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2014年12月

2014年12月23日 (火)

クリスマスのドイツで出遭った窓辺から放たれる家族の思いやり(ユーラシア旅行社で行くドイツ)

ユーラシア旅行社で行く「ドイツ・エルツ山地のクリスマスとシュトレン祭9日間」でタイトル通りエルツ山地へ行ってきました。エルツ山地は、最高所でも約1,244mなので山脈というほどではありませんが、ドイツの東側、古都ドレスデンの南に位置するチェコとの国境沿いに山が連なる場所を指します。

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かつて12世紀に銀が発見され、銀をはじめとする錫やコバルトなどの鉱物資源採掘で生計を営む鉱山町がありましたが、17世紀に外国の安価な鉱物資源の輸入や鉱物資源の減少などで、衰退していきました。その後の鉱物資源採掘に代わる産業として取り込まれたのが副業として行われていた木のおもちゃを始めとする木工製品作りでした。その木工製品作りも様々な歴史や経済の波を乗り越え、現在でもエルツ山地の木のおもちゃは世界中に名を轟かせています。

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ここで作られる代表的な木工製品には、欧州でとても盛り上がるイベント、クリスマスの装飾品も含まれます。ドイツならではのスモーカー(胴体の中にお香を入れて口から煙が出るインテリア)からクリッペというキリスト生誕の場面を作り出す木の人形、のみ一本で作り出すシュパンバウムという削り木は芸術作品に値するほど。ドイツ中の各都市で開かれるクリスマスマーケットでもエルツ山地の製品を目にします。こうした製品のなかでとりわけエルツ山地ならではのものを挙げると、『シュヴィボーゲン』という窓辺に置かれる蝋燭飾りです。

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かまぼこのような半円形をした木のアーチ、これは坑道の入口を表わしています。そのぽっかり空いた空間に透かし彫りのような木の彫刻が配置され、アーチの上に取りつけられた蝋燭の光で彫刻の影が下に映し出されるというもの。現代では、蝋燭ではなく豆電球が付いていて光を放っています。シュヴィボーゲン自体に彩色は施されず、木地がそのまま、豆電球の色も基本電球色(もしくは白色)のみ。近くで見れば彫刻の素晴らしさを見ることが出来ますが、夜暗いときに遠目で単体で見ると非常に地味です。複数の色が点滅する電灯をつけたクリスマスツリーやカラーボール、サンタクロースなどの置物と比べると派手さはないし、華やかさに欠ける印象が強く、日本では飾られている家もほとんど見かけません。しかし、日没が16時と早いクリスマスの時期に、本場エルツ山地をバスで走っていると、車窓から幻想的な光景が!

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それはこのシュヴィボーゲンが、ほとんど全ての民家の窓に置かれ、灯りが灯されていたのです。一軒家の通りに面する窓が8つだとしたら、その窓のほぼ全て、7か8つの窓に置かれており、その窓のある部屋が使われていなくてもシュヴィボーゲンだけは灯っていたのです。それはとてもとても静かな灯りで、厳かさと優しさを強く感じるものでした。点滅もせず、様々な色の光の放ちもなく一色のみ、形もアーチか三角形だけ。ただそれだけなのです。インターネットや都会にでれば様々なクリスマス装飾品が手に入る現代で、他のクリスマス装飾を一切せず、シュヴィボーゲンだけを、窓辺に飾り、夜中に灯すエルツの人たちの郷土愛、郷土の誇り、厳かさの心を見た気がして、心を鷲づかみにされる感動をしました!もともと、この窓辺に灯りを灯す習慣は、真っ暗な炭鉱で働いてきた男の人が帰宅するときに温かい光で迎えてあげるという家族の思いやりのともしびであったことが由来。人を思いやる気持ちから生まれたシュヴィボーゲンの灯は、現代においても異国から来た私たち旅人の心にも温かいものを与えてくれました。

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※年内のブログは本日が最後です。新年は1月6日(火)から再開予定です。

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2014年12月19日 (金)

タイエリ峡谷鉄道でニュージーランドの大自然を満喫 (ユーラシア旅行社のクルーズツアー)

先日ユーラシア旅行社の「フィヨルドランドを航く、ニュージーランド大自然クルーズ 15日間」に、添乗員として同行致しました。プレミアム客船セレブリティ・ソルスティスに乗船し、オーストラリアのシドニーから出航。メルボルンに寄港した後、ニュージーランドへ向かいました。ニュージーランド最大の国立公園であるフィヨルドランド国立公園では、断崖絶壁が迫りくるフィヨルドの間を船で縫うように進み、その雄大な自然を堪能することができました。

ニュージーランドでは4つの港に寄りましたが、その寄港地の一つにダニーデンがありました。ニュージーランドは大きく分けて、北島と南島の二つに分かれていますが、ダニーデンは南島の南部東岸に位置します。スコットランドからの移民がダニーデンの街を開拓したという歴史から、今でもスコットランド風の街並みが残っています。またニュージーランド最古の大学・オタゴ大学がある、学生の街でもあります。

今回はそんなダニーデンの街で、タイエリ峡谷鉄道に乗車しました。タイエリ峡谷鉄道は、ダニーデンのあるオタゴ地方の内陸に広がる森林や峡谷を楽しむことにできる大人気の観光列車です。列車は街の中心にあるダニーデン駅を出発。列車が進むにつれて少しずつ車窓から見える建物の数が減っていきました。青々とした広大な大草原が広がっていたかと思えば、鬱蒼と木々が茂る森林地帯になったり、荒々しい峡谷の中を進んだりと、変化に富んだ車窓を楽しむことができました。途中、ヒンドンという駅で停車しました。ヒンドンは、かつてこの鉄道が観光列車ではなく市民の足として活躍していた頃、食堂があった駅です。近くの丘一面にハリエニシダの黄色い花が咲いていてとてもきれいでした。

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ヒンドンにて15分ほどの写真ストップを取った後そこからさらに1時間ほど進み、今回の折り返し地点プケランギ駅に到着しました。帰りは列車の中で車窓を楽しみながらお昼のお弁当を食べ、来た道を引き返しました。ニュージーランドの大自然を満喫できた、素敵な小旅行になりました。 (佐藤)

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2014年12月18日 (木)

巨大シュトレン様の大名行列(ユーラシア旅行社で行くドイツツアー)

ユーラシア旅行社で行く11/30発「ドイツ・エルツ山地のクリスマスとシュトレン祭9日間」の添乗に行ってきました。
欧州各地で11月の第4週日曜日から始まったクリスマスマーケットは、今回のツアーで訪れたドイツ各地でも見られ、その町ならではの個性を光らせたものでした。クリスマスというとサンタクロースやクリスマスツリー、アドヴェントカレンダー、香辛料のいっぱい入ったレープクーヘンなど思い浮かびますが、ドイツのクリスマスならではのクリスマスお菓子のひとつ“シュトレン”も忘れてはならないもののひとつ。ドレスデン発祥といわれ、ドレスデンが誇るお菓子であり、小麦の分量に対してバター50%、レーズン80%と栄養価もカロリー(!)も高く、ケーキのようにふんわりしているかと思いきやしっとりどっしりした食感。保存も効くのでちょっとづつ切り分けて食べていきます。シュトレンは繭のような形をして、まわりに粉砂糖がまぶされています。それはおくるみに包まれた赤ん坊のキリストをイメージしているからです。
さまざまなイベントが行われるクリスマスマーケット。ドレスデンでは、クリスマスイベントの一環で伝統菓子を題材とした「シュトレン祭」というものが行われました!
もともと17世紀末頃からドレスデン地域を治めていたザクセン公アウグスト1世が園遊会で招待したお客様にふるまうための巨大シュトレンを作らせたのが、巨大シュトレンの歴史の始まり。その歴史的出来事をクリスマスイベントとして再現しようとなり、今年で第21回目を迎えました。
お祭り当日、旧宮廷教会とドレスデン城の間にあるシュロス広場にて開会式。そこには選帝侯アウグスト公や奥方などの貴族に扮する人々や音楽隊、ドレスデン中のパン菓子職人さんたちが集まっていました。なかには会えたら幸福になると言われる煙突掃除夫さんたちもいました。みんなパレードに参加する人たちですが、開会式前や最中、気軽に写真撮影に応じてくれました。観光名所「君主の行列」を背景に、写真を撮ると、中世時代に遡ったようななんとも絵になるものでした。

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開会式で司会者とアウグスト公が談話し、毎年選出されるシュトレン娘や今年の巨大シュトレンがお披露目され、その後、旧市街を山車に乗った巨大シュトレンとシュトレン娘や王侯貴族扮する人々、音楽隊がパレードします。その華やかさもお祭りならではを感じますが、この祭りのハイライトはドレスデンで一番大きなクリスマスマーケットが催されているシュトリーツェルマルクトでの巨大シュトレン解体ショー(今年の巨大シュトレンは長さ4.34m、幅1.77m、高さ1.74m、そして3.341kg。材料には小麦1.2トン、砂糖200kg、バター750kgが使用!!!たくさんの延べ棒状のシュトレンをレンガのように積んで巨大シュトレンに仕上げています)。パレードのゴール地点シュトリーツェルマルクトの舞台前に到着した山車に乗った巨大シュトレン。

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これに第一刀をいれるのはやはり巨大ナイフ(これもパレードでお目見えできます)。これで切り出されたシュトレン、最初の一口を食すのは、やはり選帝侯アウグスト公!とイベントは盛り上がっていき、その後、パン菓子職人さんたちによる切り分け=解体ショーが始まりました。小型のナイフでどんどん切り分けられていく巨大シュトレン。切り分けられた約500gの塊を5ユーロで引換券を購入して手に入れました。あっという間に売り切れてしまうかとひやひやしましたが、解体が始まってから1時間後でも巨大シュトレンの約1/3は残っていましたし、後々の報告レポートを見たところ、約6万人に配布され約3時間で完売したとのこと。切り分けられたシュトレンも美味しく頂きました。

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クリスマスの雰囲気の中、中世の名残ある旧市街で時代絵巻と圧巻の巨大シュトレンとたくさんの見ごたえのあるお祭りでした。

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2014年12月17日 (水)

いざ、ミステリーアイランドへ(ユーラシア旅行社で行くクルーズツアー)

先日、ユーラシア旅行社の「バヌアツ・ミステリーアイランドとフィジー、ニューカレドニアクルーズ15日間」のツアーより帰国しました。楽園と謳われる南太平洋の美しい島々をよりラクに訪れるには、やっぱりクルーズがもってこいです。まず何よりも、飛行機の旅のような手続きの煩わしさや待ち時間がなく、ストレスがありません。そして、島が近づくにつれて少しずつ色が変化する海の様子を手に取るように眺めることができます。そんなのんびりクルーズを楽しむべく、寒くなり始めた日本を脱出し、初夏の南太平洋へ向かったのでした。

船は世界三大美港のひとつ、シドニーから出港。左にハーバーブリッジ、右にオペラハウスという贅沢な光景に見送られました。今回のクルーズ最大の目的は、バヌアツ領の“ミステリーアイランド”訪問。そもそもバヌアツのどの辺りにあるのか?学生時代の地図帳を引っ張り出して探してみるも見つかりません。それならばと地図を購入しましたが、なんとこれにも見当たらず。ガイドブックにももちろん掲載がなく、その名の通りと言いますか、島の場所がまず“謎”。それでも、どこに向かうかよく分からないまま、船が進むに任せて旅をするのも楽しいものでした。

ユーラシア旅行社で行くクルーズツアー、ミステリーアイランド沖合にて

ニューカレドニアとフィジーに立ち寄りながら旅をすること10日目、目覚めると船はミステリーアイランドの沖合に錨を下ろしていました。デッキから見下ろしてみると、珊瑚により形成された白い砂浜、環礁に囲まれたターコイズブルーの海がそれはそれは美しい!太陽が昇るにつれて、海はさらに鮮やかなターコイズブルーになっていきます。と思うと、時折太陽に雲がかかり、ふっと光が弱くなって海の色はコバルトブルーに。テンダーボートで島に上陸すると海の色はさらに違って見え、さらに、歩いて30分程で島を1周してみると、方角、水深、水中の岩、ビーチの木々など様々な要因によって、同じ色の海は1か所としてありません。泳ぐのはもちろん楽しいのですが、島をぶらぶらして海を眺めているだけでもあっという間に時間が過ぎて行きました。数日前に訪れたニューカレドニアは“天国に一番近い場所”といわれていましたが、この謳い文句はミステリーアイランドにも当てはまるような気がしました。

ユーラシア旅行社で行くクルーズツアー、ミステリーアイランドのビーチにて

さてこのミステリーアイランド、定期便の船や飛行機はなく、個人で訪れるのはやや困難。クルーズならではのお楽しみの場所です。無人島ですが、今回のようにクルーズ船がやってくると、最寄りの島から現地の人々もやってきて土産物店をオープン、とても賑わいます。ついでに、きれいなお手洗いもありますので、安心して時間めいいっぱい島でのんびりできます。忙しい日常を離れ、のんびり、ぼーっとすることが最高の贅沢!と感じられる場所でした。クルーズでしか来られない謎の島、ミステリーアイランド。この先も、地図やガイドブックに載らなくてもいいのかも・・・。幸か不幸か、インターネットを駆使すれば何とか見つかりますが、ここは敢えて、謎のまま旅に出る方がワクワクドキドキいっぱいです。(江間)

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2014年12月16日 (火)

香りの国オマーン(ユーラシア旅行社で行くオマーンツアー)

 

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先日、ユーラシア旅行社の「オマーン探検隊 8日間」の添乗より帰国致しました。オマーンと聞いてどのようなイメージを持たれるでしょうか?他の国々と比べると日本での知名度はそこまで高くはないかと思いますが、現国王であるカブース国王が1970年に王位についてから、彼の近代化政策によって目覚ましく発展している国です。また、オマーンは香りの国と呼ばれるほど、日常生活の中に「香り」が深く関わってきます。

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 オマーンは乳香の名産地。他の地域でも乳香が採れるところはありますが、オマーンのドファール地方で採れる乳香は最高品質とされています。今回の旅ではドファール地方のサラーラという町まで足を延ばし、乳香の木が生息する「乳香の道」の一部だったワディドゥカにも訪れました。乳香の木は根本から枝分かれしている珍しい形。実際に木を削るとじわじわと白い樹液がでてきます。ガイドさんに言われるまま、樹液の匂いを嗅いでみると乳香特有の甘い香りがしました。
そもそも乳香とはなんなのか?東方の三博士が生まれたイエスに献上したものの一つとして有名ですが、金と同等の価値を持つとされた乳香は、古くから宗教儀式の際に使用され、オマーンから古代ローマやギリシャ、アジアやアフリカ大陸と世界中に運ばれていきました。そして、乳香は現在でもオマーン人の生活で欠かせないものです。街中でも大きな香炉で乳香を焚いているのをよく目にしますし、乳香の香りを服につけるのはもちろん、お客様を迎える際には必ず乳香を焚き、また、帰りの時間を知らせるために乳香を焚くといった文化があるそうです。また、乳香には様々な効能があります。緊張やストレスを和らげて心を落ち着かせたり、皮膚細胞の再生を促進するため肌トラブルを改善したり、さらには抗菌作用があるため風邪などにも効くとされています。

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まるで万能薬のような乳香ですが、日本ではあまりポピュラーではないかと思います。今回ガイドとして案内してくれた男性が、「日本人観光客はヨーロッパからの観光客と比べるとまだまだ少ないが、乳香も含め、オマーンには素晴らしい観光資源がある。もっと沢山の日本人にオマーンを知ってほしい」と言っていたのが強く印象に残っています。インターネットなどでも情報が得られる現代。もちろんそれだけではオマーンの魅力を知るには物足りないかもしれませんが、オマーンに興味を持つ人が増え、他のイスラム圏の国々と肩を並べるくらい旅行者が増えるのもそう遠くないでしょう。(市川)

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2014年12月12日 (金)

エル・ドラド!目も眩むコロンビアの黄金伝説! (ユーラシア旅行社で行くコロンビアのツアー)

先日ユーラシア旅行社の「悪魔のタワーとコロンビア絶景紀行 9日間」のツアーより帰国しました。

「エル・ドラド(黄金郷)」

何とロマン溢れる言葉でしょうか。
私たち日本人でも、どこかでこの言葉を聞いたことがあるはずです。

16世紀頃ヨーロッパで新天地を求め始めた大航海時代には、この「エル・ドラド」
という言葉は瞬く間にヨーロッパ中に知れ渡り、多くの探検家や船乗り達の野心をかき立て、
実際に幾人もの探検家が黄金を求めて新大陸へ旅立ってゆきました。

このエル・ドラド、黄金郷伝説は南米コロンビアが発祥の地と言われています。

コロンビアはアンデス山脈の北端に位置し、かつては山中に金鉱が数多く点在しており、
金の生産量は南米随一でした。ボゴタ近郊に住んでいたムイスカ族をはじめ
コロンビアの先住民たちは歴代王の儀式や副葬品に黄金を多用し、
紀元前1000年頃からスペイン人が到来する16世紀頃まで数多くの黄金の装飾品が作られました。

その先住民たちの残した数々の黄金装飾品は、今でも首都ボゴタの黄金博物館で見ることができます。

「黄金博物館」だけに、どこを向いても金・金・金。

金ばかり。

黄金のポポロ(コカの葉を入れる壺)


想像をはるかに超える大量の黄金装飾品。
そして当時の加工技術のレベルには驚かされます。

どこの部屋も全体が眩いばかりの金色に輝いています。

日常では絶対に味わえないような不思議な雰囲気。
足元がフワフワした感覚になり、まるで催眠術にでもかかったように目が虚ろになってきました。

やはり煌めく黄金の輝きは古今東西、人間を惑わせるのかも知れません。

また、インカ帝国や中米のマヤ、アステカ文明とは全く異なる独自の文明がコロンビアにも存在していたことも新鮮な驚きでした。


16世紀に南米にやってきたスペイン人たちはペルー、エクアドルなどインカ帝国、南米各地で先住民から黄金を搾り取った後、本国へ送る際に黄金をはじめとする貴金属類を集積し、中継地としたのが北部の港町カルタヘナでした。
当時のカルタヘナには大型の帆船が絶え間なく出入りし、街には異国風の顔立ちをした商人達が行き交い、活気溢れる港だったに違いありません。
現在のカルタへナの旧市街も港特有の溢れる活気が印象的でした。
スペイン植民地時代の豪商達の立派な邸宅が並び、石畳の路地には陽気な売り子たちが果物や水、パナマ帽から日用品まであらゆる品々を売っており、たくましい商人魂は今ももちろん健在。
アフリカ系から先住民との混血メスチーソ、純粋なスペイン系など実に様々な顔立ちの人々が行き交っている光景も印象的でした。

世界遺産カルタヘナの旧市街にて

黄金の集積地に人々が集まった港町カルタヘナ。

そういえば、ボゴタの黄金博物館も多くの人で混み合っていました。

黄金があるところ、人が集まるのは今も昔も同じです。
(上田)

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2014年12月11日 (木)

キューバ、クラシックカー天国崩壊へのカウントダウン始まる!?(ユーラシア旅行社で行くメキシコツアー・キューバツアー)

キューバツアー、キューバ旅行
先日、ユーラシア旅行社の「メキシコ・キューバ世界遺産とカリブの休日11日間」より帰国しました。
メキシコ、キューバの10箇所の世界遺産と、2つの無形文化遺産を満喫するこのツアー。
毎日がハイライトの11日間でしたが、その中でも印象的で私の目に焼き付いたものは、キューバの街中を現役で行き交うカラフルなアメ車でした。
 鋭いテールフィン、ボンネットのマスコットが特徴的で、クロームメッキのボディもピカピカに手入れがされていました。クラシックカーがずらりと並ぶ光景はまるで1950年代にタイムスリップしたかのようです。
しかしながら、私たちの目を大いに楽しませてくれるクラシックカーは、古いためか故障も多いようで街中で修理をしている光景もしばしば見かけました。
また、燃費が悪く、排気ガスの排出量も多いため、環境に悪影響ということを理由に1970年代には生産が縮小されており、現在、キューバでは環境に配慮し、エンジンを小型車のものに積み替える車も多いそうです。
 1959年のキューバ革命以降、新車の輸入が禁止され、「クラシックカー天国」と呼ばれてきたキューバですが、市場の自由化政策の一環で、ついに新車の売買が解禁されました。
今後は新車の輸入だけではなく、貴重な旧車の輸出もキューバの経済を大きく動かすことになるでしょう。
 はたして、数年後のクラシックカー天国の命運や、いかに!?
(瀬戸)

ユーラシア旅行社で行くキューバツアーの魅力

ユーラシア旅行社で行くメキシコツアーの魅力

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2014年12月10日 (水)

飛んで、飛んで!!(ユーラシア旅行社で行く、ネパールツアー)

先日、ユーラシア旅行社「ネパール大周遊12日間」のツアーより帰国致しました。

ネパールを代表する街の宿泊に加え、ジョムソンでは日帰りハイキングをして、大自然を満喫して頂きました。

ポカラからジョムソンへは飛行機でわずか15分ほど。

しかし、ジョムソンは周囲をダウラギリやアンナプルナといった7,000~8,000m級の山々に囲まれた谷間に位置しており、飛行機の離着陸ができるのは風が穏やかな午前中のみという、距離的には近いけれども天候に恵まれなければなかなか辿り着けない、気持ち的には少し距離感を感じてしまう所にあります。

いくらポカラの天気が良くても、ジョムソンで風が強ければ飛べない。

風が弱いタイミングで着陸できた者だけが土を踏むことのできる場所、ジョムソン。

夜明け前に飛行場に到着し、“その時”が来るのを待ちます。

しかし、出発の時間になってもまだアナウンスがありません。係員に聞いてみると、「ジョムソンは快晴なんだけれど、ポカラの視界がまだ晴れていないんだ」とのこと。

「今日の午前中に行けなかったら…」という万一のことも考えなければなりません。「飛んでほしい!」全員が気持ちをひとつにして待っていると、アナウンスが!「天候が回復したため、すぐに出発します。搭乗口に急いで下さい!」

安堵の一息を着く間もなく、搭乗口へ急ぎます。すぐに天候が変わってしますため、時間との勝負なのです!

ネパールツアー,ネパール旅行

私たちのグループと数名が乗った飛行機は、無事にジョムソンに向けて飛び立ちました。

ポカラからジョムソンまでの飛行ルートは、ヒマラヤ遊覧飛行と同じルート。

ダイナミックな景色もお楽しみのひとつ。

飛行中は、皆様、窓の外に広がる雪化粧をした雄大な山々に釘付けです!

大自然のスケールの大きさに、ただただ溜息が自然と漏れていました。(飯野)

ユーラシア旅行社のネパールツアーの魅力はこちら!

ネパールツアー,ネパール旅行

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2014年12月 9日 (火)

絶海の孤島、イースター島とガラパゴス諸島に行ってきました!(ユーラシア旅行社で行くガラパゴスツアー)

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先日、ユーラシア旅行社の「ガラパゴス周遊と謎のイースター島探訪 13日間」のツアーより帰国致しました。〝絶海の孤島〟と呼ばれるエクアドル領のガラパゴス諸島と、チリ領のイースター島。その呼び名に相応しく、日本から飛行機で20時間以上かけて、南米大陸に入った後も、ガラパゴス諸島は首都キトから約2時間30分、イースター島は首都サンチャゴから約5時間30分も飛行します。遠路はるばるやって来た地球の裏側、そこには私たちの想像をはるかに超えた独特の文化が興り、独自の進化を遂げた動植物たちが待っていました!

さぁ、旅の始まりは、モアイでお馴染みのイースター島から。モアイって何のためにできたの?という疑問はきっと誰もが抱くでしょう。モアイ建造は、神への信仰心の現れや、亡くなった故人のお墓などと思われ、その目的は今も謎に包まれています。今回、私たちに同行してくれた現地ガイドさんは「モアイは当時、権力を持っていた部族の族長の顔を彫ったものという説が有力」と教えてくれました。よく世界中の広場に建っているような偉人の銅像などと一緒で、イースター島でも偉大な族長は亡くなる前から自分に似せたモアイ作りを依頼していたというのです。なるほど!と思いましたが、それにしても、どのモアイも顔が似すぎでは・・・?と、またまた謎は深まるばかりでした。

1680年代、フリモアイ(モアイ倒し戦争)が起こり、モアイ作りに終焉が訪れると、今度は、鳥人信仰が始まりました。選ばれた各部族の戦士が、1.5km離れたモツ・ヌイ島まで泳ぎ、毎年9月になると飛来するマヌタラ(イワツバメ)の最初の卵を持ち帰るバードマンレースを行いました。そこで勝利した戦士の族長は一年間、聖なる力(マナ)を持った鳥人となり、島の様々な権力を担い、死後も偉人として称えられたそうです。そのバードマンレースの舞台となったのがツアーでも訪れる「オロンゴ岬」。実際に岬からモツ・ヌイ島を望むと意外と近くに感じるかもしれませんが、実はこの辺りにはサメも生息していて、戦士たちは終始命がけ。しかも戦士同士の殺し合いも認められていたというから驚きです。そんなビックリな歴史も絶海の孤島ならではです。

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さて、旅の後半は赤道直下の国、エクアドルへ移動。ダーウィンが進化論を唱えた、動物たちの楽園、ガラパゴス諸島を訪れます。今回はクルーズ船に宿泊するのではなく、サンタクルス島のエコリゾート、フィンチ・ベイホテルに3連泊!船酔いで眠れない、食事がとれない・・・という心配もなく、実に独創的で芸術的なフィンチ・ベイのお料理を堪能しました。また近くのビーチにはカッショクペリカンやガラパゴスアシカも遊びに来ます。ホテルに居ながらにして動物観察もでき、なんだか嬉しいオマケつき。

ガラパゴス諸島には20の主な島がありますが、そのうち今回観光で訪れたのは、ノースセイモア島とサウスプラザ島の二つ。繁殖期が終わり、ちょうどベビーラッシュを迎えたガラパゴス。ノースセイモア島では白いフワフワした産毛をまとった愛くるしいグンカンドリやアオアシカツオドリの赤ちゃん、そして繁殖期の時に見られるグンカンドリの真っ赤な風船のような喉袋もあちこちで見ることができました。一方で、ガラパゴス1のガラパゴスアシカの生息数を誇るサウスプラザ島では、体重が250キロ以上あると思われるボスのチャーリー君が早速、上陸の時にお出迎え。「オゥ、オゥッ!」と大海に響き渡る大きな声で興奮した様子でした。島の地面にはこの時期にだけ、葉を赤く染めるセスビオン(多肉植物の仲間)が絨毯のようにビッシリ。思わぬ場所で「紅葉」も愛でることができました。

クルーズ船ではなく、ガラパゴス諸島一番の賑わいを見せるサンタクルス島に滞在する今回のガラパゴスの旅。観光の後には島の中心プエルトアヨラ港で自由時間を取り、アシカが遊びに来る魚市場や名産のコーヒー豆やチョコレートを売る島のスーパーを覘いたりと、島の人々の生活を垣間見ることができました。クルーズ船の滞在では決して味わう事の出来ない、オマケいっぱいの新しいガラパゴス諸島の楽しみ方、お勧めです!(三橋)

ユーラシア旅行社で行くガラパゴスツアーの魅力

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2014年12月 5日 (金)

世界遺産となった富岡製糸場、その意義は?(ユーラシア旅行社で行く日本ツアー)

先日、ユーラシア旅行社の富岡製糸場と現役製糸工場見学の日帰りツアーに行ってきました。
今回のテーマは「日本の製糸業」。まずは碓氷製糸場を訪問します。ここでは繭が生糸になるまでの工程をたどってみます。

ユーラシア旅行社で行く日本ツアー、碓氷製糸場


繭はまず乾燥させます。中に入っているサナギはこの工程で絶命(南無・・)。そして繭の選定の後、煮ます。すると繭の糸口が出てきます。繭は一本の糸からできていますので、これを手繰って生糸にします。一本では細いため、約7個の生糸を抱き合わせます。この工程を「繰糸そうし」と言います。出来上がった生糸を出荷用に巻き上げれば完了です。その様子を見て、なるほど、幼いころに隣の家で養っていたお蚕さんはこうやって生糸になっていたのだと溜飲しました。


ユーラシア旅行社で行く日本ツアー、富岡製糸場


そして、今年6月に世界遺産に登録された富岡製糸場を見学しました。明治5年(1872年)創業のとても規模の大きい工場です。赤レンガ作りの繭倉庫やフランスから招聘した技師の宿舎、繰糸場、医務室もあります。繰糸場は全長140mにも及びます。このような整った設備で機械化された製糸が行われたのですから、さぞや生産性が上がったことでしょう。日本の現代化だけでなく、世界に良質の生糸を提供した価値が認められて、世界遺産登録が決まりました。


さて、この富岡製糸場は、今では「遺産」となりました。寂しいことではありますが、昭和62年(1987年)に操業を停止。養蚕農家の数も減少し、先に見学した碓氷製糸工場では、ひところよりもかなり規模を縮小して経営しています。しかし、富岡製糸場の世界遺産登録を契機に、富岡には押し寄せるように観光客がやってきます。そして、絹製品を販売する売店はバーゲン会場のような賑わいです。遺産となった製糸場が活気を与えて、残された製糸工場が復活したら、きっと富岡製糸場の創業に携わった人たちも本望でしょう。

このような需要が、日本の製糸産業に活気を与え、日本の物づくりを喚起するきっかけになればよいと感じました。ガンバレ、日本の物づくり!(斎藤さ)


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2014年12月 4日 (木)

メルヘンチックなグアタペと悪魔のタワー!!(ユーラシア旅行社で行くコロンビアツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「悪魔のタワーとコロンビア絶景紀行 9日間」より帰国しました。「危なくないの?」コロンビアに行くと言うと必ずといっていい程聞かれてしまうのはこの国の持つイメージがあまりにも悪かったからでしょう。確かに今から数十年前までは「世界で一番危険な都市」に挙げられるなどゲリラ組織や麻薬密売組織の存在は世界中に知られることになっていましたが、徹底した治安対策を実地するなどの努力の甲斐もありここ10年ちょっとで目まぐるしく状況は変わり、実際現地に訪れて街を歩いていてもバスから車窓で眺めていても<怖さ>を感じる事は一切ありませんでした。今では観光にも力を入れていて、海外からのお客様だけでなくコロンビア人自身も国内旅行を楽しむ時代。週末にもなれば観光地には家族連れでいっぱいでした。

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 今回訪れた中で特にお勧めは、知名度はまだそれ程でもないものの恐らく今後大注目されるだろう観光地。おとぎ話の中に迷い込んでしまったかのようなカラフル&メルヘンチックな街グアタペと、その近郊にある一際目立つ巨大一枚岩、“ピエドラ・デル・ペニョール”通称悪魔のタワーです。
 グアタペはコロンビアの第二の都市メデジンからバスで2時間程の緑と山に囲まれた盆地の街。昔から農業中心のこの場所では1970年代に水力発電ダムが造られた後、観光客を呼べるようにと湖の周りにレストランや小さなホテルが建てられました。街をカラフルにしたのもそういった理由もあるのだとか。しかしこれがまた本当にメルヘン♪色使いから窓枠、壁に描かれた絵など全てが可愛らしくこんな所に住んでいたらそれだけでハッピーになれそうな、そんな街でした。
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 また、ピエドラ・デル・ペニョールはリオ・デジャネイロのポンデアスーカルみたい!!高さ220mもの巨大一枚岩は他に高い建物がないこの土地では少し離れたところからでもその大きさ、迫力を感じる事が出来きます。1954年に地元の人が初登頂し、それ以降クライマーの聖地になっているのだとか。現在ではクライマーでなくても登れるように階段が作られたので、誰でも頂上まで行く事が出来るのです。さすがに岩の真下まで来るとその姿に圧倒され、「ここを登るの~?!」と一瞬の戸惑いまで感じてしまいます。が、ご安心ください。頂上まで720段、更にその上に建つ建物の頂上まで行くと740段。遠くから見たら梯子のような階段も実際は幅もあり歩き易く15分~20分位で登る事が出来ました。そして頂上からは360℃の絶景が!!登った甲斐以上の感動がありました。
 大航海時代、コロンビアにある黄金郷伝説はヨーロッパ人を惹きつけ多くの探検家たちがこの地にやってきました。現在、黄金ではありませんがコロンビアには美しい自然や見どころが沢山あります。南米旅行はペルーやブラジルだけではありません。まだまだ知られざるコロンビアに是非!!(岩間)

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2014年12月 3日 (水)

まだまだ現役。旧ユーゴの迷車、その名も「YUGO」。(ユーラシア旅行社で行くバルカンツアー)

先日ユーラシア旅行社の「コソボも行く 西バルカン7ヵ国大周遊」の旅より帰国致しました。
ツアー中目に入ったものは何でもマイクを通して案内するようにしていますが、
街歩きの際、バス移動の際に多くなるのは、その国ならではの車の案内です。
本日ご紹介させて頂きますのは旧ユーゴスラヴィアの迷車、ザスタバ社のYUGOです。
徐々に生産量を減らし2008年に生産終了されましたが、まだまだ現役でした。
ザスタバ社はイタリア、フィアット社のライセンス生産を行っていました。
フィアットの優れたデザインと低価格・低品質を兼ね備えたYUGOは「ナットとボルトの寄せ集め」の愛称(?)で親しまれ、旧ユーゴスラヴィアの国民車となったのはもちろん、一時は英米をはじめ海外にも輸出されました。
単純な構造は(壊れやすく)直しやすく、長らく変わらないデザインは部品の安定供給をもたらしたそうです。
そんなYUGOも生産終了し、西欧の車の普及によって徐々に数が減ってきているそうです。
現役で走るYUGOをご覧頂けるうちに、是非旧ユーゴ諸国にご旅行下さい!(尾崎)

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2014年12月 2日 (火)

奥深きチベット仏教のススメ(ユーラシア旅行社で行くチベットツアー)

 先日、ユーラシア旅行社の「青海チベット鉄道とエベレスト、ヒマラヤ大縦断 14日間」のツアーより帰国しました。
 今回の旅のメインは、世界最高峰のヒマラヤの峰々と神の地ラサの観光です。雨季の為、雲がかかりやすい夏に比べ、この時期は晴天率が高く、神々しいエベレストの姿を拝むことができました。
 また、秋はチベットの農民にとっては農閑期にあたりますので、巡礼のシーズンと
なります。ラサでは五体投地という祈りを繰り返す敬虔なチベット仏教徒の姿を多く見かけましたし、ダライ・ラマの宮殿であるポタラ宮の巨大さを目の当たりにし、チベット仏教の奥深かさを感じました。

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 そんなラサの滞在の中で特に印象に残っているのが、セラ寺です。チベット仏教には、ニンマ派・カギュ派・サキャ派・ゲルク派という四大宗派がありますが、セラ寺はゲルク派の大寺院で1419年に創建されました。最盛期には5000人以上の僧侶がこの寺で暮らしていたそうで、日本人の河口慧海や多田等観も学びました。
 
 私たちが訪れた時には、運良くセラ寺の中庭で問答修行が行われていました。チベット仏教は極めて論理的に構築されている為、12世紀頃からチベット論理学が発達してきました。そんなチベット倫理学を身につける方法として、問答が行われています。「主題・根拠・結論」の3要素を一対一で議論する形で体と頭に刻み込むのです。内容は理解できなくても、中庭に響き渡る声や白熱する様子で彼らの真剣な姿勢が伝わってきました。

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 日本でも、禅問答があるのでこういった風景は私たちにも馴染みやすいです。秋のチベットで、日本との繋がりを感じるのも良いかもしれません。(坂田)

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