秘密のべールが明らかに?アルバニア鎖国時代の体験談に迫る!
先日、「アルバニアとマケドニア、バルカン探訪 8日間」より帰国いたしました。両国ともガイドブックにもほとんど掲載されず、日本ではまだ馴染みの少ない国ですが、ヨーロッパとアジアを繋ぐ文明の十字路が生み出した数々の史跡や、多様な人々との出会いが訪れる者を魅了してやみません。
本日は、アルバニアのガイドさんが紹介してくれた、鎖国時代の体験談をご紹介致しましょう。アルバニアと言えば、ホッジャ政権の下、長いこと鎖国政策がしかれていたことで知られています。1970年代にはそれまで友好関係を保っていた中国とも断交し、その後1990年に入るまで鎖国政策が続きました。
鎖国時代を象徴するものは、何といっても“トーチカ”です。海外から敵が攻めてきた際に、いつでも対応できるようにと備えたホッジャが国民に造らせた頑丈な防御壕で、国内に30万個以上も残されているそうです。結局、海外から敵が来ることはなく、反対勢力に怯えきったホッジャの妄想によって造られた、無用の産物となってしまいました。しかし今では、点々と並ぶトーチカはアルバニアを象徴する光景となっています。現在も使い道がなく、そのまま残されていることが多いですが、コンクリートを破壊して再利用しているところもありました。
また鎖国中は生活習慣も今と異なっていました。長髪や髭は自由主義の象徴とみなされ、みな髪を短く切って、髭も剃らなければいけなかったそうです。髪が長いまま学校に登校すると、たちまち全校生徒の前で見せしめのように髪を先生に切られてしまったそうです。同じ理由からチューイングガムやジーンズも禁止されていました。当時若かったガイドさんは、チューイングガムとジーンズに憧れていたそうですが、結局初めてジーンズをはいてガムをかんだのは、鎖国が終わった14歳の時だったそうです。その当時の喜びが今でも忘れられないと語ってくれました。興味深かったのは、ガイドさんが見せてくれた、マッチ箱より一回り大きいサイズの鉄製の箱です。鎖国時代はこれで、秘密裏に電波をキャッチして海外放送を聴いていたそうです。
鎖国時代が終わった後も、1990年前後の政情不安により渡航が叶わず、長らくベールに包まれていた国ですが、今では少しずつそのベールが明らかになりつつあります。何よりも、このようにガイドさんが鎖国当時の体験談を話してくれることが、新たな歩みを歩んでいる証だと感じました。(兼井)
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