カザフスタンの「ウユニ塩湖」?(ユーラシア旅行社で行く世界の絶景ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「地獄の門とトルクメニスタン周遊」のツアーより帰国しました。地獄の門っていったい何なのか?はこちらのブログでご案内していますので割愛するとして、この地獄の門、ネット上でも話題になっているようでYouTubeでもたくさん動画が投稿されています。これらの動画や、実際に訪れた方の旅ブログ等に載っている写真を見て出発前に気分を盛り上げたのですが、結論から言うと「やっぱり生で見る迫力、体に感じる空気は凄い!!」の一言に尽きます。
トルクメニスタン北部の町クフナウルゲンチから走ること約6時間半、8月末だった今回の旅では20時過ぎには辺りは真っ暗になり、明かりもない道をただひたすら地獄の門を目指して走り続けました。すると突然、見えてきたのは、向こうの空がぼや~っとオレンジ色に染まっている光景。疲れ切って口数も少なくなった車内が、「あれじゃない?」「絶対あれだー!」と一気に沸き立ちます。そして21時前、ついに到着。車を飛び下りて、一目散にクレーターの側へ。「地獄の門、地獄の入り口」に立った瞬間でした。そこからはもう、写真を撮るのに夢中です。角度を変えてみたり、ポーズを変えてみたり、寄ってみたり引いてみたり。一般的なデジタルカメラでも迫力ある素敵な写真をたくさん撮ることが出来ました。
さて、一般的にこういうところには柵があるのが普通なのかもしれませんが、このクレーターには柵がありません。なので、クレーターの淵まで近づけます。「危ないのでは?」と思うところですが、熱風が吹きあがってくると実際には近づくのが困難です。会話の中では、「柵があると、人間、何となく越えたくなるのでかえって危険ですが、柵がないと“気をつけなくては”という意識が強くなる気がする。」といった話もでました。もちろん、どれが良いとか正しいとかということではありませんが、国によって色々だなぁと思ったわけです。
周辺のカラクム砂漠には、天然ガスを掘ろうとした跡が他の場所にもたくさんあります。砂漠の地下水が一緒に湧いてしまったために採掘を断念したクレーターもあり、水の中からガスの気泡が湧いている「水のクレーター」、土が泥になってガスがボッコンボッコンと音を立てて湧いている「泥のクレーター」等、火のクレーターとは一味違った光景でした。
地獄の入り口から無事生還した後は、首都のアシハバードへ。砂漠に突如現れるホワイトシティと呼ばれる真っ白な近代都市、そこはまさに“天国”のような街でした。(江間)
先日、ユーラシア旅行社の「野生の宝庫クリル湖とカムチャツカ自然探訪」のツアーから帰国いたしました。毎年夏の1ヶ月ほどしか運航しないヤクーツク航空に乗って3時間半、あっという間の空の旅でロシアの東の端カムチャツカ半島に到着です。旧ソ連の頃には人の立ち入りが厳しく制限されていたカムチャツカ、そのお陰で広大な手付かずの自然が残され、開放された今ではロシア屈指の自然観光地となっています。特に〝火山の博物館“との異名を取るほど多彩な火山群とその景観が有名で、ユネスコの世界自然遺産にも登録されています。
さて、火山があるということは、つまりは温泉があるということ!実はカムチャツカは知られざる温泉天国でもあるのです。今回のツアーでは特徴ある3か所の温泉に皆様をご案内いたしました。
一か所目は、パラトゥンカ温泉。たまたま今回の宿泊地がパラトゥンカだったため、おまけでご案内できた場所です。日本人の感覚では、温泉というより温水プール。何故なら源泉は地元ロシア人には熱すぎるため、水で冷ましているから。「熱湯危険」の表示のお湯に手を入れてみたところ、ちょうど日本の温泉位でした。
二か所目は、マルキ温泉。街から近いので地元民たちの憩いの場になっている温泉です。野外、河岸なのでもちろん水着着用。週末にあたったので、バーベキューがてら遊びに来たロシア人で賑わっていました。
三か所目は、ホドトカ温泉。自然公園の中に位置しており、交通手段は何とヘリコプターのみ!秘湯中の秘湯のため、今回も私達グループの貸切でした。大自然を独り占めしてのゆったり温泉、温泉好きの方に是非おすすめしたい秘密の場所です。(三輪)
先日、ユーラシア旅行社の「スカイ島とスコットランド~雄大なる自然とスコッチ・ウィスキー街道 10日間」の添乗より帰国致しました。日本が夏真っ盛りの暑い中、成田を出発。到着したスコットランドは、15℃前後。もう初秋の装いでした。
同じ時期の日本の夏とは想像もつかない程、涼しい気候のスコットランド。「これがスコティッシュ・サマーだよ。」旅の間、よく言われました。一日の内でも天気が晴れたり、雨になったりとても変わり易かったのですが、雲間から時折差す光が豊かな緑で覆われた山々といくつもの湖にその姿を映し出し幻想的な風景を造りだしていました。”翼を持つ島”といわれる美しい島、スカイ島ではヒースの群生が広がり、思わずバスを停め写真ストップをしました。写真では表現しきれない独特の色合いです。今年は暖かい日が続いた為、例年よりも早めに咲いたそうです。
さて、気候も風土も日本とは大分異なる遠い国スコットランドですが、日本との関わりがとても深いことを学びました。その交流史は1613年、スコットランド王が日本に貿易を申し入れたことに遡ります。現実には当時の江戸時代の鎖国により交流は始まらなかったのですが、幕末から明治維新の激動の日本で貿易商として活躍したのがスコットランド出身のトーマス・グラバーです。採炭や造船、ビールの製造などの近代的事業も起こし日本の近代化に大きな影響を及ぼした人物として有名ですね。また、グラスゴー大学出身のヘンリー・ダイヤーは日本でエンジニアを育てるべく、東大工学部の前身となる工部大学校の初代校長となった人物。そして大正時代、本物のウィスキーを作りを目指し、スコットランドに留学した竹鶴政孝さんと現地で出会い、支えた妻リタ・コーワンさん(今度のNHK朝ドラ「マッサン」のモデルとなった方です!)。今回の旅では竹鶴さんが留学していたグラスゴーも訪れました。
これから、スコットランドの名前をニュースやドラマで耳にする機会が増えそうですね!(帯津)
先日、「グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルの世界遺産」10日間より帰国致しました。
このツアーは、10日間で中米の3カ国を巡ります。旧市街を歩いたり、マヤ遺跡をご覧頂いたりと盛りだくさんの内容となっています。
現在発見されているマヤ文明の遺跡群は全体の5%ほどと言われ、まだ発見されていない遺跡の多くがジャングルの中に眠っているとされています。マヤ=メキシコという印象を持つ方もいらっしゃるかと思いますが、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルにマヤ文明の遺跡群が数多くあります。すべての遺跡が発掘されるのもマヤ文明がすべて解明されるのもまだまだ時間がかかりそうですが、今回のツアーはその中でも3ヶ国の著名な5つの遺跡を巡りました。
この時期の中米諸国は雨季。雨が少ない乾季の方が好まれるかもしれませんが、マヤ遺跡を見るならこの時期がお勧め!
マヤ文明の遺跡群を覆うジャングルの木々や潤いを帯びたみずみずしい植物の多くは雨季の方がみずみずしく繁茂します。 また、雨季と言っても雨は終日降ることはなく一時的に降るだけで、ほとんど観光には影響ありません。幸い、今年のグアテマラは異常気象で雨が少なく、今回のツアーは快晴の日が続きました!
特に美しい場所がグアテマラの「キリグア遺跡」。キリグアは、マヤ語で“供給地”を意味し、モタグア川流域で採取されるヒスイやカカオの交易地として重要な役割を担っていた場所で、紀元前3114年8月11日のマヤの天地創造について詳しく述べられている石碑やマヤの遺跡の中で最も大きい石碑をご覧頂けます。
この日は、明け方まで振っていた雨水によって潤いを帯びた草木と、中米らしいすっきりとした晴れ空は、青と緑の見事なコントラストを生み出し、石造りの遺跡群をより一層際立たせていました。
青々と茂る草木と、晴れ空に映えるマヤの遺跡群をお楽しみ頂けるのは、この時期ならではの特典!また、木々の生い茂るこの場所では、遺跡以外にも、野鳥や珍しい木々が沢山あり、それらを見るのもまた楽しみの一つです。日本のように四季がなく、季節の移り変わりに乏しい中米において、雄大な自然と人間が幾年もの月日をかけて建てた神殿や石碑の融合にマヤ文明の神秘さを実感しました。
また、ツアーではチチカステナンゴで毎週火曜日と木曜日に行われる「インディヘナ市」にもご案内させて頂きました。燦々と降り注ぐ太陽の下で売られる赤や青を基調としたカラフルな小物はより一層鮮やかに映えていました。小物の中でも“ウォーリードール”と呼ばれる人形はお土産にも最適!1束12体でまとまっている人形のうち1体を就寝前に枕の下に入れて眠ると、その人形が不安や悩み事を吸い取ってくれるというお守りです。この人形の頭部はウィピルという、マヤの女性によって作られる織物で、人形自体もマヤの女性の格好をしているため、少し怒った顔から優しそうな顔、悲しそうな顔などを見ると作った時の感情が人形に現れているような気がしました。
グアテマラを訪れた際はマヤの精神が根付くお土産もおすすめです。(三浦)
先日ユーラシア旅行社の「神秘の石窟寺院、アジャンタ・エローラ。魅惑の世界遺産紀行 7日間」のツアーから帰国致しました。
今回8月11日~17日までのツアーでした。ちょうどその時期は日本もインドも夏真っ盛り!特にインドに関しては、夏は暑すぎて観光に適さないという印象をお持ちの方が多いと思います。今回の訪問箇所でツアータイトルにもあるアジャンタ及びエローラの2つの石窟寺院は、おおよそ北緯20度(ハワイと大体同じ)と日本の沖縄県よりさらに南に位置しておりますが、デカン高原の中に位置しているせいか、日中の最高気温は大体30℃くらい、出発前の東京よりもむしろ過ごしやすかったのではないかと思います。また、朝晩に至っては20℃くらいまで下がり、ひんやりとした感じが心地良く、「ここって本当にインド?」と感じずにはいられませんでした。
さて、2つの石窟寺院のうちの1つ、エローラ石窟寺院は500年以上の歳月をかけて、約2kmの崖に作り上げられたインド石彫建築の最高傑作であります。そして驚くことにこれらはすべてノミと金槌だけで彫られたもので、現在も所々で修復作業が行われておりますが、昔ながらのやり方のノミと金槌だけが用いられています。
窟の数は全部で34もあり、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教と3つの宗教の窟が混在しています。中でも一番の見どころは何と言ってもヒンドゥー教窟であるカイラーサ寺院(第16窟)です。「門」の中に入ると立派な「寺院建築物」があります。一目見て、これだけの石材を外から運んで来て、組み立てるのはさぞかし大変だったのだろうなと思いました。ところがこれらの門や寺院は組み立てたものではなく、もともと崖(玄武岩の一枚岩)だったところを、先述のノミと金槌だけを使い、上から下へと彫刻したものなのです!この寺院全体で高さ33m×幅47m×奥行き81mで、完成には150年かかっています。そして掘り出された岩の重さは20万トン!インドゾウの体重が4~5トンとすると、単純計算で4万~5万頭分の重さということになります。そして驚くのはスケールの大きさだけではありません。寺院の門、壁面、寺院の内部に彫刻は細かなところは非常に細かく彫られており、特にヒンドゥー教の神々は、顔の表情、手足などは非常に躍動感が溢れています。
今度はいったん外に出て、寺院の脇より丘に上がることができます。すると上から再びこのスケールの大きな寺院を見下ろすことができます。そしてここに立つと本当に1つの崖から岩を上から下に掘っていったことがわかります。その時私は、最初に彫り始めた石工さんに150年後に完成したこの素晴らしき寺院を見せてあげたかったと思わずにはいられませんでした。(斉藤信)
先日、ユーラシア旅行社のナミビアのツアーより帰国しました。
ナミビアには、2000年以上も生き続ける幻の花「ウェルウィッチア」や2億年前の木々が化石となった「化石の森」、今でも原始的な生活を営むヒンバ族の集落など私たち観光客の期待を上回る、素晴らしい観光地がたくさんありました。
本日はその中でも、とっておきのナミビアの絶景をご紹介します。
ナミビアには、8000万年前に形成された世界で最も古いナミブ砂漠があります。
遥か上方を見上げるほど大きく、まるで山脈のように聳える大砂丘が果てしなく連なる様は例えようもなく、まさに絶景。
その砂丘群の最奥には、砂の移動によって堰き止められた川が小さな湖となり、ついには水が枯れ、「デッドフレイ」と呼ばれる死せる湖があります。
強烈な太陽に照り付けられながら、砂丘をしばらく歩き、最後の砂丘を越えると、目の前に突然、オレンジ色の大砂丘の中に枯れた湖が出現しました。
あたかも長い間砂漠をさまよったあげくに、ついに幻の湖跡を発見したかのような、軽い感動があります。
カラカラに乾燥した砂漠の最奥にあり、かつては緑の葉を風にひるがえしていた、無数の木々が立ち枯れたまま、1000年近くも倒れることなく同じ場所に立ち続けている風景は、まさに死の世界。
かつて湖底であった白色の大地と立ち枯れた無数の木々。
そして陽光に輝くオレンジ色の砂丘。
この寒色と暖色の対照色のコントラストの絶景は、まるで絵画を見ているようです。
また、同じ視界の中には、干上がった湖と立ち枯れた木々の、「死の世界」がある一方で、風によって絶えず形と場所を変えてゆく、生命力と力強さを感じさせる大砂丘も存在し、現実の世とはかけ離れた、何とも不思議な風景です。
そして砂丘に囲まれた、この死湖の異空間だけに漂う、不気味な静けさが印象的でした。
何だかどこかで見たような風景、どこかで感じた不思議な感覚・・・。
帰国後にようやく思い出したのは、
そう、あの幻想的な絵画を描いたサルバドール・ダリの絵画の世界でした。(上田)
先日、ユーラシア旅行社「フランス物語15日間」より帰国しました。まさにバカンスシーズン真っ只中のフランス!どこもたくさんの観光客で賑わいを見せていました。
その後、本土と島を結ぶ道が完成し、いつでも島へ渡れるようになりましたが、この橋により、急速な陸地化が進んでしまい、かつての海に浮かぶ神秘的な島の姿が損なわれてしまいました。そのため、以前の美しいモン・サン・ミッシェルの姿を取り戻そうと、数年前から、新しい橋をかける工事が進められ、8月中旬に本格的に開通。
最近のコメント