サハリンの思い出
本日は、添乗見聞録はちょっとお休みです。
「日月潭に泊まる、ぐるり台湾一周の旅8日間」のツアーより帰国しました。
台北を起点に景勝地の日月潭、台湾の古都である台南、湾港都市として急発展している高雄、大理石の断崖絶壁が続く太魯閣渓谷、最近日本人観光客が注目の九份などをぐるっと周る見所がたくさんのツアーでした。
九州ほどの大きさの島をバスだけでなくローカル列車に乗ったり、遊覧船に乗ったり、新幹線に体験乗車したり様々な交通を体験できました。 台北などの都市部では高層ビルが建ち並び、町中にはセブンイレブン等のコンビニを目にし、新幹線は日本の車両と同じであったり、台湾と日本は文化的、経済的にとても関わりが深いことに気づかされます。さらに戦前の日本統治時代の面影が残っているからでしょうか、台湾を観光していると何となく懐かしい印象も受けます。
先日、ユーラシア旅行社の「天空の鏡、ウユニ塩湖ハイライト 9日間」より帰国しました。前回、ウユニ塩湖を訪れたのは、乾季の時期で、澄みきった青空に太陽に照らされた真っ白な塩の大地がキラリと眩しい世界を4WDで駆け抜け、白い世界を思う存分堪能しましたが、今回は雨季と言う事もあり、やはり皆様が期待するのは天空に広がる鏡の世界。しかし、例年雨季が訪れるのが12月。高低差がほとんどないウユニだからこそ、降った雨が湖面に張り、創り出される世界なのだが、1日、2日、降ったからといって東京都の約5倍の面積を誇る塩湖に水が張るわけではない。それにはそれなりの雨が必要なのです。 雨季の雨量がどれだけのものなのか?こればかりは自然の事なので、私たちには、どうすることもできません。神のみぞ知る!です。ですから、どの程度の水があるのか、ブログのタイトルのようにウキウキというよりは、ドキドキまじりに、飛行機を何度も乗り継ぎ、遠くボリビア、ウユニ塩湖へと向かったのでした。
先日、「アルバニアとマケドニア、バルカン探訪 8日間」より帰国いたしました。両国ともガイドブックにもほとんど掲載されず、日本ではまだ馴染みの少ない国ですが、ヨーロッパとアジアを繋ぐ文明の十字路が生み出した数々の史跡や、多様な人々との出会いが訪れる者を魅了してやみません。
本日は、アルバニアのガイドさんが紹介してくれた、鎖国時代の体験談をご紹介致しましょう。アルバニアと言えば、ホッジャ政権の下、長いこと鎖国政策がしかれていたことで知られています。1970年代にはそれまで友好関係を保っていた中国とも断交し、その後1990年に入るまで鎖国政策が続きました。
鎖国時代を象徴するものは、何といっても“トーチカ”です。海外から敵が攻めてきた際に、いつでも対応できるようにと備えたホッジャが国民に造らせた頑丈な防御壕で、国内に30万個以上も残されているそうです。結局、海外から敵が来ることはなく、反対勢力に怯えきったホッジャの妄想によって造られた、無用の産物となってしまいました。しかし今では、点々と並ぶトーチカはアルバニアを象徴する光景となっています。現在も使い道がなく、そのまま残されていることが多いですが、コンクリートを破壊して再利用しているところもありました。
この度、「躍動の国、ベトナム周遊11日間」より帰国しました。
ベトナムといえばアオザイを身に纏った女性が、長い髪を風になびかせながら優雅に自転車に乗る姿や、ココナッツジュースを飲みながらのんびりとメコンデルタクルーズを楽しむ姿などを思い浮かべる方も多いでしょう。
でもツアータイトルの「躍動の国」はいったいどんなところ?と思われた方もいらっしゃるはず。それはベトナムを訪れれば分かります。町に出てまず驚くのがバイクの多さ!バスに乗って町の交差点に入れば、右から左から、前から後ろから切れ間なく押し寄せて来るのです。信号が変わっても入り乱れて走ってくる無数のバイク。そんな中ゆっくりと横断歩道を渡るおじいさんに、思わず「危ない!」と叫んでしまいました。まるで、荒野でバッタの大群に襲われたヤギのよう。でも、私達の心配をよそに、バイクは上手い具合におじいさんを避けて行きました。周りの人は素知らぬ顔で通り過ぎて行きます。どうやら日常茶飯事の光景のようです。
ベトナムでは車を持つのはまだまだ一部の人だけ、今はバイクが主流です。仕事に行くのも遊びに行くのも暇つぶしするものバイクです。しかも一台のバイクに2人乗りは当たりまえ、中には3人4人乗りのバイクもあります。
そんな激しい交通の中、道端ではお店を広げてフルーツを売る人やお焼きを焼いて売っている人などが元気に呼び込みしています。ベトナムの道路沿いに建つ家の殆どは1階部分がお店になっていて、歩道も店の一部と言わんばかりに商品が山積みになっていました。フォー屋さん(米粉で作った麺)の食堂はテーブルとイスが歩道をはみ出してまで並んでいます。七輪を出して路上でエビを焼いている人までいるのにはもうビックリ!歩道はもはや、歩くところというよりも商売する場所というのが暗黙の了解のようです。町を歩く時はバイクに後ろからクラクションを鳴らされながら車道を歩くのです。
また、ベトナムでは物乞いらしき人をあまり見かけませんでした。みんなどんなに小さな仕事でも見つけて自分で商売しているようです。観光客にただ買って買ってとしつこくせがむのではなく、活き活きとした表情で自分の作った物を自信満々で販売しているのです。みんな、他人に頼らず自力で頑張って生きているように感じました。
先日、ユーラシア旅行社の「ヨルダンの至宝ペトラと聖地エルサレム9日間の旅」より帰国致しました。イスラエル・ヨルダンと聞くと、何だか危険な国とお考えの方もいらっしゃるかと思いますが、現在は治安も安定しており、安心してご旅行をお楽しみ頂くことが出来ます。
今回のツアーのメインの一つが、何といっても、ヨルダン「ペトラ遺跡」の観光です。丸一日をこのペトラ遺跡の観光に使います。朝、遺跡の入口で驚いたのが、本当に様々な国の方が、この遺跡を訪れているということです。ヨーロッパ、アジア、様々な言葉が飛び交います。ペトラは今、世界中から注目されている遺跡なのだと実感します。
まず、見えてくるのが、エジプトの影響を受けて造られた『オリベスク墳墓』。隊商が行き交ったこのペトラで、ナバテア人達は主にエジプト、ギリシャ、ローマなど、様々な文化の影響を受けました。
ユーラシア旅行社の「スーダン周遊10日間」より帰国しました。新年を迎えたスーダンはお祝いムード全開!というのも、1月1日はスーダンの独立記念日なのです1956年1月1日、スーダンはイギリス・エジプトの共同統治下から独立し、新しい歴史の一歩を踏み出しました。宿泊していたホテルでも、大晦日にはパーティが開かれ、音楽演奏会やマジックショーなどの催しも行われました。
普段以上に食事も豪華!訪れる子供たちのために、可愛らしく飾られたケーキの数々に、私も目移りしてしまいました。夜中0時になると、街中の至る所で花火が上がり、ホテル内もより一層賑やかに。「happy new year」そして「happy independent!」の言葉が交わされていました。
翌朝は、ナイル河クルーズにご案内する日でしたが、ガイドさんの話によると、午前5時頃までパーティが行われていた様子。 確かに乗り場近くにイスが沢山並べられており、花火や風船の跡が残っていました。船着場で車を降りたときも、どこからともなく人が寄ってきて、アラビア語で「独立記念おめでとう!」とドライバーさんたちと挨拶を交わしていました。クルーズを終え、車に戻ろうとすると・・・何やら道の反対側で楽器を持って踊る集団。綺麗な衣装に身を包んだ人々のテンションも高めです!ついこちらも目を奪われ、寄っていって一緒に踊りたくなるほど。昼食はナイル河で獲れた魚料理ですが、そのレストランもいつも以上に大賑わい!持ち帰りのコーナーには長蛇の列。ざっと数えても20人近くはいました。しかも並んでいるのは男性ばかり!女性は家でゆっくりと美味しい料理の帰りを待っているのでしょう。そんな事を想像しながら、私達もナイルの魚と、日本のお正月ならではのお雑煮を堪能しました。お雑煮なんて見た事ないスーダンの人は、興味津々。お雑煮を準備していると、いつのまにか数人の人に囲まれていました。食事を終え空港へ向う道中、午前中に比べると人の数がずっと増えて、特設ブースのようなものの前では、たくさんの人々がダンスをしたり、歌っていたり。すれ違う車も派手にデコレーションされ、これからパレードが行われるようでした。
「アンコール遺跡群を極める旅9日間」のツアーより帰国しました。上智大学特任教授、石澤良昭先生が現地で5日間同行、ご案内してくださる毎回大好評の特別企画です。今回の目玉は、なんと言っても「大プリヤカーン(プリヤカーン・コンポン・スヴァイ)」を5年ぶりに訪ねたことです。この遺跡は石澤先生をはじめ専門家の方々の間では「5大遺跡」の一つと数えられている幻の巨大遺跡です。
大プリヤカーンはアンコール遺跡観光の拠点の街シェムリアップより約100キロに位置しており、周辺は小さな村が点在しています。朝6時、4WDに分乗してホテルを出発。私は数年ぶりの訪問でした。前回は頭が車の天井にぶつかるかと思う程、もの凄い悪路でしたが、今回は道路状況が随分良くなっていたので驚きました。まだまだ未舗装の部分があるとはいえ、ガタガタ道は30~40分で済み無事、昼頃には遺跡に到着!
昨年2011年11月20日、日本国内ではブータン国王夫妻が来日し、ブータンという国名の知名度も好感度もあがったときの出発でした。
ブータンという国名を聞くと『国民総幸福量(GNH)』という言葉がひとつ挙げられます。国の経済発展が国の豊かさではなく、国民が幸福に思っているかどうかが国の豊かさであるという先代国王が1976年に発言したものです。財産の多さ、物質の豊かさという物質主義ではなく、現金収入が高くなくても、人々がお互いに尊厳を持って平和で穏やかに暮らすことができる社会であること、満足感や価値観の豊かさが幸せである、という精神主義をブータンは国の柱にしています。
ブータンの国を何度か訪れましたが、そのたびにほっこりさせられます。峠から眺めたヒマラヤの山々の壮大さ、雪解け水が清らかに流れる川。自然界の要素を表す赤・青・黄・緑・白の五色が溢れる寺院や経文旗が山々という本物の自然と溶け込む不思議さ。道の途中で季節物の野菜を売るミニミニ市場。ビニールハウスなどないので、季節の野菜がなんなのかがわかり、訪れる月日によって並ぶ野菜が違うので毎回面白く感じます。11月末ではりんごがたくさん売られています。野菜の横に鍋が置いてあり、何があるのか蓋を開けてもらえば手作りソーセージ。その土地、その場所、売る人ならではの品物が並ぶので、見る場所によって市場は楽しい。多くの野菜が農業の技術指導の為にブータンに来た西岡京二さんがブータンに持ち込んだものであり、それらがいまでは当然のように市場に並んでいる光景は胸を熱くさせられます。手を振ると子供達がはにかみながら笑顔で手を振り返してくれ、写真を撮らせてーと手招きすると無邪気に駆け寄ってくる。照れて隠れちゃう子、前に出てポーズを取る子、友達と肩を組んだり仲良く整列したりとひとりひとりの個性が写真を撮ることで垣間見れ、初めて会った子達なのにとても親近感と愛しさを感じます。
町中や村、民家の近くではおじいちゃん、おばあちゃんが孫の面倒を見ていたり、お父さんが赤ちゃんを背負ってあやしていたりと家族みんなで子供の世話をするほほえましい光景。ホテルの部屋に虫がいるから殺虫剤を持ってきてと頼むと、二人の女の子が手にタオルをもって飛び回る虫を追い掛け回し捕まえて外に逃がしてあげた輪廻転生を信じるチベット仏教の精神を目の当たりにした衝撃。若い夫婦が3歳くらいの子供を連れてお寺に詣でたとき、親が仏様の前で五体投地をしてお祈りする姿を見て、親は子供に対して同じようにお祈りするようにと言っている訳ではないのに、子供が両親の姿をじーーっとみて真似をしていました。 同じ光景を何度か違う場所で出くわし、私はこの光景がとても感動して心に焼きついています。
先日、「ペルー、マチュピチュ・ナスカ・チチカカ湖と聖なる谷10日間」の旅より戻りました。南半球に位置するペルーは雨期が明け、これから初夏を迎えようとしています。お天気に恵まれ、日中の気温は20度以上あることも多くありました。今回はペルーと私の大好きなイモの関係についてご紹介したいと思います。
アンデスが原産と言われるジャガイモですが、ペルーのイモは実に種類が豊富です。「この旅行中に全部の種類を食べるのは無理でしょう。」とガイドさん。なんと3千種類もあるそうです。その中には私の名前と同じ「ユカ」という名前のイモもあります。スーパーで見たら長イモやタロイモのような細長い地味なイモでした。現地の人に自己紹介の際に「イモと同じ名前です」と言うと、すぐに覚えてくれて便利です。心情はちょっと複雑ですが...。旅行中にはポテトフライやマッシュドポテトなどのジャガイモ料理が楽しめます。
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