宮崎・鹿児島、神々が集った地を訪ねて
先日、「日本神話の舞台、宮崎・鹿児島を巡る~古事記編纂1300年特別企画~4日間」より帰りました。日本国内のツアーで、このツアーほど日本神話の世界を知っているかどうかで旅の印象が変わり、また、別世界の雰囲気を味わえるものはないのではないでしょうか。
古事記の世界では、宮崎・鹿児島の地が、神々の創世記から日本初代天皇神武天皇が東征に出発するまでの物語の舞台となっています。古事記も同じ時代に編纂された日本書紀も原本が現存しておりませんので、写本は残っているものの実際にどのように記載されていたかは誰も知る由もありません。想像力が試されます。
旅の始まりは、霧島東神社から。天孫降臨の地と言われる霧島の峰の中腹にある神社でした。霧島東神社は、急な坂を登ったところにあります。眼下には神武天皇が遊んだと伝えられる御池が広がり、そこから参道を登っていきます。参道は森の中を通り抜け厳かな空気に包まれていて、神聖な空間に入って行くという感覚になります。朱色のこじんまりした拝殿は、色が鮮やかにも関わらず森の中の景色に溶け込んでいました。また、ここでは、清掃中だった宮司さんのお話を聞くことができ、皆で聞き入りました。その内容は、まさに旅の始まりに相応しい内容でした。神教と仏教の関係や神社に来るときの心構え、といっても堅苦しい話ではなく、神社に来て厳かな空気の中、心を整理することをお勧めしますといったような感じで受け止めやすい内容でした。すっきりとした気分で神社を後にしました。そして、その後、ツアー中に全部で15の神社を訪ねました。
素朴な木造の神社や、今は無人の神社、参拝者の多い神宮など、色々な趣の神社を参拝しましたが、今回ラッキーだったのは、古事記の中で表されている神宝の「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」を見られたことです。たったの2日間しか公開されないということと、戦後初めて一般公開されるということで、鵜戸神宮は大変な賑わいでした。この神宝は、もちろん神々の物語の中に登場します。この神宝は、鵜戸神宮という宮崎県日南市の海岸沿いに建てられた美しい景色が広がる神社が保管しています。鵜戸神宮にまつわる物語を紹介すると、山幸彦が兄・海幸彦の釣り針を探しに龍宮に赴かれ、海神の娘・豊玉姫命と深い契りを結ばれました。山幸彦が竜宮から戻った後、身重になっていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」と出産のためにこの鵜戸の地に参られました。霊窟に急いで産殿を造ったが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)が誕生したために、「うがやふきあえずのみこと」と名づけられました。この神が初代天皇の父となります。神宮は、産屋のあったところに建てられました。そして、神宝ですが、ちょうど手のひらに乗る大きさで、「潮満珠」は黄みがかった色で球形をしていて、潮涸珠は小さなピラミッドのような形の無色透明の美しい色をしていました。これだけを見ても特に印象深いものではありませんが、これに纏わる物語を知っていると見方が異なります。この神宝で山幸彦が海幸彦を懲らしめる為に潮満珠を使って洪水を起こし溺れさせ、降参したところで潮涸珠を使って助けたという伝説です。
宮崎など九州には古事記の舞台となっている地域が数多くありまが、その地のほとんどが風光明媚な景勝地であり、自然の美しさを満喫できる場所です。日本だからこそ味わえる日本の美しさを堪能して帰途につきました。(大久保)
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