2014年11月 4日 (火)

フェルメールの視線の先には…(ユーラシア旅行社で行くオランダ・ベルギーツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「オランダ・ベルギーの古都と8つの美術館めぐり 10日間」より帰国しました。

オランダ・ベルギーは15-17世紀の最盛期、素晴らしい初期ランドル絵画やその影響を強く受けたといわれるオランダ黄金絵画時代などの絵画が各地の美術館で数多く展示され、かなりゆったりと鑑賞することが出来ます。

有名なゴッホやフェルメールやルーベンス、レンブラントの素晴らしい絵画を間近でじっくり見ることができました。

個人的に好きなのは時代を遡ってロギール ヴァン デル ウェイデンとい祭壇画を多く残した画家なのですけれど、この方の絵もたくさん見ることが出来ました。

さて、今回あまたの絵の中でこの一枚!というのをご紹介したいのですが、悩みに悩んでなかなか決まりませんでした。
が!

やっぱりフェルメールを紹介させてください。

フェルメールは36-8点しか作品が残されていない画家で、デルフト出身といわれています。
画家だけで生計を建てることが困難であったとも言われているようですが、
現代では彼の絵のファンは本当に多いですね。
数少ない作品点数の中で2点だけ残した風景画。
その一つが彼が生まれ育ったといわれるデルフトの眺望(デン・ハーグ/]マウリッツハイス美術館蔵)です。

Dsc02591
けれどもこの作品は、当時のデルフトの街を忠実にえがいたものではなく、フェルメールが
その景色を見ながら、建物の配置を入れ替えたりして描いたと考えられております。

フェルメールが活躍したころ、画家たちは「写実」、いかに見えたものを忠実に描くか、
どのような手法で表現するかに腐心したといいます。
そうした当時の流行を考えると、「デルフトの眺望」の美しい風景画が描かれた背景は謎がいっぱいの様です。
なぜフェルメールは「デルフトの眺望」を彼が残したどの作品よりも大きいサイズで描いたのか?なぜ、建物の位置を入れ替えたのか?
「デルフトの眺望」がえがかれた視点はどの位置か?
これらは長年議論の的でした。
様々な検証の結果、場所に関しては、
「恐らくここであろう」、という場所が特定されたのですが…

現在は「デルフトの眺望」が描かれたのは 1660年頃といわれ、描かれた場所は、デルフト市の中心部の南、コルク運河といわれています。
というわけで、私たちもそこへ行ってまいりました。
いかがでしょう。同じに見えますか?
デルフト
ここにはかつてロッテルダム門とシーダム門という 2つの市壁の門がありましたが、19世紀に街を拡張するために撤去されてしまいました。
そのため、場所の特定が困難であったそうで、今も残る東門のあたりが、デルフトの眺望の場所だと、長年考えられておりました。
様々な疑問はあれど、フェルメールの「デルフトの眺望」は、私たちを惹きつけます。
それは、何故なのでしょう。
これは大変長いお話になってしまいますので詳細は控えますが、
フェルメールは「如何に魅力的に見えるか」に腐心していたのかもしれないですね。

青いターバンの少女の絵も、瞳に本来なら存在しない光を白い点で描いたことで、まるでこちらに微笑みかけるかのような魅力的な表情になりました。

大きなかげりのある雲、そして砂州に佇む女性の姿、前方に並ぶ建物、奥に見える教会の尖塔…。
よくよく見ると、当時のデルフト市の記録と建物の配置が少し異なっていわけですが、
きっと「デルフト」の街の魅力をカンヴァスに留めようとしたとき、現実の風景よりも「より美しい」光景が、フェルメールの瞳に重なって見え、彼はそれを描き出したのでしょう。
この眺望を見ているとそんな気がしてならないのです。(齋藤晃)
フェルメールが描いたデルフトと今が融合した絵葉書

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