2011年4月25日 (月)

優しい空気に包まれて~幸せ溢れるマルタ・ゴゾ島~

002  先日「マルタ島を極める 8日間」の添乗より帰国致しました。「マルタって一体どこにあるの?」と思われる方も少なくないでしょう。それもそのはず、マルタは地球儀で見ると、国旗のマークに隠れてしまうほどの小さな国。皆さんご存知のイタリア・シチリア島より南に約95kmの地点、地中海の真ん中に浮かぶ島国です。マルタ島、ゴゾ島、コミノ島(なんとコミノ島は人口2人!)の人が住んでいる3つの島と2つの無人島から成っています。これら全てを合わせてもなんと淡路島の約半分ほどの面積しかありません。ガイドさんによると、バスで約1時間半も走れば一番大きなマルタ本島でも端から端まで移動する事ができるそうですが、町を歩けば、16世紀にヨハネ騎士団が残したたくさんの美しい建築物が残っているし、エジプトのピラミッドより約千年も古いといわれる世界最古の石造神殿跡に出会えます。小さな島国の中には多くの見所が凝縮しているのです!
 さて、私たちがマルタを訪れたのは春真っ盛りの4月上旬。地中海のそよ風が運んだ緑の香りや、車窓から見えるミモザやハナズオウなど、黄色やピンクの野花があちこちに咲きマルタ観光をより一層楽しませてくれました。観光前半はゴゾ島にたっぷり二日間の滞在。マルタ本島からフェリーで地中海を渡ること約30分、島の景観はどことなくのんびり長閑な雰囲気でした。素朴なハチミツ色の石造りの家々と一面に広がる菜の花畑、そして観光客慣れしていない地元の人々の笑顔・・・昔からマルタの人々に「アウデシュ(木の葉の形をした島)」の呼び名で親しまれたゴゾ島は、そんな優しい印象でした。いつもマルタ本島のおまけと思われがちなゴゾ島。今日はそのゴゾ島の魅力をご紹介させて頂きます。

ゴゾ島には古くから伝わるこんな伝説があります。「ギリシャ神話の英雄オデッセイスがト003 ロイ戦争の帰途、乗船していた船が難破し、部下たちは皆、海の藻屑と消えていった。しかしオデッセイスだけが美しい水の女神カリプソに助けられ、二人は大海に浮かぶオーギュギアーの小島の洞窟で長い年月を過ごし愛し合っていた。しかしオデッセイスは遠い故郷に残してきたままの妻と息子への思いを断ち切れず、ある日、すがって別れを惜しむ女神を振り切り故郷を目指し再び旅立っていった。」現在残るこのカリプソ洞窟は一見、殺風景な場所に映りますが、どことなくじめっとしていて、まるではるか昔の伝説の主人公、女神カリプソの切ない思いが詰まっているかのようでした。オデッセイスと別れた後、カリプソは一体どんな思いだったのだろう、その後も彼の帰りを待っていたのだろうか・・・など想像は膨らんでいきますが、真実を知るものは眼下に広がる真っ青な大海だけなのです。

そして、ゴゾ島の魅力はなんと言っても町の中心・ヴィクトリアを無くしては語れません!別名「ラバト(町の中心)」と呼ばれ、1551年には攻め入るオスマントルコ軍とマルタ騎士団との戦いの舞台となりました。トルコ軍は働き盛りの大人から子供まで男女1000人を捕らえ、その多くは北アフリカで奴隷として働かせていたそうです。しかし、当時マルタ領主になったばかりのマルタ騎士団は生き残った島民をヴィクトリアの町のてっぺんにあるチタデル(大城塞)に集め保護し、城塞内で寝泊りをするように命じました。このチタデルは当時にしては珍しく大砲や小銃の発達に適応した最新式の造りでした。現在残るチタデルはそこから更に増強されもので、中には大聖堂も造られています。建築費用が足りなかったせいで、天上のドーム部分はだまし絵でそれらしく描かれていることに当時の画家のユーモアを感じます。

001 そしてゴゾ島の名産といえば、16世紀からドレスやベールなどの宮廷衣装のアクセントとして使われたボビンのゴゾレース。チタデルに迷い込むとまるで中世の世界にタイムスリップしたかのような錯覚に陥り、その一角にひっそりと素敵なゴゾレースのお店は佇んでいました。素朴であるけれども一つの作品を仕上げるには相当な根気を要し、年々レース編みをする女性は少なくなっているといいます。小さなコースターでも実際に手にとって見ると、目には見えない作り手のあたたかさを感じます。日本で過ごす忙しい日々の中では、すっかり忘れかけていた、人と人との温かさや太陽の光、花々のありがたさ、そしてはるか遠い昔の在りし日に思いを馳せてみる想像力。マルタを訪れて、少しだけ幸せの原点に返れたような気がします。(三橋)

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