2011年2月10日 (木)

ムガル帝国繁栄の跡を訪ねて(インド)

Karashina_4先日、「インド悠久文明の旅13日間」の添乗より帰国しました。1月、乾季の北インドは東京よりも少し暖かい気温で雨も降らないのでとても快適に観光することが出来ました。インドの大地を走るバスの車窓から見えた黄色一面のカラシ菜畑やムガル帝国時代の淡い赤色の城壁、そして雲ひとつない青空のコントラストが印象に残っています。インドは長い歴史のなかでヒンドゥー教が信仰され、仏教が生まれ、イスラム教徒に支配された宗教の変遷があります。今回の旅ではヒンドゥー教の寺院や仏教石窟で有名なアジャンタを観光し、旅の後半はムガル帝国時代に繁栄した都市を巡りました。

皆様はムガル帝国をご存知でしょうか?ムガル帝国は中央アジアから侵入してきたトルコ系遊牧騎馬民族によって1526年から1858年までの約300年もの間インドを支配したイスラム王朝です。「ムガル」という名称は「モンゴル」が転化したもので、その子孫は13世紀にモンゴル平原を支配したチンギスハンに遡ります。ムガル帝国はデリーやアグラを中心に堅固な城壁を持つ城塞やイスラム教のモスクやミナールを建設しました。城壁はインド国内で出土される赤砂岩を用いており、鉄分を含んだ硬い性質や赤みを帯びたその色が特徴です。なかには当時の強国ペルシャの建築様式も取り入れている繊細な彫刻もあり、どれも世界遺産に登録されているものばかりで、見ごたえは十分です。

Humayun_4第二代皇帝フマユーンを偲んで妃が建てた「フマユーン廟」は赤砂岩をベースに白大理石の装飾が見事です。よく見ると正方形の庭園の中央に建つ建物の構図やドームやファサードの形が、かの有名なタージマハルにそっくりです。それもそのはず、後にタージマハルのモデルになったのがムガル帝国初期に建設されたフマユーン廟なのです。ムガル式建築の写真映えの良さにシャッターを押す手も止まらず、次の日に観光するタージマハルへの期待が膨らみます。

Agrafort_2そして、ついにインド=イスラム建築の最高峰と謳われる「タージマハル」にやってきました。タージマハルは第五代皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建設した霊廟であり、22年かけてつくられました。大理石が好きな皇帝は霊廟を総白大理石でつくらせ、庭園には美しい噴水もつくらせました。噴水の水路に反射する姿が美しく清らかな白亜のドームを眺めていると愛の象徴と言われている理由が納得できます。現地のガイドさんが「目で見るのではなく心で見てください」と言った言葉が印象的でした。午前中にタージマハルの観光を終え、午後は第三代皇帝アクバルの治世から皇帝の居城とされた「アグラ城」の観光です。「赤い城」の別名を持つアグラ城は赤砂岩の城壁で囲まれ、城壁内には皇帝の宮殿やハーレムの他、ヒンドゥー教の寺院やキリスト教の教会もあります。帝国の版図を拡大したアクバル帝が宗教に対して寛容であったことが、このことからもうかがえます。

アグラ城の一角、皇帝シャー・ジャハーンが幽閉されたという囚われの塔からはヤムナー川の対岸にタージマハルが見えました。少しの間、窓から遠くタージマハルを眺めていると、皇帝の愛する妃の霊廟を日がな一日眺めている姿が私たちの目にも浮かんできます。そんな皇帝の夢はヤムナー川を挟んでタージマハルの対岸の地に自身の総黒大理石の霊廟を建設することでしたが、失意のうちにこの世を去ります。もし、もう一つのタージマハルが完成していたら、きっと他に類を見ない世界遺産になったことでしょう。(小畑)

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