2011年6月 8日 (水)

ヨーロッパとアジアの十字路イスタンブール ~ガラタ塔、そして遊覧船から眺望~

Istanbul

先日、「トルコ周遊とカッパドキア 10日間」のツアーより帰国致しました。
このツアーはトルコの西側半分を周遊しますが、今回は最後に訪れるトルコ最大の都市のイスタンブールについてお話し致します。

トルコといえば国民のほとんどがイスラム教を信仰するものの政教分離政策を取っていますが、特にイスタンブールはその影響が顕著に見られます。そのことは街中を見渡せば一目瞭然。例えば市内には大きなドームと細長いミナレットを持つモスクが点在しており、1日5回の礼拝時間の前にはアザーンが響き渡りますが、そうかと思えば、繁華街ではパリジェンヌ顔負けのファッショナブルな女性が闊歩し、レストランでは地元の人たちも普通にビールやワインを飲んでいる姿を目にします。これもイスタンブールはアジアとヨーロッパを有しているからではないでしょうか。もっと具体的に申しますと、南のマルマラ海から北の黒海を結ぶボスポラス海峡によりアジアとヨーロッパの2つの大陸が隔てられているのです。さらに同じヨーロッパでも、金角湾を挟んで、北の新市街と南の旧市街ではがらりと雰囲気も違います。

Galata

今回の旅では8日目の午後の観光で、もともと予定に入っていなかった新市街に位置するガラタ塔にも急遽ご案内することになりました。このガラタ塔は14世紀に建てられた高さ67mの塔で、地上53mのところに展望台があります。もちろん建設当時は階段で上がっていたのですが、現在はエレベーターでらくらくと上がることができます。そして展望台からはイスタンブールの街並みを360度眺望することができます。まず私たちの目に入ったのは金閣湾。ガラタ橋の向こうには、6本のミナレットを持つブルーモスク、その左側には4本のミナレットのアヤソフィアを見ることができました。さらにその左側には半島の先端のようになっており、その一帯に見えたのがトプカプ宮殿です。以上3つの箇所はこの日の午前中の観光で訪れましたが、思いもかけず全景も俯瞰できることとなり本当にラッキーでした。
さらにその左側に目をやると奥には別の大陸が見えてきましたが、これがアジア大陸です。イスタンブールの観光ではアジア側には足を踏み入れないものの、このツアーでは首都アンカラから7日目のチャナッカレでダーダネルス海峡を渡るまではずっと向こうの大陸をバスで移動してきたんだなと思うと何か感慨深いものになりました。そしてさらに左にはボスポラス海峡が通り、奥のほうには大きな吊り橋のボスポラス大橋も見えました。

その翌日、私たちはホテルを出発し、エミノニュ港(金閣湾の旧市街側)へ行きました。ここには大小様々な船が泊まっていましたが、それよりもまず私たちの目に飛び込んできたのがサバサンド屋さんでした。炭火で焼かれるサバの香りの誘惑には勝つことができず(もちろん私も)、別腹ということで(スイーツではないですが・・・)皆その場で買って食べていました。サバサンドとは20~30cmのフランスパンに焼きたてのサバと、タマネギやトマトなどをはさんだものですが(お好みにあわせてレモン汁もかけたりすることもできます)、これが不思議とマッチし、日本人の口に合うこと間違いなしです。そしてかなりのボリュームなのでほとんどの方が1つを2人で分け合っていました(ちなみに私は1人で1つ食べました)。お値段は5トルコリラ(300円弱)。安い!
サバサンドで腹ごしらえの後、私たちはチャーター船に乗り、エミノニュ港を出航。左側には昨日行ったガラタ塔が聳え立ち、船がガラタ橋をくぐり抜けるとマルマラ海が広がってきましたが、私たちの船は左に進路を変えボスポラス海峡へ入りました。するとすぐに左手(ヨーロッパ側)には荘厳な建築物が見えてきましたが、これがオスマン帝国末期のスルタンの居城であったドルマバフチェ宮殿です。ボスポラス大橋をくぐり、今度は右手(アジア側)にオスマン時代の離宮であったべイレルベイ宮殿が。旧市街のトプカプ宮殿も含めて、オスマン時代のスルタンは海の見える風光明媚なところに居城や離宮を造りたがるのがここで理解できました。そして船は奥へ進みます。第2ボスポラス大橋の手前で一気にスピードダウン。何故?すると前方に多数のヨットが!実はこの日ヨットレースが行われていたのです。私たちの船はヨットの邪魔にならないよう恐る恐る間を通りましたが、余裕のあるヨットマンは私たちに手を振ってくれました。私たちも手を振り返した後、引き返して出航地点のエミノニュ港へと戻ったのでした。(斉藤信)

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