兵どもが夢の跡、古代ローマの戦場を訪ねて(イタリア)
先日、ユーラシア旅行社の「ハンニバルの道~連勝街道から決戦の地ザマへ~」12日間の旅から帰国いたしました。
2200年前の実在の大戦術家ハンニバル・バルカの事跡をたどり、雪残るアルプスを越え、イタリア半島を駆け巡り、故国カルタゴ(現チュニジア)へと至る壮大なこのツアー。
ご参加のお客様も皆様ハンニバルや古代ローマに造詣の深い方ばかりで、あっという間に打ち解けていらっしゃるのが印象的でした。
まだ電気も自動車も当然無い紀元前に、
数万の軍勢と象を引き連れて雪山を越えて誰もが思わぬ方向からローマに攻め入り、
破竹の勢いで重装歩兵を誇るローマ軍を撃破し続けたハンニバル。
一度はローマの城門前まで至りローマ市民の心胆を寒からしめた彼でしたが、
当初の目論見であるローマ同盟都市の離反を促して勢力を切り崩していく方策は成就せず、失意の中本国カルタゴへ呼び戻されることになります。
辛くも滅亡を免れたローマでしたが
恐怖の記憶が消えることはなく受け継がれ、
その証拠になんと今でもイタリアでも利かん気の子供を叱る時に「ハンニバルが戸口まで来ていますよ!!」という言い方をするのだそうです。
帰国したハンニバルとそれを追ってきたスキピオ率いるローマ軍の最後の戦いの地であるザマは現在、
丘に囲まれた緑豊かな平原になっており、私たちが訪れた日も熾烈な戦いが嘘のようなのんびりとした風景が広がっていました。
老獪な天才と若き英雄の戦いは後者に軍配が上がり、
第二次ポエニ戦争は劣勢であったローマ側まさかの大勝利で幕を閉じます。
敗軍の将となったハンニバルは戦後カルタゴの指導者として復興に力を尽くしますが、権力闘争に敗れ遠い異国の地でひっそりとその生涯を閉じます。
ちなみにザマ近くの村には「シディンビール廟」と呼ばれる祠が現存しています。
ザマを案内してくれた現地の専門家のフェルジョーヴィ・アーメッド博士によると、この“シディンビール”とは“聖ハンニバル”がアラビア語化されたものだとか。
チュニジアの人々にとってハンニバルは偉大な聖人という位置付けであることがうかがえました。
怖い化け物かはたまた聖なる人物か?ところ変われば印象も異なる、歴史伝承の面白さに触れる旅になりました。
(三輪)
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