西欧と東洋がであう町、ザグレブ (ユーラシア旅行社で行くスロヴェニア・クロアチアツアーの旅)
「スロヴェニア、クロアチア夢紀行 9日間」の添乗より戻りました。今回はバスの中で常に笑いの絶えないお客様、総勢21名様とご一緒させて頂きました。10月上旬~中旬のスロヴェニア・クロアチアは夏のような強烈な太陽が顔を出す日にちも少なくなり、朝晩の気温が下がります。そのため、街路樹が色づきだし、公園ではマロニエの実が沢山落ちているのを目にする機会もありました。一年のうちで本当に過ごしやすく最高のシーズンなのではないでしょうか?概ね天気にも恵まれ、ユリアンアルプスに抱かれたブレット湖やプリトヴィツエの紅葉を堪能!スプリットやザグレブでは街歩きや市場でお買い物、ドブロヴニクでは城壁あるきやアドリア海クルーズなど・・見所溢れ、充実した毎日。自然にわいてくるお客様のニコニコ顔が印象的です。
今日は、秋晴れの中、観光したザグレブについて書きたいと思います。クロアチアは1991年の独立以来、ザグレブに首都を置いています。人口80万人ほどのこじんまりした町で、クロアチアというとドブロヴニクに代表されるアドリア海沿岸に位置する町を想像してしまいまが、ザグレブは別天地のような印象を受けます。
アドリア海沿岸の諸都市が主としてヴェネチアやビザンチンの影響を受けて発展してきたのに対し、ザグレブは長きに渡ってオーストリア・ハンガリーの影響下にあったことにより、町全体がハプスブルク時代の面影を漂わせるバロックやゴシックの壮麗な建築で埋め尽くされているからです。一見、小ウィーンと見まかうばかり。もちろんマリアテレジア色と呼ばれるパステルイエローで塗られた華やかな建物も随所に目にします。そんな在りし日を彷彿させる象徴的な建物はザグレブ駅に隣接するエスプラナーデホテルなのではないでしょうか。設立は1925年。オリエント急行がパリからイスタンブールまで運行していた際にヨーロッパ貴族や著名人が滞在するホテルとして建てられました。重厚な石造りの外観は、オーストリア=ハンガリー帝国時代の面影を感じさせてくれ、当時は政界人や著名人が集うサロンとしても利用されていたようです。
オリエント急行の最盛期は1930年代。アガサ・クリスティーのミステリー小説「オリエント急行殺人事件」には、当時の豪華な汽車旅行の様子が詳しく描かれています。小説の中では探偵エルキュール・ポアロがたまたま乗っていたオリエント急行がイスタンブールを出発し、ザグレブへ向かう途中、大雪で動けなくなり、その密室の中で殺人事件が起こり謎解きをするのですが、その舞台となる国がクロアチアだったのをご存知でしょうか。この小説が発表された1934年は、クロアチアが独立する前なので、国境はなくユーゴスラヴィアでしたが、現在のセルビアとボスニア・ヘルツェゴヴィナの国境近くを想定していたようです。
残念ながら現在は航空機の発達と共に旅の主役の座は鉄道から航空機に移り、それと共にオリエント急行も寂れていき、1977年、西ヨーロッパの主要都市とイスタンブールを結ぶ列車は廃止になってしいました。特別、鉄道ファンではないけれど、汽車旅行が好きな私としては一度ローザンヌ、ミラノ、ヴェニス、トリエステ、ザグレブ、ベオグラード、ソフィアを経由して、イスタンブールまで3泊4日の旅、一度は旅してみたいルートです。ザグレブの中央駅で「いつか列車の旅でここに来よう」と心の中で誓うのでした。(伊藤暁)
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