2010年9月 6日 (月)

日本人の誇り杉原千畝さん~リトアニア・カウナス~

Sugiharachiunemuseum

先日、「バルト三国とサンクト・ペテルブルグ」のコースより帰国いたしました。夏真っ盛りの4カ国でしたが、吹く風は心地よく、額の汗も引いていきました。
バルト三国で有名な日本人といえば、リトアニアのカウナスで日本副領事を勤めた杉原千畝さんでしょう。
1940年、ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ人は、日本領事館にビザ発給を求め詰め掛けました。突然の出来事に驚いた杉原さんでしたが、話を聞いてみると、リトアニアからロシアを通り、日本へ渡ってから第三国であるアメリカやイスラエルへと渡るために、日本通過のビザを発給して欲しいということでした。1人、2人なら自分ひとりの判断でも発給することは出来るが、沢山の人の分ともなると副領事1人の権限では難しいと考え、日本政府にビザ発給を許可して欲しいと電報を送りましたが、かえって来た答えは“否”。当時、ドイツと同盟を結んでいた日本は、その要求を許可することが出来なかったのです。しかし、杉原さんはそれに背いて自分の権限にて日本通過のビザを発給しました。そのビザのおかげで約6000人のユダヤ人の命を救うことが出来たのです。この行為は、後にイスラエルで日本人唯一の「諸国民の中の正義の人」であるヤド・バシェム賞や、ポーランド大統領により勲章も授与されています。
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった。私に頼ってくる人を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」という言葉を後に残しています。人間の平等を願った杉原さんらしい発言です。

さて、ツアーでは、首都ビリニュスからバスで約1時間かけカウナスへ向かいます。バスのなかで杉原さんがどのようにしてビザ発給をしていったのかをご紹介させて頂きました。
カウナスの街は、緑がとても多い落着いた雰囲気があります。街を少しはなれて住宅地へ入ると白い壁、2階建ての建物の前には小さな花壇がある可愛らしい造りの家々が並びます。そしてそれら住宅にとけこんでいる一つの白い建物の前で静かにバスは停まりました。
そこは、一見すると普通の一軒家のように見えます。しかし、この場所こそが、ユダヤ人の為の“命のビザ”が杉原さんの手によって発給されたところなのです。
当時、領事館の執務室のあった半地下部分は、現在博物館となっています。
私たちが到着すると、1人の日本人学生がオープンを待っているところでした。何でも杉原さんの功績に胸を打たれ、1人でこの場所へ来たそうです。ツアーでこの場所を訪れた私たちに驚き、とても感動していました。
建物の中へ入り杉原さんについてのDVDを鑑賞し、その後、実際に執務を行っていた部屋を見学しました。当時、実際に壁にかけられていた日の丸が今も変わらずそこにあります。

Office

 日本のシンドラーと称えられる杉原さんの行動に胸を打たれるのと同時に、その勇気ある行動に同じ日本人であることを誇りに思えるのでした。

今年は終戦して65年。平和であることが日本では当たり前になっていますが、平和や戦争の残虐性について、一人一人の命の尊さについて改めて考えることができました。そして博物館の見学を終え、カウナスの街を出る頃には、国籍や民族を越え平和に共存できる日が来ることを改めて願ってやみませんでした。(津波)

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