消えた謎の王国、西夏の幻影を求めて(中国)
こちらのツアーでは、11世紀に河西回廊を掌中にし、ゴビ砂漠一帯にかけて栄えた謎の王国“西夏”の当時の面影を偲びながら、遺跡を巡ります。
西夏は、四川省の西北部にいたタングート族が、チベット王国・吐藩の圧迫から逃れ、集団ごとに甘粛・陜西の北部へと移動し、李元昊の祖父・継遷が黄巣の乱で武功を認められ、李の姓を皇帝から賜ったことで力を強めます。1023年、李元昊が河西回廊を占拠し、興慶府(現在の銀川)に都を置き、1038年宋より独立、初代皇帝となります。国名を“大夏”とし(宋より西にあったため、“西夏”と呼ばれるようになる)、官制兵制を定め、服装を規定し、独特な西夏文字を定めました。西夏王国は約200年、10代に渡り続きましたが、1227年に元によって滅ぼされ、その後はタングート族も消滅してしまったため、謎多き王国として今も研究が進められています。
この消えた謎の王国“西夏”に魅了され、中でもNHKの特集でも取り上げられた黒水城を一目見ようと、砂漠の中をひた走り、この地を訪れる方も多くいます。
黒水城(カラホト)はモンゴル語で「恐ろしい黒い城」を意味します。西夏王国のモンゴル軍に対する要塞でしたが、1227年の元の激しい攻撃で絶滅させられます。その後は、元がこちらを支配し、現在に見られる規模MP城郭へと拡張します。その時代、「エチナ城」と呼ばれた城とその周囲には約7000人が暮らしていたと言われ、隆盛を極めます。しかし、1372年明の手に陥るも、自然環境の悪化などもあり、結局は明も城を手放し、20世紀初頭の都市あの探検家コズロフに発見されるまで、砂の中で眠り続けていました。
4WDで砂漠の中を走り、いよいよ黒水城に到着。入口から一直線にのびる道を歩き、城内へと向かっていきます。写真でよくみる仏塔が見え始め、憧れの城への気持ちが高まります。
城の内部に入ると、僅かに残る城跡を見ながら、当時の様子を思い浮かべます。
下から写真を撮り、展望台からも眺め、城内を歩く…
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