祝EU加盟!クロアチア
ヨーロッパの火薬庫とも呼ばれるバルカン半島。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」があると言われた共産主義国家ユーゴスラビアは、故チトー大統領の指導力とカリスマ性によって成り立っていました。
しかし1980年に彼が亡くなると、バルカン半島はたちまち乱れ、あちこちで内戦となりました。
そんな中、1991年、もともとハプスブルグ帝国領で、バルカン半島でも北側に位置するスロヴェニアとクロアチアがまっ先に独立を宣言。
スロヴェニア人が90%を占めていたスロヴェニアはいち早く平和を手にし、2004年にはEUに加盟、2007年には通貨をユーロとしました。
しかし、クロアチアは独立宣言後、長きにわたる内戦に突入。それは国内に約12%占めていたセルビア人との確執によるものでした。結局、1995年まで続いた民族紛争の結果、クロアチア内のクロアチア人の比率は75%から90%に、そしてセルビア人は4.4%になりました。
こうして凄惨な戦闘が終わり、クロアチアにもようやく平和が訪れました。
世界遺産の街、ドブロヴニクは一時危機に瀕した遺産=「危機遺産」に指定されましたが、1998年には解除されました。
冒頭の写真は旧市街を囲む城壁から見下ろしたドブロヴニクの現在ですが、鮮やかなオレンジ色の屋根は、戦闘で破壊された屋根をフランスのトゥールーズより寄付された瓦で葺きかえられたものです。
街はすっかり修復されていて平和そのものですが、いまだに聖フランシスコ修道院にはロケット弾が貫通した跡が残されています。
ちょうど私たちがスロヴェニアからクロアチアに入国した7月1日、クロアチアはEUに加盟しました。
国境ではスロヴェニアの検問所にクロアチアの係員も同居する形で手続きをしていました。
まずスロヴェニアの係員にハンコを押してもらい、その5m先でクロアチアの係員にハンコを押してもらいました。
そしてかつてのクロアチアの検問所は素通り・・・
私たちは首都ザグレブへと向かいながら、町がどんなお祭り騒ぎになっているかと期待と不安まじりでした。
が途中渋滞もなく、予定通り夕刻着いてみれば、あっけないほど町は普段通りでした。
しかし確かに役所には国旗とともにEUの旗がはためき、夜、近くの繁華街では若者たちが騒いでいるようではありました。
そんなクロアチアには見所がたくさんあります。
この世界遺産・プリトヴィツェ国立公園も、紛争時は激戦地であったとは思えません。
また世界的な観光地としてスプリットやドブロヴニクには年々、お店も増えています。
私たちがドブロヴニクの観光をした日には、大型のクルーズ船も停泊し、乗船客が幾つもの団体を組んで、ぞろぞろと市内を観光していました。
今は平和なスロヴェニアとクロアチア。
2ヶ国ともEU加盟国となり、今後いよいよ観光が楽しみやすくなるでしょう。(田口)
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