石澤良昭先生(上智大学前学長)と紐解くアンコール王朝繁栄以前の遺跡巡り(ユーラシア旅行社で行くアンコール遺跡)
今回は、カンボジア一国のみで、アンコール・ワットなどの有名な遺跡のあるシェムリアップの観光前に、首都プノンペンとその郊外に残る遺跡を訪ねました。私は2年ぶりに首都を訪ねましたが、車窓から見る街並みには新しい建物が増え、建設中のものも多く、何といっても自動車の数がすごく増えたなと、その変化に驚きました。しかし訪れた遺跡は、数年のことでは変わることなく、石の建造物はどっしりとした構えで迎えてくれました。
アンコール王朝が繁栄する以前、海のシルクロードを通して、インドや中国から人や物が行きかうと共に文化や風習なども少しずつ浸透していったそうです。その一遍を感じることができるのが、今回訪れた「プノム・ダー遺跡」のアスラムマハルセイ寺院です。6世紀、扶南の都の聖地に建造されたというこの寺院には当時のインドの影響がその造り、彫刻に出ています。この地で出土した彫像はプノム・ダー様式として美術様式にその名を残す程、重要なものです。この遺跡には、小型ボートに分乗して行きます。雨季が終わり、増水した川の水が田んぼに溢れ湖のようになっている所を進みます。“石澤探検団”として、ちょっとした冒険気分を味わいました。
翌日は、陸路でシェムリアップへ向かい、その途中、真臘(6世紀後半)の都サンボール・プレイクックに立ち寄りました。カンボジアの至宝、アンコール遺跡の前の時代はどのようなものであったか、想像力が膨らみます。そこには、素朴な煉瓦の祠があり、ここでしか見られない「空中宮殿」と呼ばれるレリーフがあります。よく見ると、ヘレニズムの影響なのでしょうか。想像上の鳥獣グリフォンのような彫刻もあります。他にも、僧が瞑想したと考えられる祠の外側にはいくつもの顔が彫られてあり、その表情はカンボジアの人々の顔には見えない、独特の彫りの深い顔つきです。ヨーロッパ系の顔でしょうか。そうだとしたら、この地まで影響があったのでしょうか。石澤先生のお話しを聞いていると歴史の謎を紐解くには、ものすごい情熱と忍耐が必要だとつくづく思います。そして、半世紀以上もの時間をかけカンボジアの遺跡研究を続ける石澤先生にご案内頂いたことがとても貴重な時間であったと改めて感じた旅でした。(帯津)
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