関所を越えて西域へ(中国)
今回の旅はまず、玄奘三蔵法師の足跡を辿り大都市西安を出発後、万里の長城の西の終点甘粛省の嘉峪関へ。西安からは飛行機で嘉峪関へ行ったのですが、まもなく到着という頃に窓の外を見ると、なんと地面が真っ白!まさかの雪に機内は「え?まさか雪?!」とザワザワ。着陸し改めて地面を見ると、融けてはいましたが本当に雪でした。10月下旬で雪が降ることはとても珍しく、祁連(きれん)山脈の雪化粧にしばし見とれてしまいました。ガイドさんによると、私達が来る前日に雪が降り始めたとのことで現地の人も大騒ぎだったそうです。この日は嘉峪関から敦煌まで約4時間半のバス移動だったのですが、ひたすら続くゴビ灘が当たり一面真っ白で、白い雪絨毯の中をひた走っていく光景は、なかなか見られない景色だねと突然の降雪に喜びました。敦煌に着くころには雪も融け、雪の姿は殆どなくなってしまいましたが、束の間の冬景色を楽しんだのでした。
敦煌は、シルクロードのオアシス都市として栄え、中国三大石窟の一つ、世界遺産「莫高窟」を有することで有名ですが、郊外にも多くの見所が残っています。その一つが「陽関」です。敦煌の街を出発すると、地平線の彼方までゴビ灘と呼ばれる石ころの砂漠が広がります。木が一本も生えていないので空が広く、360℃ゴビしかない広大さに、「は~。中国は広いねえ」と関心の溜息が出ます。ポプラ並木の続く田舎の景色もシルクロードらしい風景ですが、ただひたすらにゴビ灘を駆け抜けて行く景色も、ロマン感じる道ではないかなと感じました。
ゴビ灘を駆け抜けた先にある「陽関」は、かつて西域との国境の役目を果たし、唐代の詩人、王維は、遠い西域へ旅立つことへの恐れの気持ちを「西、陽関を出ずれば故人無からん」と詠んだそうです。今では漢の時代ののろし台が残るだけの遺跡ですが、かつて鉄の武器を置いていた為陽関周辺の乾燥した土は赤く、2000年前の武器の残骸がここに残っているのだと思うと感慨深くなります。展望台からは荒涼としたゴビ砂漠とオアシスが見下ろせ、ここから先は何もなくなるのだ…という寂しさをも感じさせます。
また、敦煌郊外には漢代に造られた万里の長城も残っています。漢代には8メートルの高さがありましたが、現在は1メートルほど。これは今現在見ることが出来る長城の高さで、昔はもっと面積が広かった為、アシなどの植物と土が交互に重なった壁の跡がすぐそばに残っており、実際に触ることも出来ます。
2000年経った今、当時の壁跡を触れるとは思っていなかったので、貴重な考古学遺跡にしばし感動。すぐ隣りには「玉門関」と呼ばれる関所跡が残り、また重要な軍事施設としても使われていました。軍隊が駐屯し、ここから先に進むのは本当に西域に足を踏み入れるということであり、ここを通らなければ西域へ行くことは出来ませんでした。
今はパスポートさえあれば飛行機に乗ってビューンと異国の地へ行き、安全に戻って来られるのが当たり前ですが、
2000年前何かを求めて異国へ旅立つというのは相当な覚悟と気力、体力、精神力が必要だったのだなとしみじみと感じます。もしも砂漠で、目指していたはずのオアシスがいつまでたっても現れず、残りの水が一口だけになってしまったら…。考えるときりが無いですが、それでも旅に出たいと思う人間の好奇心、探究心の強さは、人間の性かなと感じた旅でした。(奥谷)
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