« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年9月

2014年9月30日 (火)

カザフスタンの「ウユニ塩湖」?(ユーラシア旅行社で行く世界の絶景ツアー)

塩湖から戻ってまいりました。塩湖といっても今人気のボリビアのウユニ塩湖ではありません。カザフスタンのトゥズバイル塩湖です。
カザフスタンに旅したことがあっても、おそらく西部のマンギスタウ州まで行ったことがあるという方は殆どいらっしゃらないでしょう。
カスピ海に面したマンギスタウ州には、ウスチュルト台地とよばれる未知の場所があります。現地の人でさえ滅多に足を踏み入れない地です。
ウスチュルト台地はかつてチラス海とよばれる海の底だった場所で、気の遠くなるような歳月の間に地殻変動で隆起し、浸食の結果、断崖絶壁や奇岩が形成されたそうです。
ここでは道路はあってないようなもの。案内人を頼りに4WDで荒れ地を約4日間疾駆し、地球の不思議な光景に出逢うことができました。
世界の絶景ツアー
恐竜の卵のような丸い岩がごろごろしているラウンドロック、白亜の大地から戦艦のような奇岩がそそり立つボスジラ(ボジュラ)・・・それはまるで「地の果てまで来た!」と思わせるような大迫力の絶景でした。
世界の絶景ツアー
そうした光景の中で私の心に深く残ったのがトゥズバイル塩湖です。今回、残念ながら水ははっていなかったのですが、その代わりに真っ白な世界に浸ることができました。
塩湖の両側には波打つような奇岩が折り重なるようにして続いています。足元は眩いばかりの塩の結晶。その上を4WDで走っていると、異次元の世界に迷い込んでしまいそうな気がしました。
塩湖の総長は約30キロに及びます。夜、塩湖の端っこでテントを張りましたが、夕日に染まる奇岩と白い世界は神秘そのものでした。夜は満天の星空が塩湖に降り注いでいました。
高山病が心配でウユニ塩湖を躊躇している皆様、ここカザフスタンのまだ誰も知らないトゥズバイル塩湖への冒険旅行はいかがでしょうか。(大西)
 

| | コメント (0)

2014年9月26日 (金)

ナミビアで出会った日本人と、自然の芸術作品(ユーラシア旅行社で行くナミビアツアー)

ユーラシア旅行社の「ナミビア・スペシャル8日間」より帰国しました。
「ナミビアに行ってきます。」と知人に言うと、どこの国?どこにあるの?と聞き返されることが多く、まだ日本ではあまり認知されていないのかなと思いました。しかし、実はとても豊富な観光資源があるのです。
去年世界遺産に登録されたナミブ砂漠や、孤高の民族ヒンバ族、動物の宝庫エトーシャ国立公園等、多種多様な美しいもの、面白いものに出会える場所なのです。Dscn1460
今回のツアー中、現地に住んでいる日本人の女性に遭遇しました。海外青年協力隊として、現地の小学生に算数、理科、体育等を教えている方でした。出会った場所は首都ウィントフークから遠く離れたダマラランド地方に位置するコリハスという町です。
ナミビアに住んで1年になるそうですが、日本人に会うのは初めてだと感激されました。コリハスはダマラランド地方では一番大きな町ですが、私たちの泊まったロッジでは夕食後、町の中学生が1時間くらいの歌のコンサートを開いてくれるなど、観光客をとても暖かく迎えてくれる印象でした。
Dscn1472
このコリハスから少し離れたところには、何億年という地球の歴史の中でできた、自然の芸術作品とも呼べる景観がお楽しみ頂けます。特にお客様から好評だったのは、「パイプオルガン」と呼ばれる柱状節理でできた岩。特殊な状況下で溶岩が筒状に固まってできた地形です。小さな渓谷のようになっていて、その前に立ってみるとその名の通りまるで巨大なパイプオルガンように見えました。陽光の陰影の影響で不思議な景観に見える景色にただただ圧倒され、期待以上の大きさとスケールに、皆様何回もシャッターを切っていました。
その他にも2億8千年前の大陸移動による地殻変動と氷河期の氷河によってできた化石の森や、火山によってできた黒い山バーント山等、ダマラランド地方にはたくさんの自然が形成した芸術作品がございます。
これから観光地として注目されるであろうナミビアで、もっと多くの日本人の方に、自然の美しさや偉大さを感じて頂きたいなと感じた旅でした。(霍間)

| | コメント (0)

2014年9月25日 (木)

彩り豊かな秋のアラスカへ(ユーラシア旅行社で行くアラスカツアー)

 先日、ユーラシア旅行社『秋のアラスカ大自然紀行とオーロラ 10日間』より帰国しました。これから長い冬を迎えるアラスカ。その前のほんの数週間の短い秋のアラスカは白樺やアスペンが黄葉し、ブルーベリーや地衣類が紅葉、アラスカで一番よく目にする針葉樹のトウヒの緑のコントラストが美しい季節。またこの時期は晴天日も多く、天気次第ではオーロラを観測して頂ける事も。更に、全貌を見られることが難しいと言われるマッキンリー山が見られる可能性も高いなど秋のアラスカは色々な大自然を感じて頂くにはベストシーズンなのです。
Dscf5183
 「雨具は必ずお持ちください」出発前に調べた天気予報は少し心配な雨模様。ツアーはどうにかできても天気を変える力は持ち合わせてはおらず、あとは晴れてくれることをひたすら願うのみでした。願いはアラスカの空に届くのか?!日本から到着早々そのチャンスが訪れました。「昨日まではずっと天気が悪く、雨が降っていたのよ。」ガイドさんのそんな言葉が信じられない雲一つない空は夜には星空でいっぱいになりました。アラスカの中でもフェアバンクスは最もオーロラ出現率が高い場所でも知られており期待に胸は高鳴り、皆様長いフライトの疲れなんて感じられない位目はぱっちり。今の時期は暗くなるのが22時近くなのでオーロラが見られやすいとすれば午前2時頃との事。耐久戦を覚悟で意気込んでいると、どこからか「あれ、オーロラじゃない?」オーロラ観測するロッジについてすぐのこの声に落ち着く暇もなく急いで外へ出ると北の空に現れた薄い緑色のオーロラ。みるみるうちに色は濃くなり縦に横に広がる。消えてしまう前にしっかりこの目に焼き付けなくては。結局その日は午前2時過ぎまでオーロラを見る事ができました。初日から幸先の良いスタート。天気を味方につけることが出来たら運もついた?!2日目のオーロラのブレイクアップに!!秋真っ盛りで赤に黄色に緑と色彩豊かなデナリ国立公園、そして一日中、雲一つないマッキンリー山を眺望。遊覧飛行では間近にて迫力あるマッキンリー山を堪能することが出来ました。
 旅行では晴ればかりとは限りません。ずっと雨降りのこともあれば雪が降る事だってあります。でも天気予報が悪くてもまずは願うこと。楽しみに思う気持ちが強ければ、きっと雲の隙間から太陽は顔を出してくれるはずです。(岩間)

| | コメント (0)

2014年9月24日 (水)

地獄の門"The Door to Hell"から生還しました(ユーラシア旅行社で行くトルクメニスタンツアー)

ユーラ社ア旅行社のトルクメニスタンツアー、火のクレーター「地獄の門」

先日、ユーラシア旅行社の「地獄の門とトルクメニスタン周遊」のツアーより帰国しました。地獄の門っていったい何なのか?はこちらのブログでご案内していますので割愛するとして、この地獄の門、ネット上でも話題になっているようでYouTubeでもたくさん動画が投稿されています。これらの動画や、実際に訪れた方の旅ブログ等に載っている写真を見て出発前に気分を盛り上げたのですが、結論から言うと「やっぱり生で見る迫力、体に感じる空気は凄い!!」の一言に尽きます。

トルクメニスタン北部の町クフナウルゲンチから走ること約6時間半、8月末だった今回の旅では20時過ぎには辺りは真っ暗になり、明かりもない道をただひたすら地獄の門を目指して走り続けました。すると突然、見えてきたのは、向こうの空がぼや~っとオレンジ色に染まっている光景。疲れ切って口数も少なくなった車内が、「あれじゃない?」「絶対あれだー!」と一気に沸き立ちます。そして21時前、ついに到着。車を飛び下りて、一目散にクレーターの側へ。「地獄の門、地獄の入り口」に立った瞬間でした。そこからはもう、写真を撮るのに夢中です。角度を変えてみたり、ポーズを変えてみたり、寄ってみたり引いてみたり。一般的なデジタルカメラでも迫力ある素敵な写真をたくさん撮ることが出来ました。

さて、一般的にこういうところには柵があるのが普通なのかもしれませんが、このクレーターには柵がありません。なので、クレーターの淵まで近づけます。「危ないのでは?」と思うところですが、熱風が吹きあがってくると実際には近づくのが困難です。会話の中では、「柵があると、人間、何となく越えたくなるのでかえって危険ですが、柵がないと“気をつけなくては”という意識が強くなる気がする。」といった話もでました。もちろん、どれが良いとか正しいとかということではありませんが、国によって色々だなぁと思ったわけです。

ユーラ社ア旅行社のトルクメニスタンツアー、水のクレーター

周辺のカラクム砂漠には、天然ガスを掘ろうとした跡が他の場所にもたくさんあります。砂漠の地下水が一緒に湧いてしまったために採掘を断念したクレーターもあり、水の中からガスの気泡が湧いている「水のクレーター」、土が泥になってガスがボッコンボッコンと音を立てて湧いている「泥のクレーター」等、火のクレーターとは一味違った光景でした。

地獄の入り口から無事生還した後は、首都のアシハバードへ。砂漠に突如現れるホワイトシティと呼ばれる真っ白な近代都市、そこはまさに“天国”のような街でした。(江間)

地獄の門とトルクメニスタン周遊 8日間はこちら
ユーラシア旅行社で行く世界の絶景ツアーはこちら

| | コメント (0)

2014年9月19日 (金)

石澤良昭先生(上智大学元学長)が語る、アンコール遺跡とラオス古寺巡礼の旅(ユーラシア旅行社で行くアンコールワットツアー)

アンコールワットツアー、アンコールワット旅行
先日、ユーラシア旅行社のラオスとカンボジアツアーより帰国しました。
今回のツアーは、アンコール遺跡研究の第一人者としてご活躍される、石澤良昭先生のご案内です。
ツアー前半はラオスへ。
今回の旅の目的の一つ、ある方のお墓参りです。
町全体が世界遺産に指定され、近年注目を集めるルアンパバーンから車で走ること約30分、
山の入口には、「TOMB OF HENRI MOUHOT」と書かれた、木でできた小さな案内板がかけられていました。
矢印の指す表示に従って山の中を分け入ると、1860年にアンコール遺跡を西洋に伝えたフランス人博物学者、アンリ・ムオが眠る墓がありました。
アンコール遺跡を発見当時、ひどく感銘を受けたムオは、
「昔の人々から今日の私たちへの贈り物、このうえなく重要な、このうえなく壮大で非の打ちどころのない、この洗練された遺跡の存在を伝えたい。
瓦礫を少しずつ片づけて全体をあるがままに提示し、できるかぎりこの地方や隣の小さな国々に伝わる伝承を収集しまとめたい」
と書き連ね、カンボジアが誇るアンコール遺跡を西洋、そして世界へと広めたのでした。
しかしながら、ムオはアンコール遺跡発見の翌年に、このラオスの地で永眠。
日本にアンコール遺跡を伝え、カンボジアとの架け橋を担われてきた現代のアンリ・ムオ、石澤良昭先生と共に、私たちはムオのお墓参りをすることができました。
さて、旅の後半はカンボジアへ。
石澤先生は半世紀以上に渡り、アンコール遺跡群の調査・研究を続けてこられました。
その中で、私たちは今回、先生が団長を務められるアンコール遺跡国際調査団が、2001年に274体もの石仏を発掘した、バンテアイ・クデイ遺跡を訪れ、
そこで今なお発掘作業を続ける様子を見せていただきました。
私たちは、発掘された瓦の欠片を水洗いする作業も体験させて頂き、日本人とカンボジア人が知恵と技術を共有し、長年続けてこられた活動に触れることができました。
カンボジアが歩んできた激動の歴史とともに遺跡の研究・修復活動を続けてこられた先生のお話は、私たちの心に沁み、またこの場に戻ってきたいと感じるものでした。
ユーラシアの旅では、2003年末より始めた石澤先生同行ツアーも今回で25回目。
回を重ねるごとに増えるファンのお客様、そして先生のアンコール遺跡に対する変わらぬ深い愛情を感じ、また年末に会いましょうと、ツアーは無事終了しました。(河合)

| | コメント (0)

2014年9月18日 (木)

知られざる温泉天国カムチャツカ

 先日、ユーラシア旅行社の「野生の宝庫クリル湖とカムチャツカ自然探訪」のツアーから帰国いたしました。毎年夏の1ヶ月ほどしか運航しないヤクーツク航空に乗って3時間半、あっという間の空の旅でロシアの東の端カムチャツカ半島に到着です。旧ソ連の頃には人の立ち入りが厳しく制限されていたカムチャツカ、そのお陰で広大な手付かずの自然が残され、開放された今ではロシア屈指の自然観光地となっています。特に〝火山の博物館“との異名を取るほど多彩な火山群とその景観が有名で、ユネスコの世界自然遺産にも登録されています。

Photo

 さて、火山があるということは、つまりは温泉があるということ!実はカムチャツカは知られざる温泉天国でもあるのです。今回のツアーでは特徴ある3か所の温泉に皆様をご案内いたしました。
 一か所目は、パラトゥンカ温泉。たまたま今回の宿泊地がパラトゥンカだったため、おまけでご案内できた場所です。日本人の感覚では、温泉というより温水プール。何故なら源泉は地元ロシア人には熱すぎるため、水で冷ましているから。「熱湯危険」の表示のお湯に手を入れてみたところ、ちょうど日本の温泉位でした。
 二か所目は、マルキ温泉。街から近いので地元民たちの憩いの場になっている温泉です。野外、河岸なのでもちろん水着着用。週末にあたったので、バーベキューがてら遊びに来たロシア人で賑わっていました。

Photo_2

 三か所目は、ホドトカ温泉。自然公園の中に位置しており、交通手段は何とヘリコプターのみ!秘湯中の秘湯のため、今回も私達グループの貸切でした。大自然を独り占めしてのゆったり温泉、温泉好きの方に是非おすすめしたい秘密の場所です。(三輪)

ユーラシア旅行社のカムチャツカツアーはこちら

| | コメント (0)

2014年9月17日 (水)

いとしのガウディ IN バルセロナ(ユーラシア旅行社で行くスペインツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「魅惑のバルセロナ・ガウディと世紀末芸術を巡る」の添乗より帰国致しました。
スペインの夏は暑いというイメージが強いと思いますが、
バルセロナは地中海性気候で1年を通して割と天気が良いときが多く温暖な気候です。
今回は8月下旬からですが、たまたま天気が落ち着き24~25度と過ごしやすい気候でした。
スペインツアー
2013年~2014年にかけて日本スペイン交流400周年として様々なイベントがおこなわれました。
そのうちの一つとして特別展「建築家 ガウディX漫画家 井上雄彦」も行われスペインが盛り上がっている感じですね。
そう、スペイン。
大体多くのスペインのツアーは、マドリッド、バルセロナ、グラナダぐらいで終わってしまうと思います。
しかしスペインの本当の魅力はその地域ごとに違う多様性。場所が違うと自然や文化など全く違う国のように
なるのです。だから巷に溢れる8日間でバルセロナに1泊してマドリッド駆け足で周ってアルハンブラ宮殿だけ観てなんて…ツアーで終わってしまったら実に勿体ないのです。
そしてバルセロナ。何泊しても色々な愉しみ方がある街です。
今回は、ガウディ建築群、モデルニスモ建築群、ミロやダリなどの芸術探訪、中世の町ジローナなどに行きましたが、
それでも物足りないぐらい。それほどずっと滞在しても楽しめる町なのです。
その中から是非ご覧頂きたいガウディの建築群を紹介します。
もともと実業家グエルが経営する繊維工場とそれに隣接する
労働者のための居住区を作ろうとしたコロニア・グエル。そこにあるガウディの傑作コロニア・グエル教会。
ガウディはこの教会を作るために、10年間もひたすら逆さ吊り実験を繰り返しました。
天上から紐を吊り下げて、紐の長さを変えたり、おもりの位置を変えたりして、最も美しく合理的な形を求めようとしたのです。
そこまでの情熱を持って建築を追及した建築家がいるでしょうか?
コロニア・グエルの構想は途中で中止となりましたが、地下聖堂が完成しただけであとは未完です。
スペインツアー
しかしガウディの建築家としての様々な実験が、聖堂内部の荒々しい柱や天上に入り組んだ放物線アーチに現れていて、
これぞガウディといった傑作と評価されているのです。
でもここも20km離れた郊外にある為、一般的なツアーではなかなか訪れる機会がないのです。
この聖堂が全部完成していたらどんな建物になったんだろう?
そんな事を考えながら、今夜もバルで海老とキノコのアヒージョをつまみに行こうっと。
(吉枝)

| | コメント (0)

2014年9月16日 (火)

スコットランドと日本との関わり(ユーラシア旅行社で行くスコットランドツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「スカイ島とスコットランド~雄大なる自然とスコッチ・ウィスキー街道 10日間」の添乗より帰国致しました。日本が夏真っ盛りの暑い中、成田を出発。到着したスコットランドは、15℃前後。もう初秋の装いでした。

Img_0908_4
同じ時期の日本の夏とは想像もつかない程、涼しい気候のスコットランド。「これがスコティッシュ・サマーだよ。」旅の間、よく言われました。一日の内でも天気が晴れたり、雨になったりとても変わり易かったのですが、雲間から時折差す光が豊かな緑で覆われた山々といくつもの湖にその姿を映し出し幻想的な風景を造りだしていました。”翼を持つ島”といわれる美しい島、スカイ島ではヒースの群生が広がり、思わずバスを停め写真ストップをしました。写真では表現しきれない独特の色合いです。今年は暖かい日が続いた為、例年よりも早めに咲いたそうです。

Img_1068
さて、気候も風土も日本とは大分異なる遠い国スコットランドですが、日本との関わりがとても深いことを学びました。その交流史は1613年、スコットランド王が日本に貿易を申し入れたことに遡ります。現実には当時の江戸時代の鎖国により交流は始まらなかったのですが、幕末から明治維新の激動の日本で貿易商として活躍したのがスコットランド出身のトーマス・グラバーです。採炭や造船、ビールの製造などの近代的事業も起こし日本の近代化に大きな影響を及ぼした人物として有名ですね。また、グラスゴー大学出身のヘンリー・ダイヤーは日本でエンジニアを育てるべく、東大工学部の前身となる工部大学校の初代校長となった人物。そして大正時代、本物のウィスキーを作りを目指し、スコットランドに留学した竹鶴政孝さんと現地で出会い、支えた妻リタ・コーワンさん(今度のNHK朝ドラ「マッサン」のモデルとなった方です!)。今回の旅では竹鶴さんが留学していたグラスゴーも訪れました。
これから、スコットランドの名前をニュースやドラマで耳にする機会が増えそうですね!(帯津)

ユーラシア旅行社で行く英国ツアーはこちら

| | コメント (0)

2014年9月12日 (金)

ギアナ高地での“楽しい”夏休みの過ごし方(ユーラシア旅行社で行くギアナ高地ツアー)

先日、「ゆったりギアナ高地周遊の旅」より帰国致しました。8月は雨期の水量がとても多い時期。大迫力のエンジェルフォールを見ることができ、大興奮でした。

Af

 さて、ギアナ高地のツアーではエンジェルフォールやロライマ山に降り立つヘリコプターツアー以外にもたくさんの楽しみ方がございます。一番大切なのは“童心に返る”こと。日本では、大人になると水着になるのが恥ずかしい、面倒くさい、それこそ水遊び自体に興味を失ってしまう方もいるかもしれません。しかし、ギアナ高地ではそんな思いも一瞬で吹き飛んでしまいます。ギアナ高地にあるのは自然のプールや水遊び場です。遊び方も日本のプールとは一味違います。今回のツアーで訪れたところをいくつか紹介します。
まずはハスペの谷。赤い一枚岩でできていてとてもきれいです。

Photo_3

ここで是非試して頂きたいのが“腹すべり”です。地面はとても滑りやすくなっているため勢いをつけてヘッドスライディングするようにすべると、スーッと気持ちよく滑って行きます。ハスペの谷は地元の人々の水遊び場にもなっており、私たちが訪れた時も賑わっていました。地元の人々に交じって、滝に打たれてみたり、誰が一番速く滑れるか競争をしたりと大盛り上がりでした。
続いてパチェコの滝とスルアペの滝。この二つの滝は大きさこそ異なりますがどちらも滝つぼのところが飛び込めるくらいの深さがあり、ダイブしたり、泳いだりすることができます。ここで大活躍したのが今回案内してくれたガイドのベネトンさん。「俺についてこい」と言わんばかりに真っ先に水着になり、すいすいと崖を登って行きます。そして、掛け声に合わせて宙返りしながら見事に滝つぼに飛び込むのです。ベネトンさんに連れられて豪快に飛び込んでいくお客様や、恐る恐る飛び込んでみたら癖になるのか、何度も繰り返し飛び込みに挑戦される方もいらっしゃいました。
大人になってからこんなにも水遊びが楽しく思えるところなんてなかなかないのではないでしょうか。ギアナ高地と聞くと秘境のイメージが強く、想像がつかない方も少なくないかと思いますが、正に“子供のように夏休みを楽しむ”にはこれほど最適な場所はないと感じました。(市川)

| | コメント (0)

2014年9月11日 (木)

吸血鬼になった夫人が暮らしたチェスキー・クルムロフ城(ユーラシア旅行社のチェコツアー)

先日、チェコ・スロヴァキア・ハンガリーの添乗から帰国しました。
3ヵ国とも、それぞれ魅力がございますが、今回はチェコの少し不気味なお話について書きたいと思います。
チェコ、南ボヘミア州に位置するチェスキー・クルムロフ。中世の面影を残した街並みは、世界遺産にも登録されています。街の中心部の周りを流れているモルダウ川を見下ろすようにして建てられた、チェスキー・クルムロフ城は、街のシンボル的存在。そのかわいらしいお城を眺めながら街を歩くと、まるで自分がおとぎの国に迷い込んだかのような錯覚に陥ります。
そんなチェスキー・クルムロフ城には、少し不気味なお話がありました。それは吸血鬼になった夫人のお話です。

チェコツアー、チェコ旅行

このお城の最後の所有家である、シュヴァルツェンベルグ家に嫁いだエレオノアという女性は子宝に恵まれず、なかなか夫との間に子どもが出来ませんでした。当時、オオカミのお乳には、子どもを宿す力があると考えられていたため、どうしても子供がほしかったエレオノアはオオカミを城内で飼い、そのお乳をのみ、無事に男の子を出産しました。しかし、街の住人達は、夜中にお城から聞こえてくるオオカミの鳴き声を聞き、震え上がりました。なぜなら、当時、オオカミは悪魔の使いとも考えられていたからです。そのため、エレオノアは、悪魔の力を借りて子どもを出産したと、住人達から恐れられていました。
その後、不慮の事故で夫を亡くしてしまうと、彼女の事を不気味に思っている親戚に、実の息子を連れていかれてしまい、彼女は悲しさから体が弱り、病気になってしまいました。当時、吸血鬼伝説はこの地でも伝わっていたため、医師達はやせ細った彼女の体を見て、吸血鬼になる病にかかっていると診断しました。
エレオノアは、住民達や親戚からも不気味がられ、一人チェスキー・クルムロフ城で暮らしました。その後、死ぬ直前にウィーンの息子を訪ね、訪問先でその生涯を終えましたが、その遺体はウィーンには埋められず、チェスキー・クルムロフに埋葬されたそうです。
今回のツアーを案内して下さったガイドの、オットーさんいわく、エレオノアが吸血鬼として蘇ることを恐れた人々は、彼女の遺体を切断して、チェスキー・クルムロフに送ったそうです。
日中はとても静かで平穏で、歩くだけで楽しむ事の出来るチェスキー・クルムロフですが、夜中にライトアップされたお城を眺めると、美しい反面、少し妖しく見え、これでオオカミの鳴き声が聞こえてきたら、当時の住人達が震え上がったというのも納得できます。
そんな少し不気味なお話のあるチェスキー・クルムロフ城は、私のお気に入りのお城です。(松本)

| | コメント (0)

2014年9月10日 (水)

雨季こそ行きたいマヤの遺跡!(ユーラシア旅行社で行くグアテマラツアー)

先日、「グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルの世界遺産」10日間より帰国致しました。
このツアーは、10日間で中米の3カ国を巡ります。旧市街を歩いたり、マヤ遺跡をご覧頂いたりと盛りだくさんの内容となっています。
現在発見されているマヤ文明の遺跡群は全体の5%ほどと言われ、まだ発見されていない遺跡の多くがジャングルの中に眠っているとされています。マヤ=メキシコという印象を持つ方もいらっしゃるかと思いますが、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルにマヤ文明の遺跡群が数多くあります。すべての遺跡が発掘されるのもマヤ文明がすべて解明されるのもまだまだ時間がかかりそうですが、今回のツアーはその中でも3ヶ国の著名な5つの遺跡を巡りました。

_1_7

この時期の中米諸国は雨季。雨が少ない乾季の方が好まれるかもしれませんが、マヤ遺跡を見るならこの時期がお勧め!
マヤ文明の遺跡群を覆うジャングルの木々や潤いを帯びたみずみずしい植物の多くは雨季の方がみずみずしく繁茂します。  また、雨季と言っても雨は終日降ることはなく一時的に降るだけで、ほとんど観光には影響ありません。幸い、今年のグアテマラは異常気象で雨が少なく、今回のツアーは快晴の日が続きました!

33

特に美しい場所がグアテマラの「キリグア遺跡」。キリグアは、マヤ語で“供給地”を意味し、モタグア川流域で採取されるヒスイやカカオの交易地として重要な役割を担っていた場所で、紀元前3114年8月11日のマヤの天地創造について詳しく述べられている石碑やマヤの遺跡の中で最も大きい石碑をご覧頂けます。
この日は、明け方まで振っていた雨水によって潤いを帯びた草木と、中米らしいすっきりとした晴れ空は、青と緑の見事なコントラストを生み出し、石造りの遺跡群をより一層際立たせていました。
青々と茂る草木と、晴れ空に映えるマヤの遺跡群をお楽しみ頂けるのは、この時期ならではの特典!また、木々の生い茂るこの場所では、遺跡以外にも、野鳥や珍しい木々が沢山あり、それらを見るのもまた楽しみの一つです。日本のように四季がなく、季節の移り変わりに乏しい中米において、雄大な自然と人間が幾年もの月日をかけて建てた神殿や石碑の融合にマヤ文明の神秘さを実感しました。

__18

__3

また、ツアーではチチカステナンゴで毎週火曜日と木曜日に行われる「インディヘナ市」にもご案内させて頂きました。燦々と降り注ぐ太陽の下で売られる赤や青を基調としたカラフルな小物はより一層鮮やかに映えていました。小物の中でも“ウォーリードール”と呼ばれる人形はお土産にも最適!1束12体でまとまっている人形のうち1体を就寝前に枕の下に入れて眠ると、その人形が不安や悩み事を吸い取ってくれるというお守りです。この人形の頭部はウィピルという、マヤの女性によって作られる織物で、人形自体もマヤの女性の格好をしているため、少し怒った顔から優しそうな顔、悲しそうな顔などを見ると作った時の感情が人形に現れているような気がしました。

グアテマラを訪れた際はマヤの精神が根付くお土産もおすすめです。(三浦)

>>>ユーラシア旅行社で行くグアテマラツアーの魅力はこちら

| | コメント (0)

2014年9月 9日 (火)

1枚岩の芸術、エローラ石窟寺院(ユーラシア旅行社で行くインドツアー)

先日ユーラシア旅行社の「神秘の石窟寺院、アジャンタ・エローラ。魅惑の世界遺産紀行 7日間」のツアーから帰国致しました。

今回8月11日~17日までのツアーでした。ちょうどその時期は日本もインドも夏真っ盛り!特にインドに関しては、夏は暑すぎて観光に適さないという印象をお持ちの方が多いと思います。今回の訪問箇所でツアータイトルにもあるアジャンタ及びエローラの2つの石窟寺院は、おおよそ北緯20度(ハワイと大体同じ)と日本の沖縄県よりさらに南に位置しておりますが、デカン高原の中に位置しているせいか、日中の最高気温は大体30℃くらい、出発前の東京よりもむしろ過ごしやすかったのではないかと思います。また、朝晩に至っては20℃くらいまで下がり、ひんやりとした感じが心地良く、「ここって本当にインド?」と感じずにはいられませんでした。

エローラ①

さて、2つの石窟寺院のうちの1つ、エローラ石窟寺院は500年以上の歳月をかけて、約2kmの崖に作り上げられたインド石彫建築の最高傑作であります。そして驚くことにこれらはすべてノミと金槌だけで彫られたもので、現在も所々で修復作業が行われておりますが、昔ながらのやり方のノミと金槌だけが用いられています。

エローラ②

窟の数は全部で34もあり、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教と3つの宗教の窟が混在しています。中でも一番の見どころは何と言ってもヒンドゥー教窟であるカイラーサ寺院(第16窟)です。「門」の中に入ると立派な「寺院建築物」があります。一目見て、これだけの石材を外から運んで来て、組み立てるのはさぞかし大変だったのだろうなと思いました。ところがこれらの門や寺院は組み立てたものではなく、もともと崖(玄武岩の一枚岩)だったところを、先述のノミと金槌だけを使い、上から下へと彫刻したものなのです!この寺院全体で高さ33m×幅47m×奥行き81mで、完成には150年かかっています。そして掘り出された岩の重さは20万トン!インドゾウの体重が4~5トンとすると、単純計算で4万~5万頭分の重さということになります。そして驚くのはスケールの大きさだけではありません。寺院の門、壁面、寺院の内部に彫刻は細かなところは非常に細かく彫られており、特にヒンドゥー教の神々は、顔の表情、手足などは非常に躍動感が溢れています。
今度はいったん外に出て、寺院の脇より丘に上がることができます。すると上から再びこのスケールの大きな寺院を見下ろすことができます。そしてここに立つと本当に1つの崖から岩を上から下に掘っていったことがわかります。その時私は、最初に彫り始めた石工さんに150年後に完成したこの素晴らしき寺院を見せてあげたかったと思わずにはいられませんでした。(斉藤信)

ユーラシアで行くインドツアーはこちら

| | コメント (0)

2014年9月 5日 (金)

ナミビア砂漠の最奥地にある、死湖デッドフレイの絶景(ユーラシア旅行社で行くナミビアのツアー)

先日、ユーラシア旅行社のナミビアのツアーより帰国しました。

ナミビアには、2000年以上も生き続ける幻の花「ウェルウィッチア」や2億年前の木々が化石となった「化石の森」、今でも原始的な生活を営むヒンバ族の集落など私たち観光客の期待を上回る、素晴らしい観光地がたくさんありました。

本日はその中でも、とっておきのナミビアの絶景をご紹介します。

ナミビアには、8000万年前に形成された世界で最も古いナミブ砂漠があります。
遥か上方を見上げるほど大きく、まるで山脈のように聳える大砂丘が果てしなく連なる様は例えようもなく、まさに絶景。

その砂丘群の最奥には、砂の移動によって堰き止められた川が小さな湖となり、ついには水が枯れ、「デッドフレイ」と呼ばれる死せる湖があります。

幻想的なデッドフレイ

強烈な太陽に照り付けられながら、砂丘をしばらく歩き、最後の砂丘を越えると、目の前に突然、オレンジ色の大砂丘の中に枯れた湖が出現しました。
あたかも長い間砂漠をさまよったあげくに、ついに幻の湖跡を発見したかのような、軽い感動があります。

カラカラに乾燥した砂漠の最奥にあり、かつては緑の葉を風にひるがえしていた、無数の木々が立ち枯れたまま、1000年近くも倒れることなく同じ場所に立ち続けている風景は、まさに死の世界。

かつて湖底であった白色の大地と立ち枯れた無数の木々。

そして陽光に輝くオレンジ色の砂丘。
この寒色と暖色の対照色のコントラストの絶景は、まるで絵画を見ているようです。

また、同じ視界の中には、干上がった湖と立ち枯れた木々の、「死の世界」がある一方で、風によって絶えず形と場所を変えてゆく、生命力と力強さを感じさせる大砂丘も存在し、現実の世とはかけ離れた、何とも不思議な風景です。


そして砂丘に囲まれた、この死湖の異空間だけに漂う、不気味な静けさが印象的でした。


何だかどこかで見たような風景、どこかで感じた不思議な感覚・・・。

帰国後にようやく思い出したのは、
そう、あの幻想的な絵画を描いたサルバドール・ダリの絵画の世界でした。(上田)

| | コメント (0)

2014年9月 4日 (木)

ジェノサイドから20年、アフリカ一綺麗な国に生まれ変わったルワンダ

 この度、ユーラシア旅行社の「ウガンダ・ルワンダ、三大トレッキング」より帰国しました。
 このツアーはチンパンジー、ゴリラ、ゴールデンモンキーの3種の動物に会うのが目的ですが、その中でも一番人気なのがマウンテンゴリラです。昔は、得体の知れない黒くて大きな怖い生き物と思っていた人もいたようですが、最近は研究が進んで、実は人間と同じように家族を大切にする心優しい生き物という事が分かってきています。日本でも森で暮らす彼らの様子をドキュメンタリー番組などで紹介された事もあり、本物をこの目で見たい!という方が多いようです。
 マウンテンゴリラは世界中でルワンダ、ウガンダ、コンゴの森に、約7百数十頭しか生息していない絶滅危惧種。 1980年代に、内戦や乱獲、人間の病気の伝染、森林の伐採などで減ってしまいましたが、研究者や動物保護団体、地元の人々、政府や観光客の理解と努力によって、現在ゴリラの数は増えているそうです。

子ゴリラ

 
 今回のゴリラトレッキングはルワンダのヴォルガン国立公園。
ここで野生のゴリラに会える確率はなんと97%だそう!広大な森の中に少ししかいいないゴリラにそんなに簡単に会えるの?と少々びっくりしますが、ゴリラに発信器をつけているわけではありません。
 実は、トレッカーと呼ばれる人たちが先回りして探しておいてくれるのです。ゴリラの一日の行動範囲は約800㎡だそう。つまり、前の日の夜に眠りについた場所からそう遠くには行っていないはず!私たちと一緒にいる現地ガイドが森にいるトレッカーと無線で連絡を取り合ってゴリラがいる場所まで誘導してくれるのです。森の中を歩くことに慣れていない私たちにとっては実にありがたい事です。
 通常歩き始めてからゴリラに会えるまでの時間は3時間位が多いようですが、なんと私たちは1時間半でゴリラに会えました!

お土産

 ガイドが「ヴッヴ~」というのどを低く鳴らすような声を出し、ゴリラのご機嫌を伺います。これは人間の言葉で言えば「おじゃまします」のような物。私達人間も突然沢山の人が自分のくつろぎの場所へドカドカと入ってきたらイヤですよね。この時のゴリラの反応が良ければ徐々に近づく事ができます。
  私達が今回会ったのはKWITONDAファミリー。家族みんなでゴロコロとくつろいでいる所でした。大人のゴリラは毛づくろいをしたり居眠りをしたりしてましたが、子供のゴリラは遊び盛りで、私達人間に興味を持って近くまでやってきました。黒い塊のようなゴリラの子供の目を見たら可愛くて抱き着きたい衝動にかられましたが、ぐっとこらえて見守りました。
 ゴリラトレッキングは今やルワンダの大事な観光資源。観光客からの収益は国立公園の保護や現地ガイド、トレッカー、ポータなど地元の人の現金収入につながります。
 お土産屋さんに並ぶ同じようなゴリラの置物ひとつひとつに小さな紙に書かれたイニシャルが貼ってあり、売り上げ金が作り手に渡るシステムになっています。
 この国立公園にやってくる外国人観光客によってこの村の人々の生活が支えられているのを感じました。
 情報があまり無く、20年前のジェノサイドや内戦のイメージが今なお強いルワンダですが、実は今やアフリカ一綺麗で治安が良いと言われている程、安心して観光できる国になっているのです。
 ルワンダの国内を車で走っていると、確かに感じるのが「町が綺麗」という事。他の国だったら道端の吹き溜まりに集まっていそうなビニール袋や紙ゴミなどが、よーく見てみてもひとつも落ちていません。

子ゴリラ

 現在の大統領ポール・カガメの政策で、町中に清掃員を配置して清掃にあたらせているのだとか。確かに現地ガイドも一緒に歩いている時にさりげなく小さなゴミを拾っていたり、国境での入国審査でもビニールの持ち込みがチェックされたり、国と国民が一体となって頑張っているんだという印象を受けました。
 最近では西アフリカでエボラ出血熱が流行し、残念ながら同じアフリカ大陸というだけでルワンダも危ないのではないかと心配になってしまう方がいるようです。西アフリカからルワンダの距離は約5000㎞、東南アジアで言ったら、ブータンやラオスで問題が起きたから同じアジアの日本も危険と思われてしまうようなものです。
 ルワンダに行った事のある人は皆、ルワンダの町や自然の美しさ、治安の良さ、人の優しさを知っています。「ルワンダ=ジェノサイド」という印象から「ルワンダ=ゴリラ」に切り替えようとしている彼らの努力に協力できたらいいなと思いました。(関根)

| | コメント (0)

2014年9月 3日 (水)

モン・サン・ミシェルの新橋~未来への懸け橋(ユーラシア旅行社で行くフランスツアー)

先日、ユーラシア旅行社「フランス物語15日間」より帰国しました。まさにバカンスシーズン真っ只中のフランス!どこもたくさんの観光客で賑わいを見せていました。

南から北へ縦断するこのツアーでは、それぞれの地域や街の違った魅力や特色を一度に楽しむことが出来ます。そんな中で今回ご紹介するのは、モン・サン・ミシェルに設置された新橋です!
モン・サン・ミッシェルを取り囲む、サン・マロ湾は、潮の干満の差がヨーロッパで最も激しい所として知られ、満ち潮と引き潮の差は15メートル以上もあります。
そのため、かつては満ち潮のときには、孤立した海に浮かぶ島となり、引き潮の時に自然に現れる陸橋によって島へ渡っていました。

140801wf15_442その後、本土と島を結ぶ道が完成し、いつでも島へ渡れるようになりましたが、この橋により、急速な陸地化が進んでしまい、かつての海に浮かぶ神秘的な島の姿が損なわれてしまいました。そのため、以前の美しいモン・サン・ミッシェルの姿を取り戻そうと、数年前から、新しい橋をかける工事が進められ、8月中旬に本格的に開通。

新橋は潮の流れをせき止めにくい構造になっています。堤防道路の撤去作業は、来年夏ごろに完了するとのことで、将来的には、新橋のみの利用にする予定です。

140801wf15_473

今回、運が良いことに、開通したばかりの新橋を利用して、片道約2キロ(40分)の僧院までの道のりを歩くことが出来ました!まだ歩行者と自転車のみの利用でしたが、大変貴重な経験となりました。
自然景観や湾に生息する動植物の保護や「海に浮かぶ修道院」の回復など・・・。モン・サン・ミシェルの明るい未来を作り出す新しい懸け橋に今後大注目です!(飯野)

続きを読む "モン・サン・ミシェルの新橋~未来への懸け橋(ユーラシア旅行社で行くフランスツアー)"

| | コメント (0)

2014年9月 2日 (火)

ヨーロッパで最も若い国、コソボを旅して(ユーラシア旅行社で行くコソボツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「コソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ周遊 9日間」より帰国しました。この地域は、絶大なカリスマ性をもつチトー元帥指導の下で統一された、“7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字による1つの国家”ユーゴスラビア社会主義連邦として記憶に新しいです。しかしながら、それぞれの国の独立が進み、2008年にはコソボがヨーロッパで最も新しい国家になったのです。
 コソボというと、どうしても内戦・紛争というイメージが強く観光出来る場所があるの?と思われがちですが、実は、中世セルビア王国時代に建てられた素晴らしい教会が点在するセルビア正教建築の宝庫でもあります。なぜならコソボは、初めて南スラヴ人を統一した中世セルビア王国が築かれ、そしてオスマン帝国によって敗れたというセルビア人にとって心の拠り所となっているからです。セルビア正教会付近には、基本的にセルビア人が居住しています。セルビア人の家は屋根が4面あり、アルバニア人の家に比べると小さいのが特徴です。ただし、セルビア人居住地区といっても私たち観光客が立ち入る分には特に問題はありません。パスポート等のチェックはありますが、穏やかなものです。こういったセルビア正教会を含む観光地は、国連が指揮するKFOR(コソボ治安維持部隊)により警備されています。コソボには、まだ独自の軍事システムが存在しないのですが、いずれこの風景も変わっていくのではないでしょうか。

Photo

 そして非常に印象的だったのが、今回の旅でたくさん出会った結婚式の様子です。コソボでは、失業率が40%を超えており多くの人々がヨーロッパ各国に出稼ぎに出ています。その為ヨーロッパ全体がバカンスに入り、家族が集うことができる7~8月に挙式されるそうです。まず花嫁の家から家族や友人が車で花婿の家に行き、さらに式場まで移動します。この移動が非常に賑やか!時には20台以上の車が連なりますが、なんといってもスイスナンバーの車もあったのは驚きでした。

Dscf4169

 ガイドさんは、コソボは2つの意味で最も若い国といえると語っていました。一つは2008年に独立したばかりのまさに若い国、そしてもう一つは生産年齢人口が占める割合が最も多い国ということです。バルカン半島の奥深い歴史を思うとコソボは生まれたばかり、若者が多いということで、もしかしたら飛躍的な発展を遂げるかもしれません。これからどのような歴史を刻んでいくのか…この国も未来をずっと見守っていきたいと強く感じました。(坂田)

| | コメント (0)

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »