2012年10月22日 (月)

ボリビア世界遺産の街々へ

「ウユニ塩湖とゲバラ周縁の地、ボリビア世界遺産紀行 12日間」の添乗より帰国致しました。旅を心から楽しみ、食事の際には話題が尽きることのない、総
勢10名様の皆様に同行させて頂きました。

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この12日間のツアーの大きなハイライトは2箇所。ひとつは、ウユニ塩湖。乾季ならではの純白な世界を大いに堪能。トリック写真撮影大会は本当に盛り上が
りました。そしてもうひとつはゲバラ終焉の地、バジェグランデ、イゲラ村への旅。折しも訪れた日はゲバラ命日。墓には地元の人たちが花をたむけている姿を
垣間見ることができました。町のいたるところに「CHE VIVE」(チェは生きている)文字を見かけますが、まさにその通りだな、と感じた瞬間でした。
ツアーの大きなハイライトは2箇所ですが、ボリビアの魅力はこれだけではありません。「スクレ」や「ポトシ」といったスペイン植民地時代に造られた街々も
大いなる魅力という面では負けてはいません。本日はボリビアに眠る世界遺産の
都市をご紹介いたします。

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「ポトシ」の街は標高4,070mに位置し、人口は約15万人。都市としては世界最高所に位置します。(村ならヒマラヤにいくつかもう高所がありますが)
何故、アンデス山脈の高地、荒涼としたこの場所に集落が出現したのか?それは、1545年、世界最大の銀の鉱床が発見され、瞬く間に鉱山労働者が集まってきたからです。その結果、17世紀後半には当時のロンドンやパリを上回る「世界最大の都市」と言われたそうです。セロ・リコ(豊かな山)から採れた銀は「スペインまで橋が架かる」と言われる程の量で、欧州での銀の価値下落を引き起こした程。そして、この銀はスペインからアジアへ渡り、絹や陶磁器と盛んに交換されます。旧大陸と新大陸の壁が取りはらわれ人と物が地球規模で移動していった、当時の物流の源がアンデスの街ここポトシであったのだと思うと感動せずにはいられませんでした。そして、銀を管理する街として造られたのがポトシから165km離れ、標高2750mの比較的過ごしやすい「スクレ」です。スクレは全ての建物を白く塗る条例があったので輝くような白壁と赤い屋根のコントラスト

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が美しい街です。そして宿泊ホテルは植民地時代の邸宅を改装した雰囲気あるホテル。標高も低くなり標高が高い地域を巡り緊張されてたお客様もようやく安心したホット一息入ったスクレ滞在となりました。

スペイン人は銀を採りつくすとすぐさま立ち去ります。そのため、改修するお金もなく、当時の街の面影がそっくりそのまま残っている2つの街。どちらの街もインディオからの略奪の歴史の跡を留める屋外博物館としての意義ももっているとのことですが、そんなことは関係なしにたくましくボリビアの人々の生活がしかりと根付いていると感じました。(伊藤暁)

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