2010年11月15日 (月)

古代都市カルタゴの夢の跡(チュニジア)

Lezardrouge

先日『チュニジア物語14日間』の旅から帰国しました。
日本の5分の2ほどのチュニジアを12日間かけて1周しました。小さいけれど見どころがたくさんのチュニジアでは世界最大規模のモザイクのコレクションを誇るバルドー博物館、保存状態のいいドゥッガやエルジェムなどのローマ遺跡や、地平線の向こうまで続くサハラ砂漠でラクダに乗ったりと毎日がハイライトでした。
その中でも、特にこの14日間で印象に残ったのはケルクアンのカルタゴ遺跡です。チュニジアと言えばカルタゴを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。伝説によると、フェニキア(現レバノン)の女王エリッサが王権争いを逃れて、キプロスで援軍を集め北アフリカにたどり着きました。原住民のベルベル人はエリッサに牛皮(ビュルサ)1枚で覆える分だけの土地のみを与えると約束しましたが、エリッサはそれならばと牛皮を網状に引き伸ばして丘を覆い、その丘を自分の領土にしたと言われています。この丘は「ビュルサの丘」と呼ばれ、古代国家カルタゴの拠点となりました。
領土を広げていったカルタゴは『チュニジアの親指』とも言われるボン岬にまで拡大しました。その先端に位置するのがケルクアンの街です。紀元前6世紀に街の基礎ができました。港町として栄えた街には幾度となく、攻撃が加えられましたがその度に劇的な回復を見せつけましたが第1次ポエニ戦争により滅亡しました。その後、ユリウス・カエサルによってカルタゴの再建が行われましたが、ケルクアンは再建されませんでした。理由はまだ明らかではありませんが、チュニジアに残る98%のカルタゴ遺跡がローマ人やビザンツ人によって手を加えられたものですが、ケルクアンはカルタゴの当時の姿のまま残されている貴重な遺跡の1つです。

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商業や貿易によって富をなしたケルクアンは壁に囲まれた街に市場のような工房や店舗が並んでいます。陶器をはじめ、金やサンゴを使ったアクセサリーやむらさき貝の染料を使った染物などが売買されていました。遺跡には陶器を焼いた大きな窯を見ることができます。その隣の住居はローマ都市のものとは少し異なります。ローマ都市で特徴的な円柱は中庭にはありません。モザイクもローマのような絵柄を描いたものではなく、色のついた石を組み合わせただけのシンプルなものです。
また、ローマ都市に欠かせないのが浴場ですが、カルタゴには公共浴場はありませんでした。一家庭にそれぞれバスタブがありますが、椅子のような形をしていて、一目ではお風呂とわからないくらいです。腰湯をするための小さなものですが側面に小さな穴があいており、そこから排水ができます。そのような技術が紀元前6世紀にあったことにも驚きました。
職人エリア、神殿、住居を回って地中海の方へ向かうと地中海に面して住居がありました。よく見ると見慣れたコリント式の円柱が並ぶ中庭がありました。港町として栄えたケルクアンは地中海貿易を通して、ローマの影響を受けていたのかもしれません。このローマ式の住居の中庭に立つと目の前には真っ青な地中海が広がります。ここから140km離れたところにローマ、ギリシャ、カルタゴなどが制覇を試みたシチリア島があります。天気のいい日だとシチリア島が見えるそうです。今回は残念ながらシチリア島は見えませんでしたが、ここで戦いの場になったとは想像できない位、青く澄んだ海が目の前に広がっていました。次はシチリア島に行ってケルクアンを眺めたいなと思い、ケルクアンを後にしました。(丸谷)

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