2011年4月27日 (水)

羊飼いの仕事も楽じゃない(キルギス)

Girls

先日、「中央アジア大周遊17日間」の旅より戻りました。キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの四カ国を駆け抜け、バスの総移動距離は約4,440キロメートルにも及びました。これは日本の札幌市から那覇市を往復した距離とほぼ同じ、また、世界最大規模の建築物である万里の長城のちょうど半分ほどの長さです。ところ変われば気候も変わるということで、カザフスタンでは雪が降り、かたやウズベキスタンでは30度を越える日もありました。雪を頂きに載せた天山山脈あり、ステップ(草原)あり、砂漠あり、玄奘三蔵訪れた地あり、シルクロード浪漫あり、ソ連、そして二次大戦後の日本人労働者の影ありと歴史好きの方にも自然好きの方にも見所満載の旅です。

この中央アジアの旅の移動中には放牧の羊の群れとよく遭遇しました。今回はキルギスの羊についてご紹介致します。キルギスは国土の90%が山地、4.2%が氷河の水資源豊かな山の国、面積は日本の半分ほどです。キルギス人が60%、あとはロシア人、中国人またその他の少数民族が住んでいます。キルギス人のおじいさんはフエルトの帽子を被り、既婚女性はスカーフで髪を覆います。もともと遊牧騎馬民族であるキルギス人にとって、羊は昔から大切な動物です。伝統的な移動住居「ユルタ(モンゴルではゲルという)」の材料にも羊の毛から作ったフエルトや絨毯を使うし、結婚式やお葬式の大切な儀式の時には必ずベシュバルマック(5本の指)と呼ばれる羊料理を出します。これは麺の上に羊肉をのせ、ブイヨンスープをかけたお料理で、昔はこれを素手で食べていたため「5本の指」という名前がついたそうです。残った骨付き肉のどこの部位を誰に出すかがとても重要らしく、これを間違えたら失礼にあたるので、取り分け方を近所の長老などの指示を仰ぐそうです。

Sheeps

1930年代のソ連の社会主義政策下で遊牧民は定住化させられましたが、相変わらず羊は身近な動物です。キルギスでは羊の放牧は10軒ほどの家が協力して行います。それぞれの家から交代でその日の放牧係りを出し、朝に羊を集め、一日中少しずつ動いて草を食べさせ、夕方にはまたそれぞれの家に帰らせます。羊の背中にペンキで色が塗ってあり、どの家のものか見分けられるようにしてあるそうです。羊は一匹では動けない動物で、もし一匹家を間違えてしまったら、その家に戻すのに重い羊を持ち上げないと動かせないそう。現地のキルギス人のガイドも羊飼いの経験がありました。素人の私から見ると、自然と動物と一日中付き合う仕事はほのぼのとしていてなんだか憧れるのですが、実際はなかなか大変なのだそうです。雨の日や雪の日でも家に草がないから放牧させなきゃならないし、羊の迷子を出さないようにしたり、各家に羊を仕分けるのも結構な労働だそう。しかし、何より大変なのは時間が過ぎるのが遅いことと言っていました。携帯電話で話をしている羊飼いのお兄さんをよく目にし、大自然の中に現代的な道具が入り込んでいるそのギャップにはじめは驚いたものですが、その話を聞いてから納得がいきました。また、犬が羊を集めるものと思っていたら、「ニュージーランドの犬は賢くてそういうことをするみたいだけどこちらの犬は吠えるだけだよ」とのこと。国が変われば犬の役割も違うのですね。

Carpet

写真は伝統的なキルギスの模様です。こちらは絨毯を撮ったものですが、民家のベランダなどにもよくこの模様があしらわれていました。この模様、実は羊の角をモチーフにしたデザインだそう。そう言われてみればなんとなく分かります。面白いですね。

最後にお伝えしたいことがあります。中央アジア各地で会う人会う人、例えば国境管理員のお兄さんだったり、バザールの果物を売っているおじさんだったり、ホテルのスタッフだったり、日本の東日本大震災のことを心配し、声をかけてくれました。日本は大丈夫か、あなたの家族は大丈夫か、とても残念に思う、早い復興を願っている、などと温かい声ばかりです。地震という英単語を知らない人たちもみんなジェスチャーで伝えてきてくれます。ブハラで出逢った神学校の職員の女性は、「私はテレビで映像を見て、泣きました、私の小さな子供たちも涙しました」と伝えてくれました。日本人にはあまり知られていない中央アジアの国々。そこに住んでいる人々はとても温かい人たちです。(名倉)

中央アジアのツアーはこちらから

|

アジア情報」カテゴリの記事

世界の民族情報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。