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2014年10月

2014年10月31日 (金)

“走る5つ星ホテル”ブルートレインに乗車しました!(ユーラシア旅行社で行く南アフリカツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「南部アフリカ・ブルートレインとビクトリアの滝 10日間」から帰国しました。アフリカ大陸最南西端の喜望峰、この時期見ごろを迎えるジャカランダの花、世界三大瀑布の一つ、ビクトリアの滝に象の棲息地として有名なチョベ国立公園と見所満載の10日間ですが、何といっても今回の目玉はケープタウンからプレトリアまで乗車した豪華列車「ブルートレイン」です。
 100年以上の歴史を誇り、世界一の豪華列車としてギネスも認めるブルートレイン。ケープタウンからプレトリアまで約1600km、28時間の列車の旅です。
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 ケープタウン駅に到着すると、出発時刻までブルートレインの乗客用ラウンジにて待機。優雅な時間の始まりです。ウエルカムドリンクのシャンパンのサービス、そしてトレインマネージャーの挨拶のあと、早速列車に乗り込みます。“走る5つ星ホテル”の呼び名もあるくらい、ブルートレインの客室は充実の設備。ソファは就寝時にはベッドに。各客室にお手洗いとシャワールームも完備されています。ブルートレインは設備だけではなく、そのサービスも世界トップクラスといわれており、ブルートレインの各車両につく専門のバトラーさんがきめ細やかにお世話をしてくれます。
 ケープタウンのシンボル、テーブルマウンテンに見送られながら、いよいよ列車は出発。バトラーさんが各客室をまわり、丁寧に設備の案内をしてくれます。車窓には、ワイン用のブドウ畑が延々と連なり、そして徐々に雄大なアフリカの大地が広がるころ、最初のお食事、ブランチタイムです。前菜からメイン、デザート、チーズまでのフルコースをダイニングカーにてお召し上がり頂きます。料理も1種類だけではなく、複数の料理からお好みのものを召し上がって頂くことができ、メインにはダチョウのステーキ等南アフリカらしいものも。また、飲み物も一部の銘柄を除いてはビールや各種南アフリカワイン、ソフトドリンク等無料でお飲み頂けます。列車内のキッチンで作られる、まるでレストランに来たかのようなお料理と共に、皆様お酒もすすんでいました。
 食後は、客室で休んだり、窓の大きなラウンジカーでくつろいだりと思い思いの時間を過ごして頂きます。ラウンジカーでは、24時間珈琲を飲んだり、ビールを飲んだりできますが、特に午後にはハイティーというお茶の時間が設けられ、テーブルに美しく盛り付けられたお菓子をお供に優雅なティータイムをお過ごし頂きました。
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 そして、お夕食。昼食や朝食時はカジュアルな服装でも構いませんが、夕食時は伝統を保つため、男性はネクタイにジャケット、女性はエレガントな洋服と、皆様ドレスアップ。夕食も前菜からデザートまで、お好みのメニューを選択頂きゆったりと召し上がって頂きました。
 そして、就寝時間。客室を暗くし、窓の外をのぞきこむと、びっくりするくらいに空に輝く満天の星。ブラインドを開けたまま寝ると、翌朝には雄大な大地から朝日が昇ります。お昼頃、終点のプレトリアに到着してもまだ乗っていたい!との皆様の声。笑顔のバトラーさんたちに見送られ、まるで夢のひとときのような列車の旅を終えたのでした。(川井)

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2014年10月30日 (木)

ルーマニア・マラムレシュ地方の木造教会(ユーラシア旅行社で行くルーマニア・ブルガリアツアー)

先日、ユーラシア旅行社で行く「ルーマニア周遊とリラの僧院夢紀行 10日間」のツアーより帰国致しました。このツアーはルーマニアとブルガリアにあるリラの僧院を巡るツアーです。その中でも今回はルーマニアの「マラムレシュ地方」について書かせて頂きます。
マラムレシュ地方はルーマニアの北西部に位置し、ウクライナとも国境を接しています。この地域の特徴は何と言っても木造の教会が点在していることです。今回のツアーではスルデシュティ村、ブデシュティ、ボグダンボーダと3カ所の木造教会ご案内させて頂きました。これらの木造教会は17~18世紀に建てられたもので、他の地域の教会とは形が違います。その特徴とは急傾斜の屋根が二重になっていて、入口に近い側の屋根にとてつもなく高い塔が伸びています。ちなみにスルデシュティ村の教会は高さが72mで古い木造教会としては世界で一番高いそうです。これらの高い塔は、敵からの襲撃に備えての見張り塔だったそうです。またいざ襲撃を受けた時はすぐに解体をして、再び組み立てることも容易だったそうです。また下の屋根も急斜面なのは、冬の雪対策を考えてのことだそうです(日本の白川郷などの合掌造りと共通するものがありますね)。スルデシュティ村の木造教会

そして中に入っても他の教会との違いが分かります。通常ルーマニアの教会は「ルーマニア正教」ですが、これらのマラムレシュ地方の教会は「ギリシャ・カトリック方式」です。これは簡単に言うと、ギリシャ(ルーマニア)正教とカトリックの折衷様式でありますが、理由はその時代にオーストリア・ハンガリー帝国がこの地を支配していましたが、カトリックを信仰するよう圧力をかけられ、それに対する妥協案としてこの様式になったとのことです。具体的には、正教の特色であるイコン(聖画)とイコノスタシス(聖障壁)があるのと同時に、カトリックの特徴で正教の教会にはないベンチやイエス像やマリア像があります(残念ながら教会内は撮影禁止のためここではお見せできませんが)。ブデシュティの木造教会

ただこれらの教会は現役で使われているものもあれば、現役を退き文化財として保存さているのみのものもあります(現在はコンクリートでできたものが主流となりつつあります)。やはり木造の方がメンテナンスにも手間がかかり、特に屋根は50年に1回は張り替えられるそうです。もちろん今の世の中、めったなことでは敵からの襲撃に遭うこともないので、組み立てが容易な木造教会の必要性はほとんどありませんが、木造建築を残そうとする心意気は現地の人からもひしひしと感じました(新築の木造教会もちらほら見掛けました)。教会の中に入った瞬間に漂う木の匂いをかぐとほっとした気分になります。やはり木のぬくもりを愛する気持ちは、マラムレシュ地方の人たちと我々日本人と相通じるものがあると感じずにはいられませんでした。(斉藤信)

ユーラシア旅行社で行くルーマニア・ブルガリアツアーの魅力はこちら

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2014年10月29日 (水)

田舎めぐりは美味しくて楽しい!!秋の南西フランス(ユーラシア旅行社で行くフランスツアー)

 この度、「南西フランス紀行」より帰国しました。
 このツアーでは一般の周遊コースではなかなか訪問が難しい山間の村コンクや赤い町コロンジュラルージュ、サンシルラポピーなど、今人気の「フランスの最も美しい村」も訪れます。

コンク

沢山の小さな田舎町に立ち寄りましたが、自由散策の時間もたっぷり取れて、ゆったりのんびりとフランスの田舎町を満喫してきました。
 いつ訪れても美しい景色の多い南西フランスですが、秋は黄葉も楽しめます。10月上旬は山間の村は朝晩10℃以下まで冷え込みますが、日中は27~28℃と暑い日も多かったです。黄葉にはまだ早いかなと思いましたが、断崖絶壁に張り付くように建っているロカマドゥール周辺の木々や車窓から見える葡萄畑など、うっすら色づいていてとても綺麗でした。

ロカマドゥール

もちろん「秋の味覚」も楽しめます。
 ツアーで用意している名物料理は、メニュー名は他の季節と同じでも、スープやソースにきのこを使ったりサラダにクルミを散らしたり、秋ならではの食材を利用して調理してくれていました。
 田舎町での食事は、観光客に慣れている都市部のレストランと違いサービスに時間がかかったりしますが、その分、地元の食材を利用した作りたての料理を味わう事ができます。
日本でもクルミはありますが、取れたての新鮮なクルミを食べられるのは一部の地域で、都会で暮らす人にとっては贅沢品です。そんなクルミが市場や町角でも山のように売られていました。

セップ茸のオムレツ

 新鮮なクルミは、日本のスーパーで売っているミックスナッツに入っているクルミとは全く違い、ぎっしりとした重量感もあり、しっとりしていてとても美味しいです。
市場などでは量り売りで、1キログラムの値段が書いてありますが、100グラム位でも売ってくれます。店の主人が袋に入れてくれるので「そのくらいで」と思った所で合図すればその分の料金を出してくれます。
 ツアーに参加されたお客様も地元の人に混ざって沢山クルミを買われていました。このクルミでパウンドケーキを作ったらさぞかし美味しいだろうなと想像してしまいました。(関根)

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2014年10月28日 (火)

果たして地獄はどんなところ?(ユーラシア旅行社で行く地獄の門ツアー)

先日、今秘かに話題のトルクメニスタン・地獄の門のツアーより帰国致しました。
資源に恵まれ、現在、世界の大国が経済的に注目する中央アジアの国・トルクメニスタン。
ソ連の時代を経て、近年まで独裁がとられていたことから、閉鎖的な地ではありましたが、現在、観光にも力を入れており、ヨーロッパ人の観光客をはじめ、徐々に知名度も上がって参りました。弊社でも、以前から、トルクメニスタンには注目をしておりましたが、今、新たな一大観光地としてご案内しているのが「地獄の門」です!
まずネーミングに魅かれる方も多いのではないでしょうか。旧ソ連時代に行われたガス調査中に事故があり、そこから有毒ガスが噴出する事態になりました。このガスを食い止めるため、火を点けたのですが、天然ガスの埋蔵量が不明確なため、すでに43年間もの間燃え続けていて、この先、どれだけ燃えるのかも不明とのことです。
弊社ツアーでは、この地獄の門の近くにテント泊をして、暗闇の中で炎を上げる、迫力満点のクレーターを思う存分お楽しみ頂きます。

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「えっ?危険では?」「テント泊は抵抗がある」というお客様もご安心を!
クレーターの近くとはいっても、宿泊地は、徒歩10分程の圏内にある、キャンプサイトをご用意しております。
テントや寝袋はお一人様ひとつずつ用意しており、組み立て等は、全てスタッフが行います。お食事は、遊牧民の伝統的なテントであるユルタにて、皆様で団欒を楽しみながら、召し上がって頂きます。お食事ももちろんスタッフの手作り!バーベキューやお野菜など、簡単なものではありますが、ユルタで食べる食事はまた格別です!
食事の後は、ご希望の方と再び、夜の地獄の門へ。エネルギーに満ちた荒々しさの中にも、神秘的な美しさがある姿に、飽きることなく時間が過ぎていきます。
電気や水道こそないですが、満天の星空に見守られながら過ごす夜は、贅沢な時間でした。地獄もなかなか良い所ですよ!(飯野)

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2014年10月24日 (金)

マチュピチュに魅せられて(ユーラシア旅行社で行くマチュピチュツアー)

 先日、ユーラシア旅行社『マチュピチュ、ナスカ、ウユニ塩湖とイグアスの滝 15日間』より帰国しました。誰もが一度は訪れてみたいと夢見る場所。そんな観光地を次から次へと巡る15日間は目まぐるしく、あっという間の15日間でした。その中から今回は皆が憧れるマチュピチュ遺跡をご紹介させて頂きます。
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 インカ帝国が崩壊した後、誰の目にも触れることなく、ジャングルの中で何百年も眠り続けたマチュピチュ。そしてその遺跡はまるで上空に浮かぶように突如として目の前に現れたのです。1911年、アメリカの考古学者・ハイラムビンガムによって謎の空中都市は世界中の人々に知られることになるのです。<空中都市>なんて聞くと、それだけでなんだかワクワクが止まりません。まるでおとぎ話にでも出てくるようなその遺跡は、もちろん本当に空中に浮かんでいるわけではないので、行きたい!と思えば誰でも行くことが出来る場所なのです。
 ユーラシアのツアーでは2日間かけて遺跡を訪れる為マチュピチュの色々な顔を見ることができました。現在、乾期ではあるマチュピチュでしたがもともと雨も多い地域。常に太陽サンサンというわけにはいきません。ですが雨だからといってマイナスな事ばかりではありません。雨と霧に包まれたマチュピチュはとにかく幻想的で、謎と言う言葉がぴったり。本当に全体が宙に浮かんでいるような錯覚さえ感じます。そうこうしているうちに雨が止むと霧は晴れ全貌が明らかに。同じ場所なのにこんなにも印象が違うものなのだと驚かされます。また、観光客の多い午前中は賑やかでマチュピチュの人気の高さを実感させられますが、午後にもなると日帰りツアーのグループも多いからか一気に人がいなくなり辺りはシーンと静まり返ります。マチュピチュ村に宿泊する私たちは急いで帰る必要はありません。午後もゆっくり遺跡を独り占め?改めてのんびりと見て回る事もできるし、マチュピチュ村でお買い物を楽しんだり温泉にだって行くことが出来るのです。更に翌日も再びマチュピチュ遺跡を訪れることでより一層堪能できます。今回、ご希望の方とインカ古道を歩いて太陽の門、インティプンクへ行きました。マチュピチュの九十九折のハイラムビンガムロードや遺跡を違った角度から見ることができ大満足の2日間でした。
 眠りから覚めたマチュピチュは沢山の魅力を秘めています。訪れる際は是非時間をかけて色々な顔のマチュピチュをご堪能下さい。(岩間)

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2014年10月23日 (木)

フレンチバスクの魅力に触れる(ユーラシア旅行社のバスクツアー)

先日、「南西フランス、絵のような風景へ 13日間」より帰国しました。
黄葉のベストシーズンに、田舎町を中心に周遊をしてきました。
旅の前半に訪れたバスク地方に関しては、
ガイドブックにもほんの少しのページしか割かれていないので、
事前情報を得難い地域です。
バスクは、フランスとスペインの国境にまたがって広がり、
俗に「海バスク」と「山バスク」に分けられ、
海の幸も山の幸も食べられるグルメな地域です。
また、海側にはリゾート地が、山側にはバスク様式の建物が残る田舎町があり、
まさにいろいろな魅力を兼ね備えた地域です。
バスク地方ツアー
今回訪れた中のひとつ、サンジャン・ド・リュズという町は、
かつては漁師の町として多いに賑わっていた港町でした。
裕福な船長や船会社の社長たちが豪華な館を建て、
町の中心の教会では、
ルイ14世とマリー・テレーズのロイヤルウェディングが行われたのです。
あまり知られていない、こうした中世の栄華を誇った町も、
現在は静かで鄙びた港町となっています。
小さな港には小さな船が停泊し、
17世紀頃の船長達が建てた館や、
赤・白・緑を基調とした木組みがかわいらしい、バスク様式の建築が並んでいます。
バスク地方ツアー
そして、この町を訪れたら是非とも立ち寄るべきもうひとつの場所が、
元祖マカロンの店「メゾン・アダム」です。
現在巷で広まっている、クリームを挟んだカラフルなマカロンとは違い、
素朴でしっとりしたクッキーのようなマカロンです。
1660年創業のこのお店は、
創業年のロイヤルウェディングの際にマカロンを贈呈して、
王妃マリー・テレーズに大変喜ばれたという話が残っています。
マカロンは日持ちがしないのでお土産にはできません。
その場で買って食べてみて、
17世紀から伝わる伝統的な味を楽しみました。(飯岡)

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2014年10月22日 (水)

ウズベキスタンの高速鉄道(ユーラシア旅行社で行く中央アジアツアー)

先日、「カラカルパクスタンも訪問!ウズベキスタン大周遊 10日間」から帰国しました。穏やかな秋の気候の中、シルクロードの古都やティムール帝国の栄光が息づく都サマルカンドを連泊のあるゆとりの日程で巡って来ました。ウズベキスタンは過去の記事でも何度か紹介しているので、本日は今回乗車したウズベキスタンの高速鉄道「アフラシャブ号」についてご紹介します。

ウズベキスタンには、旧ソ連時代に張り巡らされた鉄道網の名残りで国内の地方都市や旧ソ連領の主要都市にと繋がる鉄道が敷設されています。
しかし、古いタイプの列車しかなく、ウズベキスタンが国を挙げて敷設に取り組んだのが、二大都市であるタシュケントとサマルカンド間を結ぶ高速鉄道です。3年前の2011年に完成し、運行が開始されました。

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車両はスペインの新幹線AVEも手掛けるタルゴ社が手がけ、車内はウズベキスタンを一瞬忘れてしまう程欧州風。座席間隔も広く快適で、約2時間の走行中にドリンクやスナックのサービスもあります。その他車内販売メニューも充実していて、到着後すぐの食事がなければ、色々食べてみたかったところでした・・・。難点はこれも欧州風で各車両の座席が半分ずつ向きが異なり、必ず半分が進行方向を向いていて、残り半分が進行方向と反対方向に向いているところ。全席進行方向にくるっと回る日本式に慣れているのでちょっと違和感は残りました。

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それでも2時間の列車の旅はあっという間に終わり、駅からまたバスに乗ってホテルへ。土地柄バスでの移動が長いウズベキスタンですが、列車は時間も短縮でき、現代のウズベキスタンを垣間見れる体験になるので、余裕があれば、是非お勧めです。

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2014年10月21日 (火)

400年の友達、日本とスペイン(ユーラシア旅行社で行く北スペインツアー)

 先日、「楽しく歩こう!北スペイン、巡礼の道」のツアーから帰国いたしました。秋の足音が聞こえる北スペインは暑くも寒くも無い絶好の行楽日和、車窓の風景も色付き始めており不思議と郷愁を感じる様子でした。

 今回は、牛追いで有名なパンプローナやステンドグラスの美しい大聖堂があるレオンなど北スペインの有名観光地を巡るとともに、中世から続く祈りの道サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路歩き体験してみよう、というテーマ性のあるツアー。ツアー初期に「巡礼路を踏破するのは体力に自信が無くて・・・」なんておっしゃっていたお客様が、最終的に「今度は春に100キロ歩いて巡礼証明書を貰うわ!」と決意を新たにしていたのが非常に印象的でした。

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 初回の巡礼路歩きではあいにくの雨模様、しかしツアーが進むにつれてお天気はどんどん上り調子になり、最終目的地サンティアゴ・デ・コンポステラ到着日など、朝から真っ白な霞に包まれていたにも関わらず、皆様の願いが届いたのかゴゾの丘に到着する頃には真っ青な快晴に!まるで聖ヤコブ試され、そして祝福されているような気がしました。

 さて、実は今年2014年は支倉常長が大使となった慶長遣欧使節団がスペインに到着してから400年の記念イヤーで、日本スペイン両国の各地で様々な交流事業が行われていたのをご存じでしたか?今回のツアー中に巡礼路沿いにひとつ交流の証を発見したのでここでご紹介。

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 上の写真の観音像は香川県の仏師凡海さんが生きた樹木に掘り込んだもの。モリナセカの町のアルベルゲ(巡礼者専用の宿泊施設)の庭に静かにたたずんでいます。キリスト教の巡礼路に仏教の観音様、話だけ聞くとミスマッチですが、なかなかどうして違和感無く溶け込んでいます。日本にも四国お遍路さんのような、似た文化があるからでしょうか。宗教は違えど、この観音様も今後、聖ヤコブとともに巡礼者達を暖かく見守ってくれることでしょう。(三輪)

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2014年10月17日 (金)

マスカル(十字架)はエチオピアの心(ユーラシア旅行社で行くエチオピアツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「エチオピア物語 18日間」より帰国致しました。
エチオピアは丁度、雨季から乾季への変わり目で、雨に降られた時もありましたが、概ね青空にも恵まれ、爽やかな気候の中で観光を楽しむ事が出来ました。

 エチオピアというと、まだまだ未知の国という印象が強いかと思います。そんなエチオピアの魅力は何と言っても「人」です。穏やかで素朴、そして譲り合いの精神を持った彼らは、何となく日本人の気質と似ていて、親しみを感じます。

 そんなエチオピアの人々の心の拠り所がマスカル(十字架)です。
エチオピアで最も有名なラリベラの岩窟教会群の一つ、聖ジョージ教会を始め、様々な教会建築でマスカルは重要なモチーフとなっています。また、この時期満開を迎えていたエチオピアの国花でもあるマスカルの花も、黄色い小さな花ですが花弁が十字を表しています。

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そして、何と言ってもマスカル祭!
エチオピアの首都、アディスアベバで年に一回開催されるマスカル祭は伝統的な宗教行事です。今回のツアーでは、このマスカル祭にも参加してきました。

マスカル祭は西暦326年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の母、ヘレナがキリストが磔にされた十字架を発見したことを祝う由緒正しいお祭りです。

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アディスアベバ中の教会から集まったという司祭さんや修道士さん達は、皆華やかな祭服を着て、カラフルな傘をさして手に十字架をもっています。彼らの聖歌の大合唱、ベルやドラムの演奏に杖を使っての踊りで会場は荘厳ながらも賑やかな雰囲気です。その後、数千人の日曜学校の生徒さんたちの集団演技やマーチングバンドに続き、最後は会場の中心にあるトーチに火が灯されお祭りはクライマックスを迎えます。
トーチに火をつけるのは、ヘレナが焚き火の3つの煙のたなびく方向に従っていった結果、十字架を発見したという伝説が由来となっています。

人々が手に手にローソクを持ち、その光で会場が満たされ、また嬉しそうな笑顔で一杯になるクライマックスは、何ともいえない心打たれる瞬間でした。

東アフリカ唯一のキリスト教国であると言われるエチオピア。彼らの素朴ながら力強い、そして熱い信仰心を垣間見た気がしました。(坂田)

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2014年10月16日 (木)

ここが魅力!乾期のウユニ塩湖(ユーラシア旅行社で行くウユニ塩湖ツアー)

先日ユーラシア旅行社の「レンソイス白砂漠とウユニ塩湖 感動のハイライト 13日間」より帰国致しました。今回の旅行のテーマは白。エメラルド色のラグーンを湛える白砂漠レンソイス、真っ白な塩の大地が広がるウユニ塩湖……。南米が誇る白の絶景を堪能できた、素晴らしい13日間となりました。
日本では雨期が話題になっているウユニ塩湖ですが、乾期も魅力は尽きません。雨期に「天空の鏡」と称される姿から一辺、乾期のウユニ塩湖には真っ白な塩の大地が広がります。今回は乾期のウユニ塩湖の魅力を2つ、皆様にご紹介したいと思います。
まず一つ目はウユニ塩湖の真ん中に位置するインカワシ島です。雨期だと水量により行けないときもありますが、乾期であれば必ず訪れることができます。

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「インカワシ」とは「インカの家」という意味で、その昔インカ帝国の王様がこの地に集落を作ったことからこの名前が付いたそうです。インカワシ島で必ず目にするのは巨大なサボテン。島のいたるところに生えています。自分の身長の倍以上ありそうなサボテンがたくさんありましたが、なんと一年間に1㎝しか成長しないのだそう。また、大昔ここが海だった証拠に珊瑚礁の化石もたくさんあります。サソリやビスカチャというしっぽの長いうさぎも生息しているそうですが、残念ながら今回は見ることはできませんでした。このようにいろいろな見どころがあるインカワシ島ですが、一番の魅力は頂上からの景色です。インカワシ島は小さな山のようになっており、頂上まで、ゆっくり歩いて30分くらいで登ることができます。この島が塩湖の中央に位置するため、頂上からは360度に広がる塩湖の景色を楽しめるのです。
もう一つ、私がおすすめする乾期の魅力はウユニ塩湖で見る星空です。晴れの日が多い乾期では満点の星空を見られる可能性が高いのです。今回はウユニ塩湖に2連泊しましたが、2日とも楽しむことができました。真っ白な大地に寝転がり、日本ではなかなか見ることのできない南十字星を探したり、天の川を眺めたり……とっても贅沢な時間を過ごすことができました。
乾期のウユニ塩湖、おすすめです! (佐藤)

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2014年10月15日 (水)

「天空の町」チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ(ユーラシア旅行社で行くイタリアツアー)

先日、イタリアの添乗から帰国しました。
今回は10日間でイタリアの主要都市、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマに加え、サン・ジミニャーノやチヴィタ・ディ・バーニョレッジョ等、個人ではなかなか行くことが出来ない町にも訪れました。
今回はそのチヴィタ・ディ・バーニョレッジョについて、少し書きたいと思います。

イタリア旅行、イタリアツアー

オルヴィエート近郊、ウンブリア州とラツィオ州の州境にある小さな町、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ。バス停近くの展望台からは、「天空の町」の全景が見られます。風や雨の侵食によって出来た陸の孤島のような地形の上に造られた町は、本当に空に浮かんでいるように見え、誰もがカメラを構えたくなる不思議な景色です。
町の中に入るには、300メートルの橋を渡ります。入口の門をくぐり中に入ると、まるでタイムスリップしたかのよう、目の前には黄褐色の煉瓦で作られた中世の町並みが広がります。この町だけ時間が止まっているかのようです。とても小さな町なので、10分もあればぐるっと見て回ることができます。
遠くから見ても、中に入っても魅力的な町ですが、一つ気になる事がありました。
それは、人がいないことです。チヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、こんなに美しく魅力的な町にも関わらず、別名「死にゆく町」「滅びゆく町」とも呼ばれています。それは、今現在も雨や風による侵食が進んでいて、本当に滅びてしまうのも時間の問題だからだそうです。
また、360度断崖絶壁で、300メートルの橋のみが町へ行く唯一の手段であるため、その不便さからも、現在町で生活している人々は20名弱だそうです。
今回、どこの観光地に行ってもたくさんの人で混んでいたため、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョのように人が少なく、あまり観光地化されていない町は、ゆっくり散策をするのにピッタリでした。
最後にまた展望台へ戻り、その美しい光景を再び目に焼き付けて、その地を後にしました。(松本)

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2014年10月14日 (火)

おサルの天国!?世界遺産シミエン国立公園滞在記(エチオピア)

  こんにちは。先日、ユーラシア旅行社の「神秘の歴史、エチオピア世界遺産紀行12日間」のツアーより帰国致しました。すっかり日本も秋めいて参りましたが、9月のエチオピアの気候は雨季の終わり。首都のアディスアベバを始め、ラリベラ、アクスムなど、平均標高が2000メートルを超す北エチオピアは非常に涼しく、日本よりも過ごしやすい気候でした。

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 さて、本日は北エチオピアで出会ったおサルさんをご紹介したいと思います。
北エチオピアは宗教史跡が多いイメージかもしれませんが、実はエチオピア最高峰の山脈が連なる自然が美しい地域でもあります。この辺りは、「アフリカの天井」とも呼ばれ、3000メートルや4000メートル級のシミエン山脈が110kmもの長さで連なっています。
この「アフリカの天井」はシミエン国立公園に位置し、世界遺産にも登録され、牧草地帯の緑一面の美しい大渓谷が広がります。
そして、このシミエン国立公園の住人がゲラダ・ヒヒというおサルさんです。

ヒヒと聞くと、ケニアやタンザニアなどでご覧頂いたことがある方も多いかもしれません。しかし、このゲラダ・ヒヒはエチオピアの固有種で、低地での争いに負けてシミエンの高原地帯に移り住んだと考えられています。サルなどの霊長類は森の中に生息していることが多いですが、ゲラダ・ヒヒは人間を除いて、最も地上の生活に順応しているおサルさんです。

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 シミエン国立公園内のロッジから歩いて散策スタート。すると歩き始めて約5分!座って草をむしり食べているゲラダ・ヒヒの大群に遭遇!こんなに早くに見つかるとは思っていなかったのでお客様も私もビックリ。
ゲラダ・ヒヒで特筆すべきことは、彼らの顔の表情や声、ジェスチャーを組み合わせて会話をすることです。群れ同士は、そのような表現方法で会話をしながら、なるべく平和的に争いを避けながら生存してきたそうです。
今回、ユーラシア旅行社のエチオピアツアーで会ったゲラダヒヒの群れはざっと300頭!静かに観察をしていると、
「キーッ!キーッ!」という声が四方八方から聞こえてきます。表情を見ていてもとっても面白く、身体が大きいオスザルを奥さんザル、子どもザルが取り囲み毛繕いをしています。どこの家庭も亭主関白のようです。私たち人間が一歩でも近づくと、歯茎を剥き出して「シャーッ」と威嚇。この表現方法も、会話の1つだとか。彼らは争いを避ける為に、この「威嚇」を使いながら解決してきたよう。 威嚇はするけど基本的には大人しく、手を出してくるような暴力的なことはしません。じっと、静かにゲラダ・ヒヒの大群を観察しました。

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余談ですが、このシミエン国立公園は、日本のJICAが共同プロジェクトをしているようで、「シミエン国立公園および周辺地域における官民協働によるコミュニティ・ツーリズム開発プロジェクト」と称して展開しています。国立公園の入り口で手続きをしていたら、「日本人がガイドやレンジャーの指導をしてくれた」「観光は地元活性化の為にあると教えてくれた」等、受付の方が語ってくれました。こんな所にも、エチオピアと日本との繋がりを発見しました。

エチオピアの世界自然遺産シミエン国立公園。平和主義のおサルさんに出会える貴重な場所でした。(坂岸)

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2014年10月10日 (金)

和洋折衷の教会の妙、祈りの島・五島列島で信仰に触れる(ユーラシア旅行社で行く日本ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「五島列島巡礼の旅」に行ってきました。五島列島は、九州は長崎から西沖に浮かぶ島々。佐世保から高速船で約1時間20分ほどのところにあります。
五島列島での見どころは、教会群です。島内には約50もの教会が点在し、その中でも明治末期から昭和初期に建築された歴史的価値ある教会が、今に姿を残しています。明治初期に禁教令が解かれた後、活躍した建築家が五島出身の鉄川与助です。大工の棟梁の家に生まれた鉄川氏は、布教にやってきた宣教師の下で建築を学び、日本の風土に合うように改善して長崎を中心に教会を建築しました。

ユーラシア旅行社の日本ツアー、五島列島(福江島)の水ノ浦教会

鉄川氏が設計した教会を訪問してみると、まず教会の佇まいに見惚れます。小さな教会が、周囲に溶け込むようにして建っています。浜辺であったり、山間であったりしますが、小さな島なので集落の人口は多くはありません。そのため、当時の教会の規模は小さいものが多いです。ステンドグラスをはめたアーチ型の窓や、白や青で塗られた壁は一見、西洋風です。しかし、よく見ると雨戸がついている教会もあります。また屋根には灰色の瓦。いずれも多雨な日本の気象条件に適応しています。また教会内に入ると、コウモリ傘を開いたようなリブボールト天井です。ヨーロッパの教会では石材を積み上げて築かれているものをよく見ますが、五島では木材で作られています。船底を内側にしたような天井には、船大工の技術が活かされていました。西洋建築ではあっても、なんだか親しみやすい雰囲気を漂わせているのは、こういった日本独自の建築技術や建材が使われているからなのでしょう。どれも鉄川与助が心血を注いで建築した教会です。

ユーラシア旅行社の日本ツアー、五島列島(久賀島)の旧五輪教会

古い教会は、今では使われなくなったものもあります。しかしながら、近隣の住民たちによって、鉄川与助建築の教会は今も大事に、そしてきれい保存されていることに気づきます。この古い教会は、五島列島に住むキリスト教徒の人々の信仰の歴史です。五島列島では、真摯に祈りを捧げる人たちに出会います。日曜日のミサには、教会の座席が埋まるほどの人たちが参列していました。
このような様子を目の当たりにし、過去から現在へと、五島列島の人たちが守ってきた信仰の深さを感じずにはいられませんでした。五島列島では、日本ならでは特徴ある教会に出会いました。そして同時にそれらを築き守ってきた、キリスト教の信仰心の深い人々にも出会ったのでした。(斎藤さ)

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2014年10月 9日 (木)

吟遊詩人の歌声に酔いしれて(ユーラシア旅行社のバングラデシュツアー)

先日バングラデシュのツアーより帰国しました。
北海道よりちょっと広いだけの国土に
日本全体と同じくらいの数の人々が暮らす国です。
バングラデシュはイスラム教国ではありますが
歴史を紐解けば仏教やヒンドゥー教の時代も長く
各地に壮麗な遺跡が残されています。
遺跡だけではなく、長らく多宗教が混在したこの国には、
宗教的な、あるいは、反宗教的な考えも残っています。
バングラデシュツアー、ラロンの歌を歌う吟遊詩人
歌や演劇が大好きなバングラデシュの人々がこよなく愛するのは
中世活躍した吟遊詩人ロランの残した歌です。
ヒンドゥーの家に生まれ
イスラムの聖者のように祀られているロランですが
彼画の生涯は謎に包まれています。
彼を知ることが出来るのはその歌だけ。
「カーストなんて意味があるのか?」
といった反権力・反政治的な歌です。
ロランの歌は、
彼を祀る廟があるクシュティアで聞くことが出来ます。
毎年開催されるロラン祭には、
全国から現代の吟遊詩人バロールが集いますが、
今回は私達のツアーのために
20名ほどのバロールが集まってくれました。
一弦の楽器エクタラを片手に
入れ替わり立ち代りラロンの歌を歌うバロールたち。
実際に彼らが歌うラロンの歌は
ゆったりとした伸びやかな歌と心地よいリズム。
いつまでも聞いていたい音楽でした。
(山岸)

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2014年10月 8日 (水)

青い街シャウエン。そこで良い雰囲気を醸し出す動物とは。(ユーラシア旅行社で行くモロッコツアー)

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 先日、ユーラシア旅行社の「青の街シャウエンとモロッコ周遊 9日間」
より帰国致しました。

 皆様はモロッコというとどのような印象をお持ちでしょうか。
 アフリカ、サハラ砂漠、フェズのメディナ、マラケシュのフナ広場。 
 このツアーでは車窓からも砂漠やナツメヤシのオアシス、スイスのような牧歌的
な光景も見えるなど、景観に富んだ国を楽しむことができました。

 皆様が楽しみの1つとされていた場所が、青い街として人気急上昇中の
シャウエンです。
 街には夕刻到着します。まずは旧市街を眺めるパノラマポイントで写真撮影。
 しかし、「期待より青くない」という方が多い印象。
 丘の上の夜景がすばらしいホテルに宿泊し、翌朝いよいよ町へ出発です。

 旧市街の門をくぐると、そこは、不思議な青い世界。
 青い街といえばインドのジョードプルも有名です。あちらは建物全体が青く塗ら
れ全体的に広がっている印象に対し、シャウエンは建物の下半分がほとんど青で
その青さも濃い気がします。しかも地面まで青く塗られている場所もあり気が付
くと青一色のおとぎの世界にいるような感覚にもなります。

 この「塗り方」の違いが、遠目から「青くない」という印象になったようです。
 朝なので閉まっている店も多いですが、そのシャッターが青いので更に青さが
増します。そんな街角を、子供が元気に学校へ行き、おじさんたちはぶどう棚の
下のカフェで寛いででいます。

 シャウエンの青さにもう一つ良い雰囲気を添えているのが「猫」の存在。
 モロッコではペストが流行った時期にネズミ退治の目的で持ち込まれ、今でも
大切に育てる人々が多いとか。
 愛らしい表情をいたるところでふりまいていました。
 シャウエンを離れる時の皆様の感想は「やはりシャウエンは青かった!」でした。 

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2014年10月 7日 (火)

三国ともユーロ導入へ!ロシアからの真の独立を目指すバルト三国

先日、ユーラシア旅行社の「バルト三国古都巡りとクルシュー砂州 8日間」のツアーより帰国しました。

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このツアーは中世の街並みが残っており、激動の時代に巻き込まれ続けた3国の首都を巡るだけでなく、紀元前3000年前に出来上がったクルシュー砂州も訪れます。暑すぎず、寒すぎず街を歩くにはとても気持ちが良い気候の中で文化と自然の両面で満喫できたツアーとなりました。

1991年、ソ連からの独立を果たしたが、ドイツ・ポーランド・ロシアの領土争いに常に巻き込まれたバルト三国。1989年8月23日にリトアニアの首都ヴィリニュスからエストニアのタリンまで約600km間を人々が手を繋ぎ世界に独立訴えた「人間の鎖」は記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。「人間の鎖」は最終的にソ連共和党の権威を弱めソ連崩壊につながりました。今回のツアーでは「人間の鎖」が繋がれた道のりに沿うようにリトアニア、ラトビア、エストニアを駆け抜けましたが、至る所で各国の自由への思いと独立を勝ち取った歴史を実感しました。

その一例が、統一通貨ユーロのデザインです。

1991年にソ連から自由を勝ち取り、2004年5月にEUに加盟した三国では、2011年にエストニアがユーロに移行し、今年にはラトビアがユーロを導入。2015年にはリトアニアもユーロ導入することが決まっています。

硬貨の各国面のデザインには民族運動を経て悲願の思いでソ連からの独立を勝ち取った、各国の自由への思いとアイデンティティーが垣間見えます。そのデザインとは、エストニアは自国の地図。ラトビアでは国民の「母国に対する愛」、「自由の探求」、「自国への誇り」を象徴する民族衣装を身にまとったミルダと呼ばれる「乙女の肖像」。来年1月よりユーロが導入されるリトアニアでは2ユーロ硬貨の外縁にはリトアニア語でLAISVĖ(自由)、VIENYBĖ(統一)、GEROVĖ(幸福) の文字が刻まれるそうです。

徐々にロシアからの脱却を目指していますが、まだまだエネルギーに関してはロシアに依存せざる負えない状況が続いています。リトアニアではチェルノブイリ原発と同じ機材を使用していたビサギナス原発を、安全の観点からEU加盟と引き換えに閉鎖せざる負えなくなったため現在でも自国のエネルギーの約80%をロシアに依存しています。ソ連による支配からの脱却を目指すための選択肢が、ロシアによる新たな支配を招くという皮肉に陥ったリトアニアでは、ついに今年7月に日立と政府との間で原発協議開始が発表されました。ラトビアとエストニアも共同出資して依頼して10年後の稼働を目標にし、エネルギー依存においてもロシアからの完全独立を果たすための歴史的案件になると期待されているそうです。


「バルト三国には帝政ロシアやソ連時代に建てられたロシア正教会や建築物が数多くあるが、圧政をされた歴史の象徴でもあるため複雑な思いをしている」というガイドの言葉がとても印象的だった今回のツアー。バルト三国の求める「ロシアからの真の独立」はいつになるのか今後もバルト三国から目が離せません。(三浦)

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2014年10月 3日 (金)

地上の楽園?春爛漫のナマクワランドへ!(ユーラシア旅行社で行く南アフリカツアー) 

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先日、ユーラシア旅行社の「ナマクワランドと早春の南部4カ国周遊」のツアーより帰国致しました。ナマクワランド?初めて聞く地名かもしれません。南アフリカの北西部、ナミブ砂漠やヒンバ族で知られるナミビアとの国境近くに位置しているのがナマクワランド地方です。東西約100㎞、南北約400㎞に及ぶ荒涼とした大地。ひたすらバスを走らせても、たまに小さな町が見えるだけの、半砂漠の景色が続いている、そんな場所・・・ 。
ですが、毎年8月中旬から下旬にかけて、わずか数週間の間だけ、ここに地上の楽園が出現するのです!これが今回の旅の1番の目的、見渡す限り一面に、一斉に開花するワイルドフラワーの絨毯!冬に多く雨が降る、冬季降雨型と呼ばれる特別な気候が生み出した、奇跡のような絶景です。現在、一部の地域は、国立公園や自然保護区に指定されていますが、不思議なことに、場所ごとに花の種類が異なります。主となるのはデイジー(キク科)ですが、更にその中でも細かく種類分けされ、オレンジ、ピンク、白、黄色など、色も様々。また花弁の大きさも形も模様も個性豊かです。

南アフリカで見られる〝花の絨毯〟といえば、プレトリアのジャカランダが有名ですが、ナマクワデイジーのオレンジ色の絨毯も負けません。はるか遠くまで緩やかに続く、一面オレンジ色に染めあげられた丘陵地帯。高台に上って見下ろせば、その広大さに圧倒されることでしょう。たった数週間、その年の雨量が少なくても、多すぎてもお目に掛かれません。まさに、春の夜の夢のごとし。儚いからこそ美しい、そんな絶景に心癒されてみませんか。(三橋)

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2014年10月 2日 (木)

赤い草原。知られざる中国の秋を感じる絶景(ユーラシア旅行社で行く世界の絶景ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「赤い砂浜、紅海灘と大連、瀋陽、長春、ハルビンへの旅 7日間」のツアーより帰国しました。

タイトル通り中国の東北地方を巡る旅です。中国東北といえば、日露戦争の舞台の旅順や旧満州国の遺産が残ることで有名ですが、実はこの地域に世界最大級の湿地帯があること、ご存知でしょうか。
しかも、この巨大な湿地帯は自然保護区となっており中国人の知る人ぞ知る観光地なのです。
この湿地帯には葦の海がほとんどなのですが、「ハママツナ」という海藻が一面に広がる場所があります。1年草で草丈が20-60㎝で直立しているため、まるで草のように見えます。
このハママツナ、春先に湿地帯に緑の草原を作り上げ、花も緑色に近い為か、夏までは本当にさわやかな緑だそうです。
ところが、寒暖差が出やすい秋に入ると…だんだんと赤くなり、最後は真赤になってしまいます。
まるで樹木の紅葉と同じですね。
よくよく見ると赤くなりきっていない緑がかったハママツナもあり、そのグラデーションも美しかったです。
そこはまさに深紅の草原。
海の神が祭られた寺と共に遊歩道があり、中国東北地方の早い秋の訪れを楽しめるようになっています。
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遊歩道を歩いているとなんだか赤い草原のなかを歩いている不思議な気分になります。
中国では知る人ぞ知る絶景スポットで、結婚式のあとの写真撮影に来るカップルも。

この赤くなる時期はほんの2-3週間。

今思い出してもなんとも不思議な光景でした。
中国はやはり広いです。この赤い絶景以外にもまだまだ不思議な絶景に出会えます。
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2014年10月 1日 (水)

圧巻!!雨季のエンジェルフォールの水しぶき!(ユーラシア旅行社で行くギアナ高地ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「ゆったりギアナ高地周遊 9日間」のツアーより帰国しました。私達の訪れた9月のギアナ高地は雨季から乾季の移り変わりの時期の為、このツアーのメインでもあるエンジェルフォールの水量はとても多く、大迫力の滝を思う存分堪能することが出来ました!ツアーでは、エンジェルフォールを、遊覧飛行にて上空から、ラトンシート島の展望台の真下からと、様々な角度から望むことができます。とは言え、天候が安定しにくいギアナ高地では、実際に航空機が飛ぶまでは不安がつきものです。

上空から滝を眺めることが出来るチャンスは2度あります。期待と不安が交差する中、2度のチャンス共に大成功!晴天の中、雄大で大迫力のエンジェルフォールを眺めることが出来ました!天候、パイロット共に恵まれ、エンジェルフォールに手が届くのでは!という距離まで接近してくれた上、旋回までしてくれました!東京都と同じ位の面積を持つアウヤンテプイの頂上から、流れ落ちる落差979mのエンジェルフォールの全貌が目に入り、パイロットが右に左にと旋回してくれる度に、機内では、歓声が上がりっぱなしで、興奮醒め止まず!という状況でした。
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上空からだけではなく、下から眺めるエンジェルフォールも圧巻でした。エンジェルフォールを真下から眺めるには、ラトンシート島にある展望台まで行かなくてはいけないのですが、その道のりは、と言うと、まず、カラオ川とチュルン川を合計約4時間前後、小舟で遡って行き、その後2時間前後かけて、ジャングルの中を歩き、やっと展望台に到達します。ロッジを出発してから約7時間後にやっとの思いで目の前に姿を見せてくれたエンジェルフォール。全貌を目の前にした時の感動は、忘れられません。ずーっと会いたかった旧友や恋人に出会えた!?感じに近いような気もします。朝まで降り続いた雨も手伝い、真下から見たエンジェルフォールは、想像以上に水量が多くて、滝の水しぶきで全身濡れてしまう程迫力満点でした!圧倒的な存在感のあまり暫く言葉が出ない程で、これぞエンジェルフォール!というスケールでした。今回は、全てのチャンスが叶い、上空から、真下からと、あらゆる角度から、様々な表情を見せてくれました。世界最大の落差を誇るエンジェルフォールに感謝、感激で一杯でした!
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ギアナ高地には、他にもロライマ等の20億年以上前の卓上台地への頂上着陸のオプショナルや、サポの滝やパチェコの滝、スルアペの滝にて水遊び等、自然の宝庫で溢れています。ギアナ高地を訪れた際には、是非、時を忘れて自然の楽園で楽しんで頂きたいと思います!(井手)

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