加藤清正築城、西生浦倭城(ソセンポわじょう)(蔚山、韓国)
蔚山(蔚山広域市)は、1426年から1509年まで塩浦倭館が設置された。倭館とは李氏朝
鮮時代に朝鮮半島南部に設定された日本人居留地。李氏朝鮮は倭寇対策として鎖国をしており、日本との交易の為そのような居留地を作った。蔚山は昔から日本と関係が深い。
蔚山(蔚山広域市)は、現代自動車のお膝元であり、自動車の生産高は韓国一位、現代尾浦造船や現代重工業などの工場もあり、街中に現代グループの高層社宅が林立する現代グループの企業城下町である。
意外なところでは捕鯨基地としても有名であり、韓国で消費される鯨肉のほとんどが、蔚山で水揚げされたものであり、街中に鯨料理を食べさせる店もある。
そんな蔚山には蔚山倭城「倭城」、西生浦倭城(ソセンポわじょう)など「倭城」がある。
豊臣秀吉の朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」(韓国の呼び名は壬辰倭乱<イムジンウェラン>)」の際に、上陸した多くの戦国武将が、「城」を作った。蔚山広域市から全羅南道順天市(スンチョンシ)までの間に、倭城の跡が全部で30以上もあると言われてる。これらの倭城から戦国期に発展した日本の築城技術を知ることができるため、歴史好きの間では今大ブーム(?)となっています。
この、蔚山郊外にある西生浦倭城(ソセンポわじょう)は韓国に残る数ある倭城の中でも、石垣の保存状態がよいことで知られ、城造りの名人、天下の名城「熊本城」を築いた加藤清正が築いた名城です。
1592年の7月から建設が始まった西生浦倭城は45960坪という広大な規模にもかかわらず、その翌年には完成したと伝えられています。 現在は海岸線からは離れていますが、当時は海に面しており、兵力、兵糧を城内に直接搬入できる重要な拠点として、軍事的に大変重要な役割を担っていました。
今日、内部の建造物はまったく残っていないが、石垣が多く残っており、城の大きさを偲ばせます。
熊本市新町には「蔚山町駅」という市電の停留所がある。か
つて蔚山町と呼ばれたのであろう。文禄・慶長の役の際、加藤清正は多くの築城の技術者、職人を日本に連れ帰り、熊本城を築城した。まさに、加藤清正が西生浦倭城(ソセンポわじょう)を築城した蔚山、そして、蔚山町は蔚山から連れてきた人々を住まわせたことにちなむ、と言い伝えられる。
| 固定リンク
「世界の歴史情報」カテゴリの記事
- ヨーロッパ文明の礎、燦然たるギリシャの歴史(2017.03.23)
- 遥かな時を越えて、ポルトガル大航海時代と日本の関わり(2016.11.04)
- クリスマスに訪れた五島列島、心癒される教会群巡り(2016.01.08)
- インドへの旅の途中、玄奘三蔵が立ち寄った地・高昌故城(中国・新疆)(2015.11.24)
- 大きな歴史の舞台は小さな古都レーゲンスブルクから(2015.11.10)
コメント
今年の4月に西生浦倭城に行ってきた中年男はこのブログのリンクを見て驚いた。ユーラシア旅行社さんで「文禄慶長の役」ツアーが企画されていたとは!
予約フォームの不備は少々不快だったけど、とにかく予約した。催行されるかどうか分かんないけど。(苦笑)
投稿: よしひこ | 2011年12月22日 (木) 20時52分
よしひこ様、コメント有難うございます。そして更に御予約、大変有難うございます。遅れましたが、ユーラシア旅行社の上野と申します。社内でも倭城の魅力について伝道する日々でございます。
お陰様で来年の韓国は集客絶好調!何とか催行にこぎつけ、よしひこ様の西生浦倭城への2度目の訪問が叶いますよう頑張りますので何卒宜しくお願い申し上げます。
投稿: 上野 宏 | 2011年12月27日 (火) 00時56分