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2011年4月

2011年4月29日 (金)

世界遺産!クルシュー砂州の魅力

Desart

バルト三国より帰国しました。今回はリトアニアから入り、バルト三国の中でも最大の街、ラトビアのリガを通り最後はエストニアのタリンへ向かう、見所満載の8日間でした。
今回ご紹介したいのは、その中のひとつ、リトアニアのクルシュー砂州。クライぺダの港から、フェリーに乗ること10分あっという間に対岸へ。細長い砂州で、全長98㎞のうち、北側52㎞がリトアニア領、残りはロシアの飛び地、カリーニングラード州に属しています。
ここは、またの名をネリンガとも呼ばれています。ネリンガとはこの地に伝わる伝説に登場する巨人の少女の名前。遥か昔、この地に住みついて漁師たちの手伝いをしていた巨人の少女。ある時、大きな嵐がやってきて何年も漁が出来ない状態が続いていた時、ネリンガが自分のエプロンで砂を運んでこの砂州を作ったと伝えられています。おかげで漁師たちは、静かになった内海のクルシュー海で漁を再開することができたそうです。

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2011年4月28日 (木)

リオの熱い一日(ブラジル)

004  先日、『リオのカーニバル本選とブラジル大自然紀行』より帰国しました。ツアータイトルからもわかるように、今回はブラジルが一年で一番熱く輝く日、2日間にわたって繰り広げられる豪華絢爛の美の競演、リオのカーニバル。しかもその本選を観戦するツアーです。内容などは別としてカーニバルは世界中の至る所で行われていますが、リオのカーニバルはその中でも規模、華やかさ、そして盛り上がりともに世界一のカーニバルではないでしょうか。
 カーニバル当日、サンボドロモの会場で朝まで続くパレードに備え、日中はのんびりホテルで休息。と言っても、カーニバル期間中は夜のパレード会場だけではなく街中がお祭り騒ぎ。リオっ子はパレードを見るので003 はなく、各地域から発生するブロッコというカーニバル団体に混ざって仮装をしたり、太鼓を叩いたり、片手にビールなど持ちながら踊り練り歩きます。そして、みんながみんなエンジン全開、底なしのパワーがみなぎっています。そんな様子をただホテルから黙って見ているわけにはいきません。皆様とセントロ(旧市街)へ行くと、踊れや騒げ、の人・人・人。フルーツなのか香水なのかわからないが、甘い香りに包まれ魅惑的な街はより一層私たちを惹きつけました。街で売っているカーニバルグッズ(派手なカツラなど)を買い、準備万端でいざカーニバル会場へと向かいました。

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2011年4月27日 (水)

羊飼いの仕事も楽じゃない(キルギス)

Girls

先日、「中央アジア大周遊17日間」の旅より戻りました。キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの四カ国を駆け抜け、バスの総移動距離は約4,440キロメートルにも及びました。これは日本の札幌市から那覇市を往復した距離とほぼ同じ、また、世界最大規模の建築物である万里の長城のちょうど半分ほどの長さです。ところ変われば気候も変わるということで、カザフスタンでは雪が降り、かたやウズベキスタンでは30度を越える日もありました。雪を頂きに載せた天山山脈あり、ステップ(草原)あり、砂漠あり、玄奘三蔵訪れた地あり、シルクロード浪漫あり、ソ連、そして二次大戦後の日本人労働者の影ありと歴史好きの方にも自然好きの方にも見所満載の旅です。

この中央アジアの旅の移動中には放牧の羊の群れとよく遭遇しました。今回はキルギスの羊についてご紹介致します。キルギスは国土の90%が山地、4.2%が氷河の水資源豊かな山の国、面積は日本の半分ほどです。キルギス人が60%、あとはロシア人、中国人またその他の少数民族が住んでいます。キルギス人のおじいさんはフエルトの帽子を被り、既婚女性はスカーフで髪を覆います。もともと遊牧騎馬民族であるキルギス人にとって、羊は昔から大切な動物です。伝統的な移動住居「ユルタ(モンゴルではゲルという)」の材料にも羊の毛から作ったフエルトや絨毯を使うし、結婚式やお葬式の大切な儀式の時には必ずベシュバルマック(5本の指)と呼ばれる羊料理を出します。これは麺の上に羊肉をのせ、ブイヨンスープをかけたお料理で、昔はこれを素手で食べていたため「5本の指」という名前がついたそうです。残った骨付き肉のどこの部位を誰に出すかがとても重要らしく、これを間違えたら失礼にあたるので、取り分け方を近所の長老などの指示を仰ぐそうです。

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2011年4月26日 (火)

ケニア・タンザニアでサファリ三昧!

002_2 ケニア・タンザニアのツアーより帰国致しました。ベビーブームがひと段落のこの時期でも、たまーに顔をみせる動物の子供にも会うことが出来ました。ケニアのナイロビ空港から、さっそく4WDに乗って出発。このツアーはバスを使わずに4WDに乗っての移動。まずはケニアのアンボセリ国立公園に向かいます。
国立公園のゲートに着いたのは夕方、ゲートをくぐるとちょうど夕陽の時間。真っ赤に沈みゆく太陽を見ながらアフリカの大地に来たことを実感します。ホテルに向かうまでの間も動物は?どこ?いる?ときょろきょろしたくなります。遠くに沈む夕陽を見ながら、最初に会ったのはシマウマの群れ。なんとキュートなお尻!自然の中を走り回る故、鍛えられた脚線美とその美しすぎる身体に、ホレボレ・・・。気分も盛り上がります!車が止まるとそのつぶらな黒い瞳を一瞬こちらに向けたかと思うと、さっと身を翻しプリプリのお尻をこちらに向け一目散に駈け出してしまいます。故に、撮った写真にはお尻ばかりが写ってしまうという結果に・・・。

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2011年4月25日 (月)

優しい空気に包まれて~幸せ溢れるマルタ・ゴゾ島~

002  先日「マルタ島を極める 8日間」の添乗より帰国致しました。「マルタって一体どこにあるの?」と思われる方も少なくないでしょう。それもそのはず、マルタは地球儀で見ると、国旗のマークに隠れてしまうほどの小さな国。皆さんご存知のイタリア・シチリア島より南に約95kmの地点、地中海の真ん中に浮かぶ島国です。マルタ島、ゴゾ島、コミノ島(なんとコミノ島は人口2人!)の人が住んでいる3つの島と2つの無人島から成っています。これら全てを合わせてもなんと淡路島の約半分ほどの面積しかありません。ガイドさんによると、バスで約1時間半も走れば一番大きなマルタ本島でも端から端まで移動する事ができるそうですが、町を歩けば、16世紀にヨハネ騎士団が残したたくさんの美しい建築物が残っているし、エジプトのピラミッドより約千年も古いといわれる世界最古の石造神殿跡に出会えます。小さな島国の中には多くの見所が凝縮しているのです!
 さて、私たちがマルタを訪れたのは春真っ盛りの4月上旬。地中海のそよ風が運んだ緑の香りや、車窓から見えるミモザやハナズオウなど、黄色やピンクの野花があちこちに咲きマルタ観光をより一層楽しませてくれました。観光前半はゴゾ島にたっぷり二日間の滞在。マルタ本島からフェリーで地中海を渡ること約30分、島の景観はどことなくのんびり長閑な雰囲気でした。素朴なハチミツ色の石造りの家々と一面に広がる菜の花畑、そして観光客慣れしていない地元の人々の笑顔・・・昔からマルタの人々に「アウデシュ(木の葉の形をした島)」の呼び名で親しまれたゴゾ島は、そんな優しい印象でした。いつもマルタ本島のおまけと思われがちなゴゾ島。今日はそのゴゾ島の魅力をご紹介させて頂きます。

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2011年4月22日 (金)

イランで過ごすお正月~ノウルーズ~

Novruz

先日、「イラン・イスラーム紀行 11日間」より帰国致しました。日本では春分の日に当たる3月21日は、イランではお正月です。この期間、学校は前後2週間、会社も1週間ほどお休みになります。私たちがテヘランに到着した日は年末最後の金曜日(イスラム教の休日)でした。首都テヘランにある、イラン革命の指導者ホメイニ廟の近くには大きな墓地があり、周辺の道路はお墓参りに行く家族連れの車で大渋滞でした。国や宗教が違っても、祖先を敬う気持ちは世界共通です。また年末の大掃除やお年玉、お正月料理を作るという日本と似た文化もあります。
空港やホテルのロビーなどでは、ハフトシンという日本のお正月飾りのように縁起物が飾られていました。ハフトシンは「7つのS」が付くもので、りんご・金貨・麦や豆を発芽させたもの・にんにく・酢・サマヌという麦芽のお菓子・スパイスなどがテーブルに並びます。

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2011年4月21日 (木)

時代を超えて調和された町レッチェ(南イタリア)

Flowerblogtemplate 関東の桜が見頃になった4月4日に出発した「南イタリアを極める旅10日間」より帰国しました。現地では、さくらんぼの木が桜のような花を咲かせ、ちょっとしたお花見気分を感じることができました。

このツアーでは、南イタリアのプーリア州・バジリカータ州・カンパーニャ州を巡りました。北イタリアのローマやフィレンツェのような大都市の垢抜けた感じはありませんが、オリーブ畑やブドウ畑、さくらんぼ畑が広がる大地の豊かさとのどかさ、アドリア海やイオニア海などの雄大で美しい景色は穏やかな気分にしてくれるものでした。

いろいろと心に残る景色や歴史のある地域を巡ってきましたが、バロック装飾の建物が立ち並び旧市街に華やかさを醸しだしていたレッチェが最も印象的でした。

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2011年4月20日 (水)

みんなが主役!ほっこりマルタのカー二バル

Carnival

3月上旬に「南北キプロス島とマルタ島・ゴゾ島」の旅より帰国しました。今回はマルタでカーニバルを見学ということで通常の旅に一日追加した10日間でご案内しました。
地中海に浮かぶ二つの国は飛行機で約3時間ほどの距離。歴史的を見てみれば共通する部分もあり興味深いです。例えば聖ヨハネ騎士団。彼らはエルサレムを後にしてからキプロス島に滞在、そして海を渡りロードス島を経てマルタ島へ。マルタでは圧倒的有利と言われたイスラム勢に対し奇跡的な勝利を得ます。また、キリスト教の伝道者、聖パウロが訪れた場所もそれぞれの島に残っていて、伝教に一生を捧げたパウロの長い旅を想像するのも面白いです。
本日はマルタのカーニバルをクローズアップしてみようと思います。この時期、世界中で行われるカーニバル。(カーニバルの語源等に関しては奥谷添乗員の書いた4/7の添乗見聞録「南欧の春便り、カーニバル(イタリア・フランス)」をご覧下さい。)
島民の9割がカトリック教徒のマルタでも盛大に祝います。マルタ島は「地中海のへそ」と呼ばれ、その大きさは東京23区の半分ほど。先に訪れたキプロス島と比べてみると、29分の一の大きさの小さなのんびりとした島です。島の主な収入源は観光業で、夏には、欧州からたくさんの人がリゾート地としてこの土地を訪れます。

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2011年4月19日 (火)

マルタの猫バスに乗って(マルタ島)

Photo先日、マルタ共和国の添乗より帰国いたしました。
マルタ共和国は、マルタ本島、ゴゾ島、コミノ島の有人島3島と、いくつかの無人島から成る島国で、全ての島を併せても、屋久島の半分ほどしかありません。大変小さな国ですが見どころは多く、ヨハネ騎士団が築いた城塞都市や、新石器時代に形成された世界最古の巨石遺跡の数々、ホメロスの叙事詩『オディセイア』の英雄オディッセウスが女神カリプソと7年間過ごしたとされる愛の洞窟など、興味深い観光地がたくさんあります。 2
 本日は、そんなマルタ島の風物詩、マルタの路線バスを紹介いたしましょう。マルタ島の人々の重要な交通機関ともなっている路線バスは、キュートな車体が印象的です。実は、宮崎駿氏の『となりのトトロ』に出てくる猫バスのモデルになったとも言われ、日本人観光客からは「猫バス」の愛称で親しまれています。なるほどよく見てみると、猫顔のボンネット。しかも、ひとつひとつ、微妙に顔だちが違い、大変ユニークです。
マルタ島の主要都市には、たいていこの路線バスが走っていて、小さな島国らしく、どの都市にも1時間以内でアクセスが可能です。今回、私達は、自由時間を利用してこの猫バスに乗車してみました!バス停には、時刻表は見当たらず、やってくるバスを待たなければなりません。のんびりとしたマルタ時間を実感します。
バスがやってくると、いよいよ乗車。まず、バスの運転手さんに乗車運賃を払います。料金はゾーンによって決まっていますが、1ゾーンなら47セント(マルタはユーロが導入されています)ととても経済的。1ゾーンで20分~30分くらいは移動できます。地元の人はきっちり47セント支払っていましたが、小銭の持ち合わせがない私達には、ひとりひとりお釣りを渡してくれます。そのために時間がかかってしまい、なかなか出発できませんが、ここはマルタ島です!誰も文句を言わず、待ってくれました。乗り心地は、ガタガタと揺れて今ひとつですが、乗り合いバスらしく現地の人々と交流を楽しめる点も魅力です。
降りるときは、天井からぶら下がっている紐をひっぱると、チンチーン!と鐘が鳴って、停車。一応バス停もありますが、走って乗り込んできたり、自分の降りたいところで鐘を鳴らしてスピードを落としてもらったり、わりと融通が利くようでした。

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2011年4月18日 (月)

今年は日独交流150年!~ドレスデンとベルリンを訪ねて~(ドイツ)

Sakurablogtemplate弊社25周年記念ツアー、「ドレスデンとベルリンの休日 8日間」より帰国致しました。4月初旬のドイツ。寒いかと心配しましたが、ちょうど日本と同じような春の気候。ドレスデンとベルリン、その周辺の都市も訪ねた8日間。今年は例年より暖かい日が続いたそうで、なんとドレスデンでは桜が満開でした。さて、今年は日独国流150周年。ベルリンを都としたプロイセン王国の東方アジア遠征団が江戸幕府と修好通商条約を結んだのが1861年。その年から150年に当たるのです。

 ドイツ各地の歴史ある町々の建造物は神聖ローマ帝国の名の下、中世から力を持っていた小国の名残。18世紀半ば、プロイセン王国で最も繁栄した時代を築いたフリ-ドリヒTatemonoblogtemplate 大王が過ごした離宮の一つがポツダムの「サンスーシー宮殿」です。ドレスデンからベルリンに向かう途中に立ち寄った宮殿には神話の神や女神の彫刻が施され、その背後には広大な庭が続いています。庭の階段にはブドウやイチジクが栽培されており、下から宮殿を見上げると、それらの木々や植物、クリーム色の宮殿の色がうまく調和しています。庭の一角には王の希望で愛犬達も並んで墓があります。なぜか、墓石の上にはジャガイモが花の代わりに供えられていました。華やかだけれども、啓蒙思想家の王は質素倹約?南米から入ってきたジャガイモを村人に栽培させ一般に広めさせたのがフリードリヒ大王だからだそうです。今では、ドイツ料理の付け合せといったらジャガイモ、ベルリンの名物料理の一つもジャガイモスープ。旅の間も、美味しくジャガイモをいただきました!

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2011年4月15日 (金)

バレンシアの人々の願いをのせて(スペイン)

フラメンコのファヤ

先日、「バレンシアの火祭りとラ・マンチャ、アラゴンの古都を訪ねて」のツアーより帰国致しました。遠くから見ても、近くから見ても日本の桜そっくりのアーモンドが開花しており、一足早い春の訪れを感じる事ができました。さて、本日は、一年に一度、3月19日のサン・ホセの日にスペイン第三の都市バレンシアで盛大に行われる火祭りについてご紹介いたします。サン・ホセは、スペイン語で聖ヨセフ、聖母マリアの夫でイエス・キリストの父親です。ホセは、大工の仕事をしていた為、大工職人の守護聖人として大切にされており、昔から、サン・ホセの日(3月19日)に古い材木や木屑などを集めて大きな焚き火をする習慣が大工たちの間で受け継がれていました。ある時、張子の人形を作り、火の中に投げ入れたのがこのお祭りの始まりです。現在では、1年も前から競って構想を練り、風刺の効いたテーマが取り上げられるようになりました。旧市街には、人形(ファヤ)が大小合わせて約300もあり、火を放ち出た煙が人々の願いを天へ届けてくれるというわけです。

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2011年4月14日 (木)

一生に一度は見たいお祭り「リオのカーニバル」は正真正銘世界一の祭りだった!

001_2 この度、「リオのカーニバル本選とブラジル周遊」より帰国しました。
このツアーは「リオのカーニバル」の観戦を目的としながらも世界三大瀑布のイグアスの滝を訪れたり、世界一の川、アマゾンでピラニア釣りを楽しんだりするツアーです。
リオのカーニバルとは、バイア地方(州都サルバドール)で生まれたアフロブラジル音楽を源に、リオで花開いたサンバ・カリオカ。この音楽を楽しむ人の輪がリオの貧民街に広がり、ブロコとよばれる街頭の小さなグループが誕生しました。グループが次第に統一、組織化され、1928年最初のエスコーラ・デ・サンバ(サンバ学校)という団体が生まれました。そして、1932年にある新聞社が主催してサンバの曲のコンクールを行ったことが、エスコーラのコンテストの始まりとなったのです。
カーニバルの本選は、一軍の12チームが2日に分かれて6チームずつ戦い優勝を競い合います。私達のグループは1日目を観戦しました。夜9時、サンポドロムと呼ばれる会場でいよいよカーニバルがスタート!各チームの持ち時間は80分。ここで一年かけて作り上げた山車や衣装、練習してきた踊りを披露します。普段は貧民街で暮らしている人々が、年に一度、世界中の人々の見守る中でスポットライトを浴びる場でもあるのです。

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2011年4月13日 (水)

ビスターリ、ビスターリ!(ゆっくり、ゆっくり)シャクナゲが彩るエベレスト街道(ネパール)

Rhododendron

先日「エベレストを仰ぐ、ヒマラヤトレッキング12日間」のツアーより帰国いたしました。世界の屋根エベレストのへ向かうエベレスト街道を6日間かけて歩くツアーです。3月の終わりということで、ネパールの国花であるシャクナゲや桜や桃など春ならではの色鮮やかなお花も愛でながらエベレストの山もばっちり眺めることもでき、雄大な山の世界を堪能したツアーとなりました。

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2011年4月12日 (火)

テキーラの故郷へ行ってきました!(メキシコ)

001 先日「メキシコ世界遺産大紀行18日間」より帰国致しました。ツアータイトルにもあるとおり、このコースの魅力は29あるメキシコの世界遺産のうち19箇所をバスで巡る点です。メキシコを代表する世界遺産、ピラミッドで有名な古代遺跡チチェンイッツァやテオティワカンはご存知の方も多くいらっしゃるかと思いますが、今回はカラフルな町並みに思わずカメラを向けてしまうような、北部の町々、グアダラハラやグアナファト、サン・ミゲル・デ・アジェンデなどスペイン植民地時代の姿を色濃く残すコロニアル都市まで足を延ばしました。

一言に「世界遺産」といっても、全てが遺跡や町や建物などと言った目に見えるものばかりではありません。今回訪れた世界遺産のひとつ「古代テキーラ産業施設群」はメキシコ銘酒のあの「テキーラ」を造る過程が登録されているのです。

メキシコ第二の都市でありハリスコ州の州都でもあるグアダラハラからひたすら真っ直ぐ伸び003 る国道を走ること約80キロ、辺りはカラカラに乾ききったゆるやかな丘陵地が広がりはじめ、そこに銘酒の故郷テキーラ村はあります。テキーラの原料、竜舌蘭(アガペ)は雨が少ない、水はけの良い火山灰地質の土地を好むのです。放射状に伸びた、たくさんの棘が、まるで竜の舌の形に似ていることから名づけられた“竜舌蘭”。近くで見ると、そのとげとげしい、厳つい風貌に一瞬驚いてしまいました。でも刈り取り職人(ヒマドール)によって特殊な鎌で、その一つ一つの棘が切り落とされると、まるでパイナップルの様な丸い姿に変わります。アガペはこの容姿になり、はじめてトラックにどさっと詰まれ、村の醸造所へと運ばれるのです。

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2011年4月11日 (月)

春をお祝いしよう~ナウルズ祭~(ウズベキスタン)

Oshare_2

 先日、「ナウルズ祭りに行く!ウズベキスタン大周遊」より帰国しました。今回は通常の観光に加え、春の到来を祝う「ナウルズ祭」も楽しむツアーでした。ウズベキスタンでは、日本と同じ様に、暦上、3月21日から春を迎えます。他の中央アジア諸国でも同様に、この日は「ナウルズ」と呼ばれ、お祭りの祝い方の違いはあれ、中央アジア一帯で春の喜びに包まれる日となります。
 ウズベキスタンの「ナウルズ」は、派手な催しがあるわけではありませんが、各都市で開かれる小さなイベントに人々はおめかしをして出かけ、人々はこの時期に合わせて親戚や友人の家を訪問し、民家ではいつでもおもてなしができるようにごちそうを用意しています。また、3月21日に限らず、その前後も「ナウルズ」の期間としてお祝いムードが続き、ほほえましい飾り付けと、各所で見頃を迎えていた杏の花が街を彩っていました。

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2011年4月 8日 (金)

オンリーワンのブータン王国

Festivalblogtemplate先日、「高級リゾート・ウマパロで過ごすブータンの休日」のツアーから帰国いたしました。
ツアー日数は6日間と短いもののパロではブータン指折りのリゾートホテル「ウマ・パロ」に滞在し、ブータン最大のお祭り(パロ・ツェチュ祭)で有名なパロの観光と首都ティンプーの観光と日本では滅多に味わえないのんびりとした田舎の時間をお楽しみいただきました。
ブータン王国はヒマラヤの山麓に囲まれた小さな国です。長らく鎖国していた歴史もあり、ブータン独自の歴史や伝統、文化が色濃く残っています。東南アジアは、経済発展が著しくとても元気な印象がありますが、ブータンは独自の道を進んでいます。周辺諸国の経済発展に流されることなく、むしろ逆行している感もあります。というのも、第4代目の前国王様は国民を心から大切に思い、Familyblogtemplate 国民の幸福が国王本人の幸福であり、ひいては王国の幸福であると考えていたようです。そもそも幸福とはどのような状態のことをいうのでしょうか。前国王は経済発展が必ずしも全国民を幸福にできるとは考えませんでした。むしろその影響から貧富の格差も生まれ、人間関係を悪くしてしまうこともあるでしょう。
そこで目をつけたのが独自の伝統、文化でした。ブータンの公用語ゾンカ語の教育、民族衣装の着用義務化(男性はゴ、女性はキラ/日本の着物の様なもの)など。確かにブータンに到着した途端、「あぁ、ここは違う国なのだ」と実感できます。空港の建物もブータンの伝統的な建築でできており、空港の職員さん達も民族衣装で仕事をしています。
経済指標は決して高いとは言い難く、家々は戦後の日本のそれに見え、どうしても貧しそうな生活に見えてしまう一方で、どこか懐かしくもあるのです。

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2011年4月 7日 (木)

南欧の春便り、カーニバル(イタリア・フランス)

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先日、「ヴェネツィア・ニース・マントン・ヴィアレッジョの祭典を楽しむ 8日間」の添乗より帰国しました。このツアーは、イタリア・ヴェネツィアから始まりフランスのニースまで、春の訪れに華やぐ南欧のカーニバルを追いかけ、いつもとは異なった雰囲気を楽しもう!という季節限定の旅。

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2011年4月 6日 (水)

イエスゆかりの地を訪ねて(イスラエル)

Photo

四国とほぼ同じ面積のイスラエル。8日間でその半分をバスで巡る「ビジット・イスラエル」は、野花咲くゴラン高原から始まり、砂漠地帯のリゾートと呼ばれる海抜-400mの死海、そして世界三大宗教の聖地エルサレムまで、それぞれの町で移り変わる景色を十分に堪能できたツアーでした。

どの場所も印象に残っていますが、中でも、イエス・キリストゆかりの地は強く心を揺さぶられました。というのも、添乗で訪れる国でご案内する教会や美術館などで、キリストの生涯、奇跡の話に触れることが多いため、旧約聖書、新約聖書の有名な場面を本で読みイメージするのですが、イスラエルを訪問すれば、聖書に出てくる場所が目の前に存在するのです。添乗員でさえも一度は訪れたい国の一つと言えるかもしれません。マリアが受胎告知を受けたナザレ、イエス生誕の地ベツレヘム、奇跡が起きたガリラヤ湖畔、最後の晩餐、ゴルゴダの丘があるエルサレム・・・どの場面をとっても、イエスが過ごした土地の大部分がイスラエルにあると思うと、感動もひとしおです。特にエルサレムは多くの巡礼者、観光客で、イエスが歩いたヴィア・ドロローサはいつも人で渋滞しています。ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)とは、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩く道を意味し、全長1キロの道中におこった出来事は14ヶ所(ステーション)に分けられ、最後ゴルゴダの丘でイエスが磔刑になった場所は現在、聖墳墓教会が建ち、ギリシャ正教、ローマカトリック、エチオピア正教、コプト教、アルメニア正教、シリア正教の6つの宗派が管理しています。

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2011年4月 5日 (火)

人々を魅了する聖なる川、ガンジス川

Ganga2

先日「インド世界遺産紀行10日間」の添乗より帰国しました。
インドが世界に誇る石窟寺院アジャンタ、エローラ遺跡を訪れ、 最後はインドの代名詞ともいえる白亜色に輝くタージマハルをご覧頂く、北インドの魅力を凝縮したツアーです。
今回は、インドを訪れたお客様が最も印象に残った場所としてあげられる事の多い、「ベナレスのガンジス川での沐浴風景」についてお話させて頂きます。

弊社のツアーでは、インドのベナレスで早朝のガンジス川をご案内しています。
ベナレスは母なる河ガンジス川が流れる場所で、 インド人が一生に一回は訪れたいと願っているヒンドゥー教徒の聖地です。 ベナレスの観光では、朝もまだ日も昇らない薄暗い中、朝の沐浴風景を見るために出発します。今回は2月の下旬に訪れたのですが、ヒンドゥー教の三大神シヴァ神の結婚した日と丁度重なり、 通常の3倍以上のインド人が、ベナレスに集まっていました。

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2011年4月 4日 (月)

アーモンドの木の下でお花見(モロッコ)

Tree_3先日、「フェズ・マラケシュ・エッサウィラ、憧れのモロッコへ」の添乗より戻りました。
このツアーではモロッコ旅行で必ず訪れたいフェズやマラケシュの旧市街にあわせてエッサウィラ、エルジャディーダといった大西洋沿いのポルトガル風の港町を訪れます。モロッコ国内は全てバス移動でツアー中の走行距離約2500km。雪を頂くアトラス山脈を越え、4WDに乗り換えてサハラ砂漠を走ると毎日様々な風景を楽しめました。

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2011年4月 1日 (金)

【共通テーマ】私のパワースポット

3blogtemplate誰もが知っている英国の世界遺産「ストーンヘンジ」。いまだ謎がたくさんあり、作られた目的は、聖地、天文台、太陽崇拝の祭祀場、治療の場、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂等と諸説ありますが、はっきりとしたことはわかっていません。それでも、この地が何か特別な場所だったからストー2blogtemplateンサークルが作られたことは確かです。現在、ストーンヘンジの見学の際には、整備された遊歩道の上を歩くので、巨石に近づいて見学することはできません。しかし、英国にはストーンヘンジ以外にも、キャッスルリッグやエイヴベリーのストーンサークルがあります。こちらには遊歩道もなく、自由に見学することができます。私が訪れた時に驚いたのは

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