2013年11月13日 (水)

黄葉と銀嶺の大コーカサス山脈を走る! (ユーラシア旅行社で行く、コーカサス3国のツアー)

先日、ユーラシア旅行社のコーカサス3国の旅から帰国しました。
今回の旅で最も印象的だったのは、険しく、雄大な雪山のコーカサス山脈と
鮮やかな秋の黄葉でした。

旅はカスピ海西岸のアゼルバイジャンから内陸の山岳地帯、グルジア、アルメニアの順に、コーカサスの山麓を東から西へと沿うように、山脈を眺めながら移動します。
アゼルバイジャンのカスピ海を離れ、内陸に向かってしばらく走リ始めると、
なだらかな丘陵のようなコーカサスの山々が始まります。
周辺は乾燥地域の為、川もなく、樹木は全く生えず、茶色く枯れたような草原に
細々と羊が放牧されており、荒れ野のようです。
その後、内陸部に入って行くにつれて次第に山々の標高も高く険しくなり、
峠を幾つも超えると、みずみずしい、緑の樹木も増え、森林地帯に入ります。
道端には、特産の養蜂箱、果樹販売店が点在し、農家の軒先には鮮やかな黄色に熟れて鈴なりに実った柿の木が多く見られます。

コーカサスの山間部の生活は、私たちの想像以上に豊かです。

 

収獲は終わっていましたが、小麦や大麦などの穀物をはじめ、リンゴや杏、葡萄などの果樹類からクルミやヘーゼルナッツなどの木の実、さらに綿花に至るまで、栽培作物は多岐にわたります。
また牛や羊の放牧も盛んで、山間部では「シャシリク」というバーベキューも人気があります。
街道沿いに開かれる市場を覗いてみると、山のように積まれた様々な農産物が並び、巨大な羊肉塊がぶら下っていたり、厳しい冬を前にしても人々の食生活は豊かなようです。
コーカサス地方は、かつて高い関税のペルシャを迂回するようにシルクロードの中継貿易で栄えた時代もあり、今も街道には、トルコやロシア、イランなど他国からのトラックが行き交います。

国境を越えてグルジアに入ると、次第に標高2000~3000メートル級の真っ白な雪が積もり、険しいコーカサス山脈の峰々が見え始めました。
コーカサスの山々で特に印象的だったのは、グルジアのカズベキ村、ウシュグリ村という山間の奥地まで進んで見上げた、コーカサス山脈の雄大な景色。

カズベキ村(標高1800m)からは4WDに分乗し、岩山に聳えるツミンダ・サメバ教会へ上ります。
ここから見あげた、グルジア第2の高峰カズベキ山(5033m) グルジア第二の高峰カズベキ山(5033m)は、まるで富士山のようにすっきりと美しい三角形をしていて、見上げていると次第に登ってみたくなるような印象の山。雲一つない、秋の澄んだ青空に純白の雪山が輝いて見えます。時折ヒンヤリ冷たい風が吹き抜けてゆきますが、いつまでも眺めていたい山の景色でした。
また、コーカサスのウシュグリ村までは、麓の町バグラティからメスティア村まで渓谷沿いに登ってゆきます。
大コーカサス山脈の黄葉今年のコーカサスは日本より一足早く黄葉が始まっていて、赤やオレンジ、黄色など異なった色の木々が、まるでパッチワークのように山の斜面を埋め尽くしています。山頂の峰々には純白の雪。見上げると秋の青空。秋ならではの景色を愉しむことができました。
奥地ウシュグリ村までの山道は続きます。
さらにメスティアまで息を呑むような断壁や斜面の狭く、曲がりくねった道を約4時間、メスティアに一泊した後4WDに分乗し、悪路を約3,5時間も走ったコーカサスの奥地にある、まるで桃源郷のような村がウシュグリ村です。周囲を険しい峰に囲まれ、外界と隔絶され、時代に取り残された集落です。

少年が馬で駆け回り、農家のおじさんたちはソ連時代のポンコツトラックで干し草を集め、立ち話をする村の住人たち。
時間が止まったように、のんびりとした雰囲気が漂っています。
村の奥には、グルジアの最高峰シュハラ山(5068m)がほんの一瞬、雲の合間から立派な姿を見せてくれました。さすが最高峰だけあって、堂々とした威容と迫力の山並みが印象的でした。(上田)

ユーラシア旅行社のコーカサス3国のツアーはこちら

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