2010年5月17日 (月)

ラオスのお正月「ピーマイ・ラオ」で新発見!

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先日、「ラオス周遊とラオスのお正月ピーマイ・ラオ 8日間」の添乗より帰国致しました。ラオスは日本の本州とほぼ同じ面積を持ち、その中で約632万人の人々が暮らしている、小さな国です。皆様は、ラオスと言えば何を想像されるでしょうか。メコン川がゆっくりと流れる風景、高床の木造建築に土の道、そして、のんびりと暮らす現地の人々・・・。「のどかで素朴な国」という印象を持たれる方が沢山いらっしゃることと思います。しかし今回のツアーは一味もふた味も違ったラオスを体感することができました。

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今回の見所は何と言っても、毎年4月中旬に行われる仏歴のラオス正月をお祝いする「ピーマイ・ラオ」のパレードです。今年は4月14日、15日、16日がお正月に当たり、街中のレストランなどには「HAPPY LAO NEW YEAR」と大きく書かれ、イルミネーションで飾られた店内は、さながらクリスマスのようでした。そして、このラオス正月「ピーマイ・ラオ」は別名「水掛け祭り」とも呼ばれています。子供から大人まで、ラオス中の人々が、このお正月を水を掛け合って祝うのです。これは旧年中の悪いものや病気などをきれいに洗い流し、今年も一年元気に健康に過ごせますように、という意味が込められています。

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4月のラオスは一年の中でも最も暑い夏に当たり、水不足が心配される時期でもあるのですが、このお正月の水掛けだけは別格です。朝から晩まで、現地の人でも観光客でもお構いなしにすれ違う人や車に水鉄砲やバケツで水を掛け合います。中には墨を顔に塗り合ったり、白い粉を振り掛けたり・・・。ビショビショに、そして真っ黒になればなるほど、ラオスでは人気者の印だと現地のガイドさんは言っていました。その言葉通り、現地の若者は、怒るどころか、きゃっきゃっ!とはしゃぎながら、男女混合で作った、いくつかのグループに別れ、トラックの荷台に乗って、水掛合戦が始まります。その様子は、まるで何かのバトルの様に感じてしまうほど迫力があり、今までのラオスの「素朴」という印象を一気に吹き飛ばしてしまうくらいの、パワフルな一面を見る事ができました。

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さて、このラオス正月「ピーマイ・ラオ」のメインイベントは、冒頭でもご紹介した世界遺産の街ルアンパバーンで行われる盛大なパレードです。ラオスの神様のプーニュ、ニャーニュを先頭に、ルアンパバーンで一番位の高いお坊さんや、ピーマイ・ラオ初日のコンテストで選ばれたラオス美女7人が艶やかな伝統的な民族衣装を着て後に続きます。街にある仏教寺院、ワットシェントーンからワットタートノイまでの約2キロメートルのメインストリートを練り歩きます。

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プーニュ、ニャーニュはまるで日本のナマハゲの様な風貌をしていますが、大きな口や、ギョロギョロとした目がとても滑稽で、夜市では必ずその置物などを見かける程、ラオスの人気者です。この2人はアダムとイヴの様な存在で、天界から降りてきた人類最初の祖先と言われています。

その昔、巨大な大木がこの天を覆い、世界が闇と寒さに包まれた時、勇敢にもこの大木の伐採に名乗りを上げてきたのが老夫婦のプーニュとニャーニュでした。この老夫婦は持っていた斧で少しずつ木を叩き始め、ようやく大木が倒れた!と思った時、なんと大木の下敷きとなって命を落としてしまいました。その後、命を賭けた勇気ある2人の行動は、人々によって讃えられ、精霊として崇められるようになったのです。

ラオスの人々は、プーニュ、ニャーニュのように、あらゆる自然に精霊が住んでいると信じています。ツアーで訪れたシーパンドン地方にあるソン・パミッドの滝は別名「リーピーの滝」と呼ばれ、「リー」が魚、「ピー」が精霊、という意味で、溯上する魚とともに精霊がやってくると古くから信じられていました。自然、精霊を大切にする文化が色濃く根付いているラオスにはまだまだ手つかずの、のどかな農村風景が数多く残されいます。「ピーマイ・ラオ」の活気溢れたラオス、そして、まだまだ発展途上の国だからこそ、他では感じる事の出来ない人々の温かさや、暮らしに触れることの出来た8日間でした。(三橋)
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