民族と文明が複雑に織りなすコーカサスの国々
まず初めに訪れたアゼルバイジャンは近年、西欧の技術でカスピ海から原油が採掘されるようになり、産油国として急激に発展しています。
アゼルバイジャンとは「炎の国」の意味で、古くから天然ガスも噴き出し、途絶えることのない炎は“聖なる火”として崇められ、かつては拝火教の寺院もありました。
私たちは今も絶え間なく燃え続けているヤナル・ダグを訪れました。
2005年、ロシア・イランを通ることなくグルジアからトルコに抜ける米国肝いりの石油パイプライン「BTCパイプライン」も完成、独自の繁栄の道を歩み始めました。
グルジアは肥沃な国土でブドウ栽培が盛んで、私たちも名産のグルジアワイン農家を訪ねました。
手作りのパンや料理をいただきながら、ワインをお召し上がりいただきました。
ちなみにグルジアのワインは皮や種も利用するのが特徴です。
その後、帝政ロシアの南下政策で建設されたグルジア軍用道路を北上、カズベギへと向かいました。
出発の4日前に調べた天候は雪、最高気温-1℃、最低気温-8℃だったのでとても心配しましたが、現地ガイドも“冬から春を通り越して一気に夏になった”と言うような暖かな晴天に恵まれました。
おかげで雪も融け、無事ツミンダ・サメバ教会まで上ることができました。
目の前にはくっきりとカズベギ山(5033m)が。
最後に訪れたアルメニアは天然資源に恵まれず、ロシアへの依存度が最も高い国です。
彼らの誇りは、ノアの方舟が辿り着いたと言われるアララト山。(トップの写真です。)
国旗のデザインはもちろん、銀行や名産のコニャックなどの名前にもなっています。
しかしアララト山自体はトルコ領。
そこでトルコはアルメニアに文句を付けます。“どうしてうちの領土の山を国旗に使うのだ”と。
それに対してアルメニアは、“それではみんなのものである月や星を国旗に使うのは良いのか”と反論したといいます。
そのようにひとくくりにできないほど多様な顔を持つ3ヶ国ですが、複雑に民族と文明が絡み合い、いまだにそれぞれの領内に他民族の占領地域を抱えています。
以前は隣り合わせで暮らしていた民族が、1988年のナゴルノ・カラバフ紛争などをきっかけに分断します。
実際、アゼルバイジャンで私たちを案内してくれたガイドも、実はアルメニアのエレバン近郊に生まれ育ったアゼルバイジャン人でした。
彼が24歳の時に紛争が勃発し、一家でまずアルメニア領内のアゼルバイジャン自治区・ナヒチェバンに逃げ、さらにバクーに移り住んだのだそうです。
一方、アルメニアのガイドは、自国を語る時、ナゴルノ・カラバフの土地や人々も含んだ数字を語っていました。
アゼルバイジャンのガイドは、私が持ってきたツアーパンフレットに掲載されたアルメニアの写真にしげしげと見入っていました
“故郷へ帰りたいか”と尋ねると、“帰りたいが帰れない”と答えた彼。
豊かで美しい自然を眺め、おいしい食事をいただいていると忘れてしまいますが、彼のような故郷を失った人々が今なお大勢いるのもこの国々の現実です。(田口)
| 固定リンク
「中欧・東欧情報」カテゴリの記事
- 「トリュフ料理に舌鼓を打つ!!(クロアチア)」(2017.12.13)
- 地元の人に愛される!クロアチアのミケランジェロが残した、“生きた”世界遺産(2017.11.22)
- 知る人ぞ知る、クロアチアのミニ・プリトヴィッツェで癒しのひと時(2017.11.17)
- 青空と雪山、黄葉に囲まれたコーカサスの仙境、ジョージア・スワネティ地方(2017.11.14)
- ヨーロッパ一美しい、クロアチアのミロゴイ墓地へ(2017.11.09)
コメント