2010年12月24日 (金)

仏教発祥の地、インドで見た仏教建築の起源

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 先日、「インド悠久文明の旅 13日間」より帰国しました。北西インドを代表するアジャンタ石窟寺院やタージマハルなど合計13の世界遺産を巡り、インドの列車に乗車したり、ガンジス川での沐浴を見学したりと、遺跡だけではなくインドの慣習や文化を肌に感じた13日間でした。
 インドは現在、人口の約72%がヒンドゥー教を信仰していますが、約2500年前にゴータマ・シッダルタが悟りを開いた仏教発祥の地でもあることはあまりにも有名です。現在、仏教徒は人口の約2%以下になってしまいましたが、インドには多くの保存状態の良い仏教遺跡が点在しています。その中でも1番印象に残ったのは、仏教の開祖、釈迦(仏陀)の遺灰を祀るストゥーパ(仏塔)です。仏陀の入滅後、遺灰はいくつかに分けられていましたが、インド全土を支配したマウリア朝第3代アショーカ王は仏教を手厚く保護し、全土に広めようとしました。遺灰は8万4千に分けて、各地に置き、信仰の中心となるようにしました。仏塔の前に立つとここに8万4千分の1の遺灰が納められていると思うと溜息がでます。  ストゥーパと言えば、アショーカ王が建てたサーンチーの大ストゥーパや釈迦が初めて説法を行ったとされるサールナートのものが有名ですが、興味深いのはアジャンタ石窟寺院に残っているストゥーパです。1819年にイギリスの将校によって発見されるまで、忘れられていたミステリアスな遺跡です。今では観光客で賑わっていますが、ワゴーラー川沿いに建てられたアジャンタ。目をつぶると文明を避けて、山奥で修行をしていた僧侶の姿が目に浮かびます。

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 入口に近い第1窟から公開されている第26窟まで、自然を生かしたアップダウンのある道を歩いて進みます。法隆寺金堂の菩薩像のモデルになった壁画など見どころはたくさんあるアジャンタですが、ストゥーパの見どころはアジャンタで最も古い第9窟と5世紀に建てられた第19窟です。入ると他の壁画などできれいに装飾されていた石窟とは一変。何もない部屋に石の土台に半円形の石をのせただけの巨大な石が置いてありました。偶像崇拝が禁止されていたインドでは初めは何の彫刻もないシンプルな石を置いただけのストゥーパとして崇められました。又、天井や壁にも装飾はあまり見られないのも初期仏教寺院の特徴です。
 さらに奥へ進み、第19窟に入ると初期のものとは全く異なる、まるで芸術作品のようにきれいな装飾や仏像が彫られたストゥーパが置かれていました。時代が進むにつれて、土台を作るなどして形が変わり、その上にドーム型のストゥーパを置き、仏像などの彫刻で飾りました。アジャンタ石窟寺院は時代とともに増築が進められたため、時代によって形などの特徴が変化するストゥーパを1度に見学することができるのもアジャンタの隠れた魅力の1つだと思います。

 又、紀元後1世紀に仏教は中国にも広がります。漢の時代だった中国にもこのストゥーパの文化は伝わり、あちこちでストゥーパが拝まれるようになりました。中国では「卒塔婆」と呼ばれるになりました。日本のお墓にある卒塔婆もこれが起源だと言われています。中国に立てられたストゥーパは当時の木造建築の文化も取り入れて、土台の上にいくつも屋根を重ねて塔の様なストゥーパになりました。それが日本に伝わり屋根が重なったストゥーパが建てられました。日本にあるいくつも屋根の重なった塔のようなものと言えば、思いつくでしょうか?日本の古寺には欠かせない、五重塔です。初めは日本でも卒塔婆と呼ばれていましたが、省略して「塔」と呼ばれるようになったそうです。日本で「塔」と呼ばれている建物はここから来ていると思うと塔には見えないアジャンタの初期のストゥーパの前で長い歴史を感じました。
 シンプルな石から五重塔にまで姿を変え、日本に伝わったストゥーパ。日本では現在、ほとんどのお寺で本尊の脇役のような存在になってしまっていますが、インドや東南アジアではストゥーパを礼拝の対象として大切にされています。日本でも身近な仏教。発祥地インドを訪れ、これからお寺に行き、五重塔を見ると必ずインドのストゥーパを思い出すでしょう。(丸谷)

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