独立国家?北キプロス
先日「南北キプロス島を極める 8日間」のツアーより帰国いたしました。
キプロスは、8000年の歴史があるとも言われている、古代より人々が暮らしてきた島です。その地理的条件から、アッシリアやローマ、ペルシャやオスマンなど様々な帝国の支配下に置かれました。その為、キプロスでは紀元前14世紀の美と愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)を祀った神殿や、ローマ時代の劇場などの遺跡、聖堂やモスクなどを見ることが出来ます。
複雑な歴史的背景のあるキプロスは、北のトルコ側、南のギリシャ側との衝突により、1974年から現在もグリーンラインによって南北に分断されています。
本日は、そのキプロスの島の北側についてご紹介したいと思います。
キプロスの北部、北キプロス・トルコ共和国は国連にも認められていない国家です。唯一、トルコのみが“国家”として認めているのみです。
1974年、南北に分断されたあと、島民はもちろん、観光客も暫くは北と南を自由に行き来することは出来ませんでしたが、2007年からは北、南と自由に出入りすることが出来るようになりました。当時は1箇所だけだった通関所も現在では5箇所あります。
グリーンラインは、首都であるニコシアの街の真ん中を貫いています。南側のキプロスは、ヨーロッパ的な町並みが印象的ですが、緩衝地帯を抜け、北側に入ると、雰囲気は一気に変わります。トルコの古都イスタンブールなどでも良く見る、ドネルケバブのお店があったり、チャイを飲んでいる男性、バザールの中のような路地の多い町並みが見られます。そして、この場所が“南”でないと一番実感するのは、街にモスクがあることです。北ニコシアには、セリミエジャミィというモスクがあります。元々は教会だった建物をそのまま利用したものです。その為、ゴシック様式の建物は、外から一見すると、まるでカトリックの教会のようですが、よく見ると、隣にミナレットと呼ばれるイスラム教のお祈りの時間を告げるアザーンを流すための塔がたっているのです。中へ入ると、教会だった頃の名残はありますが、現在では絨毯が敷かれ、メッカの場所を示すミフラーブがあり、その隣には説教台であるミンバルもおかれています。
道の脇出ているレストランの案内には、メニューとともに料金がトルコリラで表示されています。アジアのような、中近東のような雰囲気の街を抜け、グリーンラインから南側へ戻ると、目の前にあるのは、ヨーロッパのような町並み。一瞬違う国へ迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えます。全く違う“国”が一つの街の中に存在しているというのが実感できる瞬間です。
地中海に浮かぶ四国の半分ほどの面積しかない小さな島・キプロス。様々な時代に、様々な帝国の支配を受けてきましたが、島の人々は温かく、とても気さくで、のんびりと生活する人々の姿に、またこの場所に戻って来たいと思わされました。(津波)
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