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2014年11月

2014年11月28日 (金)

実りの秋を味わうポーランド料理とは?(ユーラシア旅行社で行くポーランドツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「華麗なるポーランド紀行」から帰国しました。

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私が訪れた10月といえば、日本では新米が収穫され、果物や野菜が豊富に実る季節。ポーランドでも旬の果物や野菜が食卓に並び、「実りの秋」を実感できる旅となりました。

皆様、ポーランドの食に対するイメージはいかがでしょうか。実際、お客様にポーランドに行かれる前の「食」に対するイメージを聞くと「イメージが湧かない」「どんな料理が出るのか想像がつかない」というお声をよく聞きます。

 

ポーランドの料理はポーランドの歴史そのもの。ゲルマン民族の大移動の後、スラヴ人、ドイツ、リトアニア、プロシア、ロシアなど様々な国の領地になり、それと同時にその国の食文化が入ってきました。例えば、ポーランド風餃子ピエロギはモンゴル軍が東欧に侵攻したときに伝わったものが変化したものだといわれています。

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ポーランドはスラヴ語で「平原の国」を意味するとされているとおり、見渡す限りの平原が続きます。その、ミネラル豊富で肥沃な土壌を活かし、各地にジャガイモやカブ、キャベツ、大麦など、様々な作物が栽培され、「野菜大国」と呼ばれるほど様々な野菜が市場に並びます。

また、様々な作物を活かしたポーランド料理の中でもお勧めの料理はポーランドのおふくろの味「ビゴス」と呼ばれる煮混み料理!キャベツとザワークラウトを肉類(豚肉、ソーセージやベーコン)や炒めたタマネギ、キノコ類の具材が入っており、付け合せのポテトと一緒に食べます。煮込めば煮込むほどおいしいそうで、2-3日間かけて煮込む家庭が多いそう。

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また、ポーランド料理で忘れてはならないのが「スープ」です。実は、ポーランドは世界一スープの種類が多いと呼ばれている国で、昼食や夕食では必ずといっていいほどスープが出てきます。今回訪れた10月のポーランドは日本の11月中旬ぐらいの気候で、日によっては最高気温が10度を下回る日もありましたが、毎食出てくるスープが冷えた体を芯まで温めてくれました。

 

現地のスーパーでは日本での馴染みのブランドでインスタントのジューレックと呼ばれるライ麦を発酵させたスープや赤カブスープなどポーランドだけでしか買えない味もたくさんそろっています。もちろん、ポーランドで食べた味を日本の野菜を使って再現することもできますが、お手軽に作れるのでぜひ、お土産に買ってみてはいかがでしょうか。ご旅行の楽しみの一つであるお食事。東欧でのお食事が不安な方もいらっしゃると思いますが、ポーランドでの食事は美味しくそして健康的だと改めて思ったツアーでした。(三浦)

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2014年11月27日 (木)

水の階段に大興奮!拡張工事でさらなる賑わいを見せるパナマ運河!(ユーラシア旅行社で行く中米ツアー)

DE 先日、ユーラシア旅行社の「中米7カ国紀行 19日間」の旅より帰国致しました。ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマと中米を一挙に7カ国巡ることで、それぞれの国同士の共通点はもちろん、その国ならではといった特徴をより感じることができました。どの国も魅力にあふれ、あっという間に中米を駆け抜けた19日間でしたが、一番印象に残ったのはパナマ共和国です。北米大陸と南米大陸を結び、太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河があるということで、世界の物流や人々の移動の重要点でもあるパナマシティ。今回の旅ではパナマシティに3連泊し、パナマの交易の歴史に触れ、ガトゥン閘門のビジターセンターを訪れてコンテナ船が牽引車に引かれて閘門を通る様子を見学し、さらには拡張工事真っ最中の工事現場まで見ることができました。Photo_3
 また、今回ご一緒したお客様の中にも楽しみにされていた方が多かったのがパナマ運河の半日クルーズです。パナマ運河はカリブ海の方からガトゥン閘門、ペデロミゲル閘門、ミラフローレス閘門と全部で3つの閘門があり、太平洋に繋がっています。今回のクルーズではミラフローレス閘門とペデロミゲル閘門の2つを通過し、間近で閘門が開閉する様子を見ることができました。閘門は水の階段のようになっており、水を流し込んで水位を水平にさせて門を開き、船を通過させます。言葉で説明するのは単純ですが、実際に船に乗って、水位があっという間に変化するさまはとても興奮しました。パナマ運河ができる前は太平洋と大西洋を行き来するには南米周りで約20日間以上かかっていたそうですが、パナマ運河ならば閘門を通過する待ち時間なども含め一日で通過できてしまいます。毎年14,000隻以上の船がより安全に、より効率的にパナマ運河を通過し、大西洋と太平洋を行き来しているのです。

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 今年完成100周年を迎えたパナマ運河は、現在、拡張工事が進められており、2015年完成を目指しています。新しい運河はイタリア製のスライド式の閘門で、さらに水を再利用できるよう門の横には水をためる節水槽が設けられています。現在利用されているパナマ運河は、ガトゥン湖の水を利用して運営されており、その水は閘門が一度開くと海へと流されていくので、使い捨ての状態です。万が一異常気象などの影響で雨が降らず、湖の水が減ってしまうと運営が滞る恐れ、また最悪の場合、運営自体ままならなくなってしまう恐れがあります。しかし、節水槽があれば現閘門の消費水量の約60%が再利用できるようになるそうです。拡張工事を無事に終え、新たに運営が始まればさらなる世界の物流の重要地として活躍してくれることでしょう。今回拡張工事の様子を見ることは大変貴重な体験でした。次に来る機会があれば、是非とも新しい閘門を通ってみたいものです。(市川)

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2014年11月26日 (水)

ワインと、フランス・ロマネスク美術に酔いしれて(フランス)

先日、ユーラシア旅行社の「フランスワイン街道、ロマネスク美術と美しい村を巡る旅 13日間」のツアーより帰国しました。
今回の旅のメインは、秋色に染まったフランスワイン街道と、小さな村々。さらに、アルザスワイン、ブルゴーニュワイン、ボージョレワイン、シャンパンの試飲も楽しむ、まさに目でもお腹でもお楽しみ頂ける旅でした。

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ワイン街道は勿論ですが、今回は、建築の美しい教会もたくさん訪れました。

まずは世界遺産のランス。「ノートル・ダム大聖堂」は“微笑みの天使”で有名ですが、日本人にとって、とても馴染み深い教会も見所のひとつ。19世紀にヨーロッパで見られたジャポニズムの時世において、フランス・パリにて活躍したレオナールフジタ(藤田 嗣治(ふじた つぐはる))が全面的に手掛けたフジタ礼拝堂です。彼自身が、80歳の高齢にも関わらず90日間で描いた、礼拝堂内のフレスコ画からは、まさに生涯をかけた力強さが伝わってきます。礼拝堂内には、彼自身と夫人も描かれており、お墓も礼拝堂に設けられています。遠い異国の地で、その生涯を終えた彼の人生に思いを巡らせると、小さな礼拝堂が彼が創り出した天国のようにも思えました。

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続いて、ブルゴーニュ地方へと場所を移しました。この地では、フォントネー修道院とサント・マドレーヌ寺院を訪れました。まずは厳しい戒律で知られるシトー派の修道僧が過ごしたフォントネー修道院。僧たちが自給自足で暮らしていた修道院の敷地は広く、閉鎖的な印象は今では一切受けません。また、ヴェズレーのサント・マドレーヌ寺院も、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のひとつとして栄えたこともあり、寺院までの道のりも、かつての活気を思わせるような雰囲気が漂っていました。いずれも、最盛期には多くの僧や巡礼者で溢れていた宗教建築ですが、決定的に異なることは、その装飾です。

まずサント・マドレーヌ寺院は、ロマネスク彫刻の傑作としても知られるティンパヌムをはじめ、多くの彫刻で飾られています。一方、フォントネー修道院では壁画や彫刻は一切見られず、「簡素」という言葉がとても合います。宗教美術や教会建築は、知れば知るほど奥が深く、ひとつ学べば、新しい疑問が生まれ、その興味が尽きません。ただ、このフォントネー修道院で感じた「簡素」は、ロマネスクの完結した美しさを見たような気がしました。

ロマネスク美術。なかなかとっつきにくい言葉ですが、ただなんとなく眺めていた教会を、角度を変えてみることで、旅が何倍にも楽しめるものになるかもしれないと思いました。(吉村)

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2014年11月25日 (火)

いざ、世界最高峰エベレストへ!(ユーラシア旅行社で行く青海チベット鉄道ツアー

今回のツアーの最高地点は、世界最高峰の高さを誇るエベレスト(8,848m)のベースキャンプ(5,200m)。旅は青海省の西寧(2,275m)から始まり、少しずつ高地に体を慣らしながらベースキャンプを目指しました。
まずは西寧から、世界で最も高いところを走る青海チベット鉄道に乗り、チベット自治区へ。途中この列車の最高地点5,072mを通過しましたが、車内には気圧調整が施されており、それほど息苦しさがなく過ごすことができました。一晩かけて到着したのは、チベット自治区で最も大きな都市ラサ(3,600m)。ラサの一番の見どころと言えば、ダライ・ラマのかつての権威の象徴ともいえるポタラ宮です。ジグザグと折り重なる階段によって空高く押し上げられたポタラ宮はなんとも壮観でした。宮殿内部も素晴らしく、チベット仏教の供物の必需品であるバターの香りに包まれながら、独特の神聖な雰囲気を堪能しました。
ラサで3連泊したあとも、各地のチベット仏教の寺を巡りながら少しずつ標高を上げ、ベースキャンプへの起点となる街シェカール(4,300m)を目指しました。エベレストが見られるかどうかは天気次第。「必ずエベレストを見たい」というツアーの皆様の熱意から、次第に興奮と緊張感も高まってきました。
いよいよエベレストのベースキャンプに行く日がやってきました。ホテルを出発した頃、まだあたりは真っ暗。時間が経つにつれ少しずつ空が白み始めてくると、雲一つない青空が現れはじめてきました。急いでベースキャンプまで行かなくてはと皆で息を弾ませました。ところでベースキャンプまでの道は舗装されていないので、ものすごいガタガタ道です。なんでも、アスファルトを使ってしまうと照り返しで山の雪が解けてしまうのだとか。そんなわけでバスに大きく揺られること3時間、やっとベースキャンプに到着しました。エベレストが真正面に、それもとても間近に大きく見え、本当に壮観でした。

青海チベット鉄道ツアー

ベースキャンプには小高い丘があり、そのてっぺんにはタルチョがはためいていました。タルチョとは仏法がかかれた5色の旗が何枚も連なっているもので、この旗が風に吹かれてはためくことで仏法が広がっていくと信じられています。よく峠にかけられているのです。観光客が行くことを許されるのはこの丘の頂上まで。この丘の先は登山者のエリア。ここから登山者たちが世界最高の山に挑んでゆくのかと思うと、そしてその出発点に立っているのだと思うと、なんだか壮大な気分に。いつか私もエベレストに挑戦しようと少しだけ思ったりもしましたが、この小高い丘を登っただけで富士山を駆け上ったような疲労感を感じている私にはまだまだ遠い夢のようです。とにかくエベレストが見れてよかった! (佐藤)

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2014年11月21日 (金)

素朴なアンドラ公国に2泊3日(ユーラシア旅行社のアンドラツアー)

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先日、ユーラシア旅行社の欧州小さな国々夢紀行のツアーより帰国致しました。ヨーロッパの中でも、単体では訪れにくい、リヒテンシュタイン公国、サンマリノ共和国、モナコ公国、バチカン市国、アンドラ公国の小さな5ヶ国と、その周辺のスイス、イタリア、フランス、スペインと、全部で9か国をバスと鉄道で巡るツアーでした。

その中でも、印象的だったのは最後に2連泊したアンドラ公国です。スペインとフランスに挟まれたピレネー山脈の中腹に位置する小さな公国。日本の石川県金沢市と同じぐらいの面積なのに1つの国として国連に加盟しています。

今回ユーラシア旅行社のツアーで訪れた10月のアンドラは、フランスから入国。ピレネー山脈の峠をいくつか通り、小さな村々を眺めながら山道を走ります。10月は、黄葉がとても美しく、山が黄金に染まっている姿が印象的でした。丁度、標高1500メートル周辺が黄色く色づいていました。
スペイン司教とフランス大統領が共同で統治しているこの国は、全てがフランスとスペイン(カタルーニャ地方)のミックスという感じの国です。まずは言語。公用語はカタルーニャ語なのですが、皆、フランス語、スペイン語そしてカタルーニャ語のトリリンガル(3つの言語を自由に操ります)。
ホテルのスタッフは胸に国旗のマークを付けていて、自身が話す言語が分かるようになっています。フランスではスペイン語を話す人は少なく、スペインに入るとフランス語を話す人は少なくなるのに、すごいですね。目指したいところです。

また、アンドラは独自の郵便局が無い為、フランス郵政省とスペイン郵便局と、両方の郵便局があります。写真の通り、郵便物を出すときは、スペイン経由で出す場合は黄色いポストへ、フランス経由で出す場合はフランスのクリーム色のポストに出す必要があります。どちらが早く着くのでしょうか??

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もう1つアンドラで特徴的なのは、古い教会たち。ゴシックよりも古い、11世紀のロマネスク建築の美しい教会が村々に聳えたちます。山の景色にあった素朴な教会たちは、なんだか華美に飾ってある大きな教会群より、私は好きでした。シスポイン(Sispony)という村のサン・ミエゲル教会では、「村人が是非見ていってくれ!」と鍵を開けて内部へ案内してくれました。

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素朴なアンドラ公国は、私たちが煌びやかなフランスから来たからでしょうか、非常に素朴、そして人が親切、という印象に終始しました。

最後の日に、レストランでアンドラ人の男性に話しかけられました。
「君たちは何日間滞在するの?」
「3日間(2泊3日)ではもったいないよ!2週間は滞在しなきゃ!!」
アンドラ内の小さな村々を覗きながら、周りのピレネー山脈をハイキングする、そんなゆったり休暇で来ても楽しめる国、アンドラ公国。3日間でも十分に満喫できました。(坂岸)

⇒ユーラシア旅行社の欧州小さな国々を巡るツアーはこちらから

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2014年11月20日 (木)

黄葉の季節を迎えたコーカサス三国を巡って (ユーラシア旅行社で行くコーカサス三国ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「コーカサス三国夢紀行 10日間」より帰国しました。 南北を山脈、東西を黒海とカスピ海に挟まれた地域は多様な民族が居住し、シルクロードの交易ルートにもなっていたコーカサス地方。

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最初に訪れたのは、アゼルバイジャンの首都バクー。カスピ海の石油バブルは現在も続いているようで、土壁や古い石畳の旧市街と斬新な炎の形をした高層ビルが対照的。新国立競技場と同じ建築家「ザハ・ハディド氏」設計の文化センターや新しい建物が建設され勢いが感じられます。 郊外にでると、住宅街の隣に普通に石油採掘の櫓が現れる風景。イスラム教国でも厳格な雰囲気はなく、独自の道を歩んでいるように感じました。

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 次の国はグルジア。大統領が来日する際に領土問題が絡むロシア由来の呼称の変更を求め、出発前に日本政府が国の呼称を「ジョージア」と改めると発表しました。ソ連がつくった軍用道路はハイライトの一つ。黄葉が見事な山をぬけ十字架峠を超えると、ロシア国境近くの村、カズベキ。5000M級の雲がかかるカズベキ山を背景にした丘の上にあるツミンダサメバ教会へはジープで登ります。
 14世紀に天国に近い場所と選んで建てられた教会からは、村に迫る大カフカス山脈の絶景が広がっていました。首都のトビリシでは、街の雰囲気も明るく三国の中では、いちばん西欧的な雰囲気を感じました。

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最後の国アルメニアへは寝台列車で向かいます。深夜の国境駅での少々威圧的な入国審査も貴重な経験です。4世紀初頭、世界で初めてキリスト教を国教に定めたアルメニアの人々は苦難の歴史の連続で世界各地に離散・移住をしています。
 アララト山はアルメニアのものでしょ?と言うお客様の質問に、ガイドさんは「もちろん!」と。歴史の重みがある教会や民族の誇りを感じる一方で、ソビエト時代の建物や車も目につき、時代を感じる旅となりました。(加藤)

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2014年11月19日 (水)

発見!バルカン最大のワインセラー!コソボのワイン(ユーラシア旅行社のコソボツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「コソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ9日間」より帰国しました。
旧ユーゴスラビアの国々のうち、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロそして2008年に新しく独立したコソボをめぐる旅です。
旧ユーゴスラビアの国々の中にはスロヴァニアやクロアチアのように、独立後、その魅力が日本にも広まり、多くの観光客が訪れた国もありますが、コソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロは、どちらかというと日本にはあまり詳しく知られておらず、観光客も、あまり多く訪れておりません。今回はコソボのお話です。

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世界遺産のリェヴィシャの生神女教会もある古都プリズレンから首都プリシュティナへ向かう途中のラホベッツにワイナリーがあり、今回はそのワイナリーで昼食をとることになっていました。
コソボのワイナリー?!いったいどんなところなのでしょうか?

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広大なブドウ畑を横切り、ストーンキャッスル醸造所にします。到着すると、ななんと、昼食の準備はまだ。幸い昼食時間にはまだ早く、皆様のお腹もまだ空いていないのでワイナリーを案内してもらうことになりました。よくある観光用のワイナリーと異なりガイドなどはいません。技術者がやってきて、セルビア語を話し、それをガイドが英語に訳します。技術者は旧ユーゴスラビア時代からこのストーンキャッスル醸造所で働いているそうです。

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ストーンキャッスル醸造所は1953年創業、2006年から現在の経営者に経営が移りました。2,240ヘクタールの広大な葡萄畑を所有し、年間70,000トンの葡萄からワインを作ることが出来るそうです。現在、地下貯蔵庫には5000万リットルのワインが眠っているそうです。(ワインボトル換算で6600万本!)これはバルカン最大。(ちなみに世界最大のワインセラーはモルドバにあり貯蔵量200万本だそうです。)

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さて、私たちの食事はまだ来ません。きくと「今、一生懸命釣っている。」とのこと。近くでマスが釣れるので、日本人は魚が好きと訊いたので、マスを用意しているとのこと。今来るから待って!と。それまでワインがどんどん開けられていきます。試飲用に用意された4本ほとっくに無くなり、次々と色々な種類のワインが開けられていきました。やっと来たマス、慌ててサーブしたので左右が反対。皆、笑顔でほおばります。

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(上野)

コソボを含むバルカンの国々のツアーはこちら

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2014年11月18日 (火)

イエス・キリストを活き活きと描いたロマネスク教会の壁画が面白い ~ノアン・ヴィックのサン・マルタン教会~(ユーラシア旅行社で行くロマネスクツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「サン・サヴァンと西フランス・ロマネスク」の旅より帰国しました。今回の旅のテーマはロマネスク。ボルドーからパリまでのロマネスク教会を巡り、フレスコ画や彫刻を見学しました。
ロマネスク教会での絵画や彫刻の主題となるのは、聖書の物語が多いです。有名なところでは、「イサクの犠牲」や「カインとアベル」、「最後の晩餐」など。教会によって、作者が異なりますので、作風もそれぞれです。
ここでは、ノアン・ヴィックのサン・マルタン教会の壁画に注目してみましょう。サン・マルタン教会は12世紀創建の教会です。内部には一面、壁画が描かれています。この教会には、イエス・キリストの生涯を物語る壁画が多く描かれています。小さな教会の内部は黄色、赤、白を基調とした色彩の壁画で覆われていて、暖かな雰囲気が漂います。そして絵の一つ一つに注目すると、人物が実に活き活きと描かれています。クリっとしたつぶらな瞳、ふっくらとした頬の人物が特徴的です。「ユダの接吻」のイエス・キリストは、ユダに裏切られ捕らわれるシーンでありながら、とても生命感があります。イエス・キリスト生誕のお祝いに駆けつける東方三博士には、喜びと共に驚きが感じられます。またギャロップする馬の表情には、頑張って走ってきた様子が窺えます。そして、イエスを抱く聖母マリアは、ふくよかで丸顔。真っ赤な頬紅で、若い母親として描かれています。
この教会の絵画のひとつひとつに、まるで生命が宿っているようでした。また誇張表現を巧みに用い、リアリズムとは遠いものでありながら、力強く活き活きと描かれた絵は、日本の巨匠棟方志功に共通するものを感じました。
棟方志功は版画家として広く知られていますが、サン・マルタン教会の画家は誰であるのか不明です。この頃のロマネスク教会の装飾を築いたのは職人でした。そのため、どんなに美しい作品であっても、創作した人の名前は知られていないことがほとんどです。行く先々の教会で出会うロマネスク芸術。この作品を残した名もない芸術家たちに最大の賛辞を贈りたいと思います。(斎藤さ)


ユーラシア旅行社で行くロマネスクツアーは2015年1月発表予定です。ユーラシア旅行社で行くロマネスクツアー

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2014年11月14日 (金)

“絵のような”風景に迷い込もう!(ユーラシア旅行社で行く南西フランスツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「南西フランス、絵のような風景へ 13日間」より帰国しました。時期は10月下旬、間もなく冬時間に切り替わろうかという時でしたので、ひょっとしたら日没が早めなのでは?と心配していましたが、朝は9時頃にようやく明るくなる様子でも、日没は19時頃。思いのほか遅い時間まで明るくて、この時期でも一日を十分に楽しめることに驚きでした。今回の旅はフランス南西部の小さな村や町、フレンチバスク地方を訪ねる旅。南西部では“絵のような風景”の数々に出会いました。
それは“フランスの最も美しい村”です。“フランスの最も美しい村”は制度化されていて、発足は1982年。歴史的遺産を保護しつつ、それらを生かして観光業での経済活動の促進を目指そう!という主旨で立ち上がったそうです。【人口は2,000人以下】【基準を満たす歴史遺産を保有している】等、認定を受けるには厳しい条件があるのはもちろんのこと、認定後も定期的に審査があって条件を満たさなくなると認定取り消しになることも。現在、その厳しい審査を通過した村は157あるそうです。今回の旅では、その中のいくつかの村を訪れました。

ユーラシア旅行社で行く南西フランスツアー、サンシルラポピーにて

印象的だった村、その一つ目はサン・シル・ラポピー。ロット川に削られた断崖にへばりつくような村です。山道を走っていくと突然、前方にその姿を現します。村の高台から見下ろすロット溪谷、反対に下から見上げる村、それぞれの美しさがあります。

ユーラシア旅行社で行く南西フランスツアー、ラロックガジャックにて

二つ目はラ・ロック・ガジャック。ガロンヌ川を通じて大西洋に注ぐドルドーニュ川沿いの、これまた断崖絶壁に垂直に家々が張り付いています。中世に利用されたガバール船を復元したボートでのクルーズから眺めると、いったいどうやって建物が建っているのだろう?と首を傾げてしまう光景でした。

ユーラシア旅行社で行く南西フランスツアー、コンクにて

そして、最も深く心に残ったのはコンクです。スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路沿いの村であり、村の教会「サント・フォア教会」の入口上部(タンパン)に掘られた“最後の審判”の彫刻が秀逸です。そして訪問をより素晴らしい思い出に変えてくれたのは、このサント・フォア教会横にある小さなホテル、その名も“サント・フォア”での宿泊でした。20室程しかない小さなホテルですが、立地はもちろんのこと、部屋の内装や調度品、スタッフのホスピタリティは素晴らしく、食事も絶品!夕食を頂いたときには一品一品に思わず声が上がるほど。食事を盛る食器やカトラリーも大変お洒落です。そして、静寂かつ厳かな空気に包まれた村での滞在は、心穏やかになるものでした。
美しい村の多くは交通の便が良くない山あいに位置しています。不便ではありますが、そのおかげでまるで“絵のような風景”として魅力がさらに増して、まるで印象派の絵画のようです。現在、日本でも同様の活動があり、北海道の美瑛町や宮崎の綾町、奈良の十津川村などが日本の美しい村として活動を行っているそうです。原風景を守ってくれる人々がいてくださるお陰で、こうした思い出深い旅ができることに感謝です。(江間)

ユーラシア旅行社で行くフランスのツアーはこちら

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2014年11月13日 (木)

スーダンで素材の味を満喫!(ユーラシア旅行社で行くスーダンツアー)

先日ユーラシア旅行社の「スーダン周遊」のツアーより帰国しました。スーダンは、まだまだ日本では馴染みの薄いアフリカの国ですが、ナイル川沿いに位置し、かつてはヌビア文明が栄えた古代遺跡の点在する国なのです。
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ツアーでは、地方都市においては同行コックが全ての食事を用意します。
ツアー中にコックが食材を買い求めてマーケットに立ち寄ることもあります。
マーケットでびっくりするのは、その豊富な食材の数々です。
「スーダンでは車窓からの風景はほとんど砂漠だから、野菜や果物は輸入なのかな?」
とお客様が、ガイドさんに聞いてみると、スイカやオレンジなどみずみずしい生鮮食品のほとんどはスーダン産との答えが返ってきました。
ある日、日本で売られていたら、ある程度高額になりそうな大きさの、巨大なスイカを購入し、夕食に出してもらいました。
皆様想像以上のおいしさだったようで、コックさんに次の日もスイカを出してもらえないかお願いしてしまうほどでした。
ガイドさん曰く、スーダンはアフリカの中でも長寿の国。Sudan2
その理由は添加物の入っていない生鮮食品を使って、
健康的で伝統的な食事をとっているからとのこと。
ファーストフードや添加物の多い食品が身の回りにあふれている日本で生活していると、なかなか気づくことができない、食材そのもののおいしさをスーダンで体験することが出来ました。スーダンに滞在している間に食した天然野菜や果物のおかげて、体も喜んでいるような気さえしました。
まだ近代化、観光化がされていないスーダンで、素材の味を十分に生かした食事をお楽しみ頂くのも旅の醍醐味となりました。(霍間)

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2014年11月12日 (水)

旅情を誘う秋のアムトラック(ユーラシア旅行社で行くアメリカツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「アメリカ大陸横断鉄道 15日間」のツアーより帰国致しました。東部のワシントンから、西部のサンフランシスコまで、大陸を横断して行くアメリカの人気の鉄道「アムトラック」にて駆け抜けて行く浪漫溢れる旅です。

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アメリカは日本の25倍もの国土なのだから、航空機でひとっ飛びしてしまえば。と考える方が多いとは思いますが、時間短縮&楽ではありますが、ゆっくり景観をご覧頂くことは出来ません。やはり、アメリカの広大な国土や雄大な景観、移りゆく車窓の景色等を、思う存分楽しむことが出来る列車の旅は断然お勧めです。

ということで、今回利用した、アムトラックの旅について、少しご紹介させて頂きます。列車の仕様ですが、日中は通常の座席としてご利用頂き、就寝時には2段ベッドへと変わります。お手洗い、シャワーは各車両に付いており、コーヒーやソフトドリンクはフリードリンクですし、カフェや食堂車、展望列車も完備しているので、何不自由なく快適に過ごせるようになっています。車内でのお食事は、朝、昼、夜共に、数種類から選択が出来ます。特に、ご夕食は、ヘルシーフードメニューから、アメリカならではのジューシーなステーキまでと、バラエティーに富んでいるので飽きもこないです。移動中の車内では、思い思いに過ごして頂けます。個室で、ゆっくり過ごされるも良し、展望車で車窓からのパノラマの景色をご覧頂きながら、団らんを楽しまれるのも良し、カフェカーで、ビールやワインを傾けながら車窓を眺めるのも良し。と、過ごし方は様々です。Dscn2715

アムトラックは、ワシントンからサンフランシスコまで東から西まで横断して行くのですが、今回の旅のハイライトとも言われているのは、旅の後半のロッキー山脈越えです。デンバーを出て間もなく雪を頂いた美しいロッキー山脈が目に飛び込んで来ます。右に左に目に入って来る、雄大なロッキー山脈を追いかけるように車内では、カメラを構え、顔を紅潮させ忙しく動き回る人々が増えてきました。その後、列車の醍醐味の数々のカーブ、トンネルを抜けると、再び美しい、ロッキー山脈が姿を見せてくれ、感動の連続です。その後は、荒涼とした大地が暫く続きます。自然の浸食より形成された荒々しいコロラド渓谷沿いを走って行きます。太陽光が当たり美しい赤茶やピンク色、黄色の岩肌。渓谷の下を陽の光を浴びきらきらと輝いたコロラド川が緩やかに流れて行く景色は、まさにアメリカの自然美です! そして、アムトラックの旅の終着駅が近づくと、サンフランシスコ湾が私達を迎えてくれます。ようやく到着という思いの反面、長らくお世話になったアムトラックとの別れが寂しくもあります。

紅葉が私達を迎えてくれた為、絵のように美しいアメリカの秋景色に包まれた中で列車の旅を続けて行くことが出来ました。丁度色づいてきた、赤や黄色の葉をつけた木々が絶え間なく続き、まるで、紅葉のトンネルを走り抜けているかのようでした。時に、風に吹かれてハラハラと舞う赤や黄の葉がどこか儚げでもあり、より情緒溢れる列車の旅になりました。紅葉の美しさ、雄大な大自然、ダイナミックな荒涼な大地等、アメリカの様々な魅力を車窓から存分に見せてくれたアムトラックでは五感が堪能出来る旅が楽しめます!(井手)

ユーラシア旅行社で行くアメリカツアーはこちら

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2014年11月11日 (火)

青空いっぱいに広がるバオバブの根っこ(ユーラシア旅行社で行くマダガスカルのツアー)

先日ユーラシア旅行社の「マダガスカル南北大縦断 19日間」のツアーより帰国しました。

今回の旅では、マダガスカル島南部のアンダヴァドアカという僻地まで足を延ばして
「太っちょバオバブ」と言われる巨大バオバブの群生地を訪ねてきました。

その巨大バオバブ群の中で最も圧巻なのがマダガスカルで最も大きいと言われている、「聖なるバオバブ」。
車を降りて見上げると、思わず「おおーっっ!!」と唸り声が出てしまうほどです。

この巨木を守り続けている部族長と挨拶を交わし、
持参したお神酒をご神木に捧げる儀式を執り行ってもらいます。
この聖なるバオバブを訪れる旅人は必ずお供えをしなければこのご神木に近づくことはできません。
村長さんが何かブツブツお祈りの文句を唱えています。
「この旅人達が道中に悪いことをしませんように・・・。」

「ナヌッッ??」
一瞬耳を疑いましたが、せっかく部族長がお祈りを捧げてくれましたので、有り難くお礼の言葉をお返ししておきました。
たぶん聞き間違いだったのでしょう・・。
儀式が終ったので、早速近づいて巨木を見上げてみました。

とてつもなくどっしりとした重量感。

聖なる太っちょバオバブ

そして圧倒的な存在感。
簡単には人を寄せ付け難いオーラも漂わせている一方で、小さな子供たちからお年寄りまで村人たちを包み込んでくれる母親のような包容力。
じんわりとした温もりも伝わってきます。
(上記の写真をご覧頂くと、聖なるバオバブを中心に村人が集い、精神的な拠り所になっている事が伝わってきます)
村人たちが昔から「聖なる大木」と崇めている理由は言われずともわかるような気がしました。

この聖なるバオバブは土地の言葉で「ツィタカクイケ」と呼ばれています。土地の言葉で「声が届かない」という意味ですが、幹の向こう側にいる人まで声が届かないくらいに太くて大きい、ということなのです。
すかさず村長さんに樹齢を聞いてみました。

バオバブは60%が水分と言われており、
なんと年輪がないそうです。
バオバブは正確な樹齢が分からない樹木だったのです。
長年近くに住む土地の人々の言い伝えや経験、そして適当な勘でおおよその樹齢を推測する程度。
村長さん曰く、「このバオバブはワシの10代前の部族長の時代からここにあったと伝えられておる。」とのことでした。

私たち旅行者が求めがちな正確な樹齢ではありせんでしたが、樹齢が曖昧な方がご神木らしい気がします。
村人たちにとって樹齢はさほど重要ではないのです。
ご神木が遥か昔からそこにある、という「存在」そのものが大事なのでしょう。

「ルーツ・オブ・ザ・スカイ(空に広がった根っこ)」

空を覆うほどの巨大な枝を見上げていたら、
マダガスカルのバオバブの木に付けられたこの愛称を思い出しました。
空からもエネルギーをかき集めるかのように太い枝をより高く、より遠くへ向かって懸命に広げた姿。
とてつもなく力強い生命力を感じます。
見方によっては木を逆さまにひっくり返して、地中の根が剥き出しになった様にも見えます。

この種のバオバブはこの地域周辺にのみ生息する、愛嬌溢れる姿が特徴です。
でも、他の地域で見られる一般的なスマートなバオバブと同じ種類だそうです。
距離的にもさほど離れている訳ではありませんが、
何故全く異なる姿に変わっていったのでしょうか?
まだはっきりとわかってはいませんが、半年以上も雨が殆ど降らない、過酷な乾燥期を乗り切る為、幹の中にたっぷりと水分を蓄える為に進化した故の姿と考えられています。
(下の写真はムルンダヴァ周辺の一般的なバオバブです)

ムルンダヴァ近郊の一般的なバオバブ

普段は声も出さず、動きもしない木々たちが、周りの環境に合わせて長い時間をかけ、ひっそりと変化し続けている生命の営みを肌で実感することができました。

「ルーツ・オブ・ザ・スカイ」
旅から戻った後も、バオバブの写真を見るたびに、この言葉を思い出します。
(上田)

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2014年11月 7日 (金)

海から眺めた至高の体験(ユーラシア旅行社で行くクルーズツアー)

この度、「アドリア海の真珠ドブロヴニクとエーゲ海クルーズ11日間」の添乗より戻りました。素敵な11名のお客様とのクルーズの旅。「クルーズは初めて」というお客様が殆どでしたが、クルーズ終盤になると「クルーズにはまったわ、また何かお薦めクルーズある?」とのお言葉を頂きました。皆様を虜にするクルーズの魅力はどこにあるのでしょうか?お客様から頂いた声に「毎日のスーツケースの整理をしなくてよいわ~」「非日常の夢のような空間を味わうことが出来るのが魅力」「寝ている合間に移動し、そのまま観光できるなんて得した気分」等々ありましたが、更に付け加えるなら、15階建てのビルに相当する船の上から見た沿岸沿いの言葉で言い表せないほどの美しい景色も魅力の一つにあげられるでしょう。(今回乗船した船はMSCファンタジア号、全長333m、総トン数13万7900t、乗客約3500名、乗員約1400名という超大型客船です)今回はクルーズ中、デッキから眺めた極上の景色ベスト3を紹介します。

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第3位 「海から眺めたドブロヴニク」
朝6時、朝食会場に向かう際に14階のデッキに出ると朝焼けの中、世界遺産のドブロヴニクの旧市街から約15分の場所にある深い入り江に面した美しい港が見えてきました。朝早くデッキに人はまばら。波の音と船のエンジン音しか聞こえない静かな空間の中、夜明けと共に空と海が刻々と表情を変え、沿岸の町々を染め上げる絶景を見ることができきました。添乗員の朝は何かと忙しいのですが、足をとめ、暫し見入ってしまいました。

デッキから眺めるサントリーニ島

第2位「アプローチの素晴らしさを堪能!サントリーニ島のフィラやイアの街」
新婚旅行に人気の高いサントリーニ島。この島は海底から盛り上がってきた火山によって形成された島。そのため陥没によって中央部にカルデラが生じ、そこに海水が進入して外輪山を形成しています。外輪山の内側は高さ300m前後の断崖絶壁をなして海からそそりたち、火山の噴出物や溶岩などが層をなして紫褐色の荒々しい岩肌をあらわにています。そのてっぺんは真っ白な家々が群れていて、カルデラに進入した船の上から眺めると、まるで山頂に降り積もった雪のように見えるのです。その不思議な景観にはただただ感嘆させられます。飛行機で降り立ってしまったら絶対に味わうことのできない絶景でした。

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そして第1位!「ヴェネツィアの出入港シーン」です。
ヴェネツィア発着のクルーズは、ヴェネツィアの出入港シーン自体がクルーズのハイライトの一つだと聞いていましたが、ここまで見ごたえがあるとは思ってもいませんでした。海に浮かんだ世界で唯一の都市、ベェネツィア。ここは街全体が一つの美術館であり壮麗な宮殿や教会が点在しています。クルーズ船が出港し、ジュデッカ運河、サン・マルコ運河を抜け海へ向かう約30分間はまるで映画のワンシーンを観ているかのようにロマンチックでした。ヴァポレットやゴンドラでも水上から街を眺めることができますが、クルーズ船の14階のデッキから暮れなずむ街を見おろすように眺めることが出来たのは至高の体験でした。(伊藤暁)

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2014年11月 6日 (木)

秋風が心地よい、黄葉の中欧3か国を巡ってきました。(ユーラシア旅行社で行く中欧ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「チェコ、スロヴァキアの美都とハンガリーの大平原 10日間」の添乗より帰国致しました。出発前の天気予報より、高めの気温となった10月中旬、ハンガリーの首都ブダペストに到着。ドナウ河を望むホテルの部屋に連泊しました。お客様の部屋を確認に伺うと、部屋の窓からは、ドナウ河に架かる橋と旧市街の建物が温かい光で幻想的にライトアップされ輝いています。他のヨーロッパの都市に比べてもやはり、ブダペストの夜景は格別な美しさです。翌日はハンガリーの歴史を感じる市内の観光と、午後は自由時間でご希望の方と大聖堂やオペラ座などを見て歩きました。
 

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想像以上に大きな規模の歴史地区が残るブダペストに名残惜しさを感じながら旅は、ハンガリーの大平原へと移動。ハンガリー人(マジャール人)の祖先は遊牧騎馬民族。高い山が無いハンガリーでは、どこまでも続く平原が本来の風景なのかと実感します。秋空の下、野外で見る馬術ショーは迫力満点!馬を犬のように手なずける等、その術一つ一つが、広大な平原で戦闘を優位に進める為のものと知り納得しました。
 

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旅はスロヴァキアの首都、ブラチスラバに宿泊してチェコへと入りました。北海道とほぼ同じ緯度に位置しているだけあり、チェコに入ると急に車窓から見える風景も木々の色付きが豊かになってきました。特にチェスキー・クルムロフの城から望む旧市街の景色や近郊の城館は秋の風情たっぷりでした。日本もそうですが、四季のある国は同じ場所であっても季節によって異なる風景を造りだします。今年は、初夏にも訪ねた中欧三カ国。温かみのある秋色に染まった自然風景と古い街並みがマッチして、まるで別の国に来たかのようで、その魅力を再確認しました。
 

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これから、ヨーロッパは徐々に夜の時間が長くなっていきます。その長い夜を利用して各都市ではコンサートやクリスマスの行事が目白押しのシーズンに入ります。今回は、プラハで週末に行われた光のショーを追加でご案内しました。数々の歴史的建造物に映し出される煌びやかな光は、観光客のみならず帰宅時の地元の人々も集め大変な賑わいに。季節ごとの楽しみは尽きません。(帯津)

ユーラシア旅行社で行く中欧ツアー一覧はこちら。

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2014年11月 5日 (水)

孔雀の瞳にメロメロ、ポーランド陶器の里ボレスワビエツ(ユーラシア旅行社で行くポーランドツアー)

ユーラシア旅行社で行く10/7発「ポーランド物語14日間」の添乗に行って参りました。9月末では寒かった気候も、私たちが訪れた時は20~23℃と過ごしやすく、かつ黄葉のポーランドを愛でることができました。

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このツアーは、北は連帯発祥のバルト海沿岸グダニスク、中部はポーランド王国発祥地ポズナン、西はドイツの影響を受けたヴロツワフに陶器の里ボレスワヴィエツ、南西はタトラ山脈の麓ザコパネを訪れるという、まさにポーランドを制するツアーでした。
ドイツのマイセン、フランスのセーブルは多くの人が耳にはしたことがあるほど有名な焼き物ですが、最近日本でポーランドのボレスワヴィエツの陶器が有名なのはご存知でしょうか。陶器なので、値段は安く、女性好みの可愛らしいデザインが魅力。トルコのナザールボンジュを彷彿させる“ピーコック・アイ”(孔雀の目)が伝統的な柄として取り込まれています。

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面白いのは、この可愛らしい模様はスタンプで色づけされているところです。「いまは普通のスポンジを使うけど、昔々はポテトで作ったスタンプを使っていたのよ」とガイドさんの説明。日本でいう芋版だったと説明をうけてびっくりもしましたが、一定の柄をたくさんつけるには効率の良い色付けの方法だなと感心させられました。もちろん細かい線の模様や風景画や人物画といった得注品では筆を用いて色付けや柄が描かれます。こうしたボレスワビエツのデザインそのものも可愛いのですが、色付もとても素敵です。

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クラコフのお土産屋さんでもボレスワビエツの陶器は売っていますが、デザインも種類も豊富な工房で、作る行程を見学し、作っている職人さんの様子を見て買って帰ると、より一層思い出深い大切なお土産になりました。

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2014年11月 4日 (火)

フェルメールの視線の先には…(ユーラシア旅行社で行くオランダ・ベルギーツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「オランダ・ベルギーの古都と8つの美術館めぐり 10日間」より帰国しました。

オランダ・ベルギーは15-17世紀の最盛期、素晴らしい初期ランドル絵画やその影響を強く受けたといわれるオランダ黄金絵画時代などの絵画が各地の美術館で数多く展示され、かなりゆったりと鑑賞することが出来ます。

有名なゴッホやフェルメールやルーベンス、レンブラントの素晴らしい絵画を間近でじっくり見ることができました。

個人的に好きなのは時代を遡ってロギール ヴァン デル ウェイデンとい祭壇画を多く残した画家なのですけれど、この方の絵もたくさん見ることが出来ました。

さて、今回あまたの絵の中でこの一枚!というのをご紹介したいのですが、悩みに悩んでなかなか決まりませんでした。
が!

やっぱりフェルメールを紹介させてください。

フェルメールは36-8点しか作品が残されていない画家で、デルフト出身といわれています。
画家だけで生計を建てることが困難であったとも言われているようですが、
現代では彼の絵のファンは本当に多いですね。
数少ない作品点数の中で2点だけ残した風景画。
その一つが彼が生まれ育ったといわれるデルフトの眺望(デン・ハーグ/]マウリッツハイス美術館蔵)です。

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けれどもこの作品は、当時のデルフトの街を忠実にえがいたものではなく、フェルメールが
その景色を見ながら、建物の配置を入れ替えたりして描いたと考えられております。

フェルメールが活躍したころ、画家たちは「写実」、いかに見えたものを忠実に描くか、
どのような手法で表現するかに腐心したといいます。
そうした当時の流行を考えると、「デルフトの眺望」の美しい風景画が描かれた背景は謎がいっぱいの様です。
なぜフェルメールは「デルフトの眺望」を彼が残したどの作品よりも大きいサイズで描いたのか?なぜ、建物の位置を入れ替えたのか?
「デルフトの眺望」がえがかれた視点はどの位置か?
これらは長年議論の的でした。
様々な検証の結果、場所に関しては、
「恐らくここであろう」、という場所が特定されたのですが…

現在は「デルフトの眺望」が描かれたのは 1660年頃といわれ、描かれた場所は、デルフト市の中心部の南、コルク運河といわれています。
というわけで、私たちもそこへ行ってまいりました。
いかがでしょう。同じに見えますか?
デルフト
ここにはかつてロッテルダム門とシーダム門という 2つの市壁の門がありましたが、19世紀に街を拡張するために撤去されてしまいました。
そのため、場所の特定が困難であったそうで、今も残る東門のあたりが、デルフトの眺望の場所だと、長年考えられておりました。
様々な疑問はあれど、フェルメールの「デルフトの眺望」は、私たちを惹きつけます。
それは、何故なのでしょう。
これは大変長いお話になってしまいますので詳細は控えますが、
フェルメールは「如何に魅力的に見えるか」に腐心していたのかもしれないですね。

青いターバンの少女の絵も、瞳に本来なら存在しない光を白い点で描いたことで、まるでこちらに微笑みかけるかのような魅力的な表情になりました。

大きなかげりのある雲、そして砂州に佇む女性の姿、前方に並ぶ建物、奥に見える教会の尖塔…。
よくよく見ると、当時のデルフト市の記録と建物の配置が少し異なっていわけですが、
きっと「デルフト」の街の魅力をカンヴァスに留めようとしたとき、現実の風景よりも「より美しい」光景が、フェルメールの瞳に重なって見え、彼はそれを描き出したのでしょう。
この眺望を見ているとそんな気がしてならないのです。(齋藤晃)
フェルメールが描いたデルフトと今が融合した絵葉書

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