マサダ・コンプレックス
この度、「最南端エイラットまで、聖地イスラエルを極める」の添乗から帰国致しました。当ツアーはイスラエルの定番コースとなっており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地を巡る濃厚なコースでもあります。ユダヤ人の故郷であり、イエスを生んだ国イスラエル。歴史上、長らく差別迫害され虐殺されたユダヤ人たちを語る上でイスラエルは切っても切れません。
旅の最後の観光で、死海の西岸を見下ろすユダの荒野の岩山の上のマサダに立ち寄ります。このマサダは古代ユダヤ人の対ローマ抵抗運動の最後の生き残り約900名が集団自決した、ユダヤ民族の悲劇の歴史の舞台です。
紀元前100年頃から集落が出来ていましたが、ヘロデ大王の時代に大改造されます。彼はここに冬の宮殿を造ろうとしていました。しかし、西暦70年にローマ帝国がエルサレムに侵攻し、ユダヤ人たちの放浪が始まります。圧倒的なローマの侵略に次々と陥落する町が出ますが、“熱心党”と呼ばれるユダヤ人の急進派の人たちは最後まで戦い、最後の抵抗の場所として、ここマサダを選び、この砦に立てこもりました。1万5千のローマ軍は砦を包囲し、戦いは3年半に渡りますが、ついにローマ軍がなだれ込んできます。砦に残った約900人のユダヤ人は負けを覚悟し、生きて奴隷になるよりは・・・と死を選びます。しかし、ユダヤ教では自殺はタブー。それぞれ殺しあいますが、最後の10人になった時、クジで殺し屋係りを選出し、彼は9人の頭を切り、最後ただ一人自決しました。これが国造りの精神的バックボーンとなりました。
くじ引きをした証拠も残っているし、砦の周りにローマ軍が包囲した陣営跡も残っています。
マサダの悲劇は現代のイスラエルのアイデンティティとナショナリズムの構成要素となっているとガイドさんが熱く語り始めました。
『現代イスラエル人社会にはマサダで経験したような危機的状況や悲劇を繰り返してはならないという思いがあります。ユダヤ人ほど自由への思いの強い民族はいないでしょう。離散のユダヤ人は度重なる迫害と弾圧、ポグロム、そしてナチス・ドイツによるホロコーストなどを耐え抜いてきた歴史の中で、自由と平和を束縛されてきた民族です。その反面、1948年にイスラエル建国を勝ち取り自由を手にしたユダヤ人は強い民族のようにも見えます。しかし、その内面には、「またマサダのような状況にたたされるかもしれない」という危機意識とも言えるある種の弱さ(マサダ・コンプレックス)を秘めています。』
根深い宗教が絡んだ中東問題やつい先日もフランス、トゥールーズのユダヤ人学校で死者をだした発砲事件も起こり、イスラエルのガザ地区の映像が日本でも延々と流れます。
危険な国やテロリストの国と言われることもあります。もちろん宗教、民族など様々な問題が山積みではあります。イスラエルの人々の内面には強さと弱さがせめぎ合い、時には攻撃的に、時には脆くなってしまうのでしょう。それでもイスラエルを旅行し、地中海に広がる青い空を見ていると、本当の幸せを願わずにはいられませんでした。(篠原)
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