斜のついた場所に造られていて、
ゼウス神殿は町の最上部に造られた。
アポロンの信託を受けて、ギリシア人が入植したことが町の起源であり、
ローマ時代のものより起源は古い。
しかし、ローマ人がこの場所にもやってきて、町はローマ化されたという経緯がある。

ローマから地中海を渡った北アフリカには、
まだ保存状態がよく、広大なローマ遺跡は数多くある。
取分けリビアのローマ遺跡はサハラ砂漠の砂に埋もれていた為に、
結果、保存状態が良く、見応えも十分な物が多い。

アリタリア航空での旅だった今回、ローマの空港で帰りの飛行機を待つ際に、
このままローマの街に行くのも悪くないなぁなんて、後ろ髪を引かれる思いの旅となった。(高山)

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