奇跡のマント?メキシコ、グアダルーペ寺院
ユーラシア旅行社で行く、メキシコツアーの魅力
先日、ユーラシア旅行社のブータンの添乗より帰国しました。今回のツアーはブータンの中でも発展し、観光地化されている西部に比べ、まだまだ伝統的な生活様式が残るブムタン地方まで足を伸ばしました。
国土の72%が森林で囲まれ、豊かな自然が残るブータンの中でもこのブムタン地方は特に多くの自然に溢れており、人々の生活も素朴でブータンの真髄と呼ばれる所以を実感できました。
ゆったりと時間が過ぎるブムタン地方とは対照的にブータンの玄関口であるパロでは一年で最も盛り上がるパロツェチュ祭が開催されました。
「ツェチュ」とはチベット仏教の教祖グル・リンポチェの誕生日である月の10日を意味し、この日に法要を行うと人々の元に再びグル・リンポチェが降臨すると信じられています。
ツェチュ祭は毎月各地で行われていますが、中でもパロツェチュ祭はブータン最大級!
ブータン全土からパロのツェチュ祭を見るために多くの人々が駆けつけ、その中には2日間もかけて遠方から足を運ぶ人もいるそう。
会場に着くとブータンの民族衣装のゴやキラを身に纏った人々が大勢います。
若者にとってこのツェチュ祭は出会いの場にもなるため、自分のお気に入りで色とりどりの民族衣装を着た人々が広場を埋め尽くす様は圧巻!普段はシャイなブータン人もこの日ばかりは気さくに写真撮影にも応じてくれました。
パロツェチュ祭は5日間通して行われ、祭りの期間中はチベット仏教の儀式や法要に基づいた舞が披露されます。中でも一番の盛り上がりを見せるのは「閻魔大王の裁き」です。
赤いお面を被った道化師のアツァラが会場を盛り上げ、太鼓や人々の歓声がこだまする中いよいよ閻魔大王が登場。死者の生前の行いを天秤に架けた後、地獄行きか極楽行きかに分別される様子を描かれます。この裁きを見ることで、今までの悪行もなかったことになるため、人々は大王を見て祈りを捧げていました。
そして、最終日の早朝には「トンドル」と呼ばれる大きな「タンカ」のご開帳があります。トンドルの保存の為、まだ真っ暗なうちにタンカを開き、太陽が昇るまでの僅かな開帳の時間に、是非トンドルに触ってご利益を得ようという信仰深い人々が大勢集まってきます。
幸福の国ブータンで行われる年に一度のお祭り、ブータンの人々の信仰の篤さと熱気を感じたひと時でした。(吉村)
先日、ユーラシア旅行社の「カリブ6ケ国、夢の楽園紀行 15日間」より帰国致しましました。音楽や食、自然等様々な文化が育まれてきた美しい島々が浮かぶカリブ海。どこまでも続く白い砂浜に太陽光を浴びたコバルトブルーの海。キラキラと輝き、眩しく世界で最も美しいと言われるカリブ海を存分に堪能して参りました。
ツアーでは、カリブ海では最大であり、今、まさに変換期を迎えようとしているキューバを皮切りに、右回りに、ドミニカ共和国、プエルトリコ、アンティグア&バーブーダ、バルバドス、そして、最後にジャマイカを訪れて来ました。
今回は、レゲエの故郷と言われるジャマイカにスポットを当ててご案内したいと思います。
ジャマイカと言うと、皆様ぱっと思い付くのは、ボブ・マリーを生んだレゲエの国、近年では世界最速の男ウサイン・ボルトを生んだ国等でしょうか?勿論これ以外にも、ジャマイカは沢山の魅力で溢れています。
緑豊かなジャマイカでは様々なフルーツや植物が生息しており、ツアーでも訪れる「サ
ンバリー・プランテーション」では、ジャマイカに生息する多種多様な植物やフルーツ
をガイドさんの案内の元、農園内を見て回ります。実際にジャマイカのフルーツを手に取ったり、スパイスを嗅いでみたり、フルーツの試飲や試食をしてみたりと、日本にはあまり馴染みの少ない南国フルーツに直に触れることが出来る貴重な体験が出来、楽しんで頂けるでしょう。
そして、忘れてはならないのがコーヒーの王様とも言える「ブルーマウンテン」。ブルーマウンテンコーヒーは、ここジャマイカのキングストンの北東に位置する山中で作られます。名前から山が青いのかとも思われがちですが、実際に山が青いのではなく、標高が2000M級の山脈は常に霧に包まれていて青く見える為、「ブルーマウンテン」と呼ばれています。その標高800M~1200Mの山中のコーヒー農園で採れた豆のみを「ブルーマウンテン」と呼ぶことが出来るのです。ツアーでは「UCCコーヒー農園」を訪れます。ここは、17世紀の英国人によって建設された邸宅をUCCが買い取りコーヒー農園にしました。まずは、邸宅の裏のコーヒー農園の見学です。現在約100ヘクタール、13万本ものコーヒーの木がある中を歩いて行きますが、途中コーヒーの木に成っている赤い実も見ることが出来ました。実は全て手作業で収穫され、厳しい検査を受けた良質の豆だけが選ばれます。よってUCCのコーヒーは、ブルーマウンテンコーヒーの中でも選りすぐりの豆で1等級のコーヒーです.。
農園を歩いた後には、淹れたての「ブルーマウンテンコーヒー」が迎えてくれます。深い味わいながら、まろやかでいて、コクもありつつ、すっきりしているのです!酸味・甘味・苦み・香りの全ての調和がとれた世界最高品質です。ブルーマウンテンの爽やかな風にあたりながら飲む、挽きたてのコーヒーは格別です!余談ですが、日本人には考えられないでしょうが、現地の人々はコーヒーにコンデスミルクを入れるのが大好きなのだそうです。皆様も、世界最高峰のコーヒーを試しにジャマイカ、ブルーマウンテンへ訪れてみてはどうですか?(井手)
先日、ユーラシア旅行社で行く「世界で最も美しい航路に5連泊!ノルウェーフィヨルド・クルーズとオーロラ紀行」の添乗より帰国致しました。ノルウェーと聞いて、誰もが思い浮かべるのが、氷河が削り取った荒々しい断崖や、複雑に入り込んだフィヨルドではないでしょうか。
今回、私たちが乗船した沿岸急行船は、まさにこのような沿岸地域に住む人々と深く関係しています。19世紀後半まで分断され孤立していたノルウェー西海岸沿岸の村々。そこに安心安全な交通手段と交易ルートを築こうと立ち上がったのが、この沿岸急行船フッティルーテンです。1893年に運航が始まり、120年以上経った現在もなお、地元の人々の生活には欠かせない存在であり、また雄大なフィヨルドの絶景が続くことから「世界一美しい航路」として世界中の観光客を惹きつけて止みません。〝クルーズ〟と聞くと、少し敷居の高いものと思いがちですが、元々、地元の人々の足であった沿岸急行船は一味もふた味も違います!
私たちの5泊6日の船旅は、ロシアとの北の国境、キルケネスからスタートし、南下すること2400㎞、最後は世界遺産のある南のベルゲンで下船。途中、北極圏を通過して、32の港町に寄港します。寄港する町々は、人口僅か数千人という小さな漁村から、トロンハイムなど約17万人の人口を有する大都市まで様々です。寄港時間が30分もあれば下船し、町を散策することも可能。多くの港は町の中心に面しているので、メインストリートを歩き、教会を覗いてみたり、スーパーに入って北極圏限定ものを探したりと、地元の人々の生活を垣間見ることができるのもこのクルーズの良い所。また、美しいパウダースノーにも大いに感動してしまいました!手に乗せても冷たくないし、溶けることなく、風にのって飛んでいった雪。深々と降る雪に温かい明りの灯る可愛らしい家々、そして温暖なメキシコ湾流のお蔭で、気温は氷点下にならずとも、天気が良い日にはオーロラも出現するのです!こんなロマンチックな冬なら、ちょっとの不便を感じてもここに住んでもいいかも・・・なんて思ったり。
そして、旅の一番の思い出は、クルーズ船トロルフィヨルド号の船員たちの温かい〝おもてなし〟。朝食、昼食のビュッフェに並ぶのは、寄港した町で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類にトナカイの肉などの郷土料理、そしてノルウェーの森でふんだんに採れるベリーを使ったデザートなど。窓から素晴らしい景色を眺めながら頂く食事は本当に贅沢!夕食時の本日のメニューの表示の下に、ちょこっと書き加えられた薀蓄も個人的には楽しみでした。また船内には〝世界一美しい航路〟ならではの絶景を楽しめる工夫もいっぱい。中でもお勧めはサンデッキのジャグジー。雪を被った山々を眺めつつ、時には北極圏のパウダースノーが舞う中で、ビール片手にジャグジーに浸かれば一生の思い出になること間違いなし!またガラス張りのビューラウンジもあります。まるで船の突端にいるかのような大迫力の景色をソファーに座ってのんびり堪能。ゆるりと流れる時間の中で、仲間と談話したり、読書したり、コツコツ編み物をしたり、空想に耽ったり、昼寝したって注意される心配はありません。きっと素敵な夢が見られるだろうな~。大型のクルーズ船とは違い、代わる代わる催し物がある訳ではないですが、〝絶景の航路〟こそ、それにも負けない一番の魅力です。お気に入りの場所を見つけて、思い思いの時間を過ごす、それが究極の贅沢であり、沿岸急行船の醍醐味です。(三橋)
先日、ユーラシア旅行社の「アンコール遺跡群を極める旅9日間」より帰国しました。栄華を極めた、アンコール時代の遺跡群もさることながら、私に最も強い印象を与えたのは、プノンペンの街並みでした。夜に綺麗にライトアップされる高層ビルや独立記念塔、王宮広場でスマートフォンを手にする若者たちは、私たちと比べて遜色ありません。
しかし、今から遡ること僅か40年。ポルポト政権時代のプノンペンには、知識人を収容、拷問するための刑務所が存在していました。そこには、わずか2年9か月の間に2万人近くの人が連行されたと言われ、そのうち生還できたのは8人のみだそうです。建物内には、独房が当時のまま残され、犠牲者の写真が整然と展示されています。天井や壁に付着しているシミは犠牲者の血痕です。自然と鳥肌が立ってしまいました。当時は密告などもあり、他人を信用することもできなかったそうです。
もしも私がこの時代に、この国に生まれていたら一体どうすればいいのか。考えただけで涙が出そうになります。
目を背けたくなるような悲しい歴史ではありますが、心の片隅に置いておこうと思います。現在の賑やかな街並みや人々の笑顔も、より輝いて見えてくるように思えました。(瀬戸)
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先日、ユーラシア旅行社の「千年の交易路、雲南・茶馬古道をゆく 8日間」より帰国しました。
茶馬古道という言葉を耳にしたことがありますか?これは、西南シルクロードといわれ、雲南省南部のシーサンパンナからチベットのラサまでの道のり。雲南からチベットへは特産のお茶を、チベットから雲南へは働き手として優秀な馬を運び、盛んに交易したことからこの名がついたそうです。険しい山、深い渓谷を超えながらの道のりは、1年以上かかることもあったとか。今回の旅では、この交易路にあった宿場町を訪ね、いにしえの風景を辿りました。
大理や麗江など徐々に観光地化されてゆく町が増える中、昔ながらの面影を今に残しているのが“沙渓”です。町の中心・寺登街の広場はかつて、市が開かれたところ。キャラバン隊が運んできた雲南の塩や、チベットの薬剤、毛皮なども盛んに取引されたといいます。この広場には、この地の少数民族・ペー族の特徴的な反り屋根を持った舞台建築があり、キャラバン隊の人々も夜にはここで歌や踊りを楽しんだとか。商売繁盛と旅の安全を祈願する寺もあり、まさに宿場町の中心だった様子が目に浮かぶようでした。また、町を散策し、一歩、路地裏に入ると、土壁や木造の古い建築物か建ち並ぶ細い道が続きます。今ではひっそり静まり返っているのですが、ぶらぶらしていると、荷物を運ぶ馬の足音や行き交う人々の会話が聞こえてくるようにも感じました。
雲龍の郊外に位置する諾鄧村は、さらに手の入っていないひっそりとした村でした。山の斜面に沿って建てられた村は、約一千年の歴史を持ち、交易品のひとつだった塩を作っていた場所が今も残っています。今では電気が通い、家にはテレビもあったりと、その生活は徐々に変わりつつあるようですが、馬が今も運搬手段のひとつとして行き来している様子はそのままでした。
宿場町を辿りながら思い起こしたのは、チベットを訪れると口にする機会があるバター茶。この茶葉をもたらしたのは雲南の人々だったわけです。茶馬古道が発展しなければ、チベットの人々がお茶を飲む習慣を持つこともなかったわけです。“もうひとつのシルクロード”を辿り、宿場町を歩きながら、雲南とチベットのつながりの必然性を感じたのでした。(江間)
先日、ユーラシア旅行社の奈良・東大寺お水取りツアーに行ってきました。春の到来を告げる「お水取り」は、3月1日から14日間行われます。お水取りでは、東大寺の二月堂の欄干で、火を灯した松明が振り回されます。その松明の長さはなんと7mにも及びます。二月堂が夜闇に包まれる7時に松明が登場します。二月堂の左側には階段状の廊下があり、松明を担いだ男性が駆け上がります。その様子にまずびっくりします。長さ7mにも及ぶ、煌々と燃え上がる大松明が廊下の屋根を燃やしてしまわないのか、はた目に心配になりますが廊下は燃えません。事前に相当の水がかけられているそうです。そして、松明が欄干に到達すると、欄干の左側でまず松明が夜空の中で生きているように振り回されます。ニョキっと、上に差し上げられたかと思うと、グルグルっと回され、火の粉が舞い落ちます。そして、松明はいきなり欄干の右側へ移動。また、ニョキっと夜空に突き上げられ、グルグルと回されると、火の粉は一度、舞い上がり、そして舞い落ちていきました。火の粉が舞いあがる度に、お堂の下で見学するか人々から「ワァー!」と歓声が上がります。ツアーで見学した日は月夜でした。夜闇に浮かぶお堂と真っ赤な火の粉、そして月。まさに幻想の世界が繰り広げられていました。
さて、「お水取り」は正式には「修二会」という国家の安泰と人々の幸福と祈る仏教の行事で、752年から今年でなんと1264回を数えます。「お水取り」といえば、松明を思い浮かべますが、これは何のために灯しているのでしょうか。「修二会」では、3月1日から14日まで毎晩、二月堂で選ばれた僧侶による修業が行われます。松明は二月堂へ向かう僧侶の道明かりとして灯されたものです。それでは、なぜこの行事を「お水取り」と呼ぶのでしょう。「お水取り」は、「修二会」で行われる一連の儀式の一つです。厳密には二月堂本尊に捧げるために3月2日に若狭小浜市より「お水送り」の儀式で送られたお水を、3月12日に二月堂の下にある井戸より汲み上げることを「お水取り」と言います。そこから、「修二会」の通称が「お水取り」になりました。
お水取り見学の際にはいくつか注意点があります。二月堂の前には傾斜のある雛壇状の広場があります。お堂の真下にあるので、ここでお水取りを見学すれば、炎を間近に迫力ある様子が体感できます。ただし、あまり近くにいくと火の粉が降りかかることもあります。またお堂の全体が見渡せません。あまり離れたところで見学すると、まったく火の粉が降ってこないので、これもなんだか寂しいものです。私のお勧めは二月堂全体が見上げられる、少し下ったあたりです。炎もほどほど近く、また火の粉も被るほどは降ってきません。ただし、3月上旬の比較的空いている時でも、午後6時前には場所取りを始めていました。やはり場所取りに忍耐が必要ですが、きっと大迫力の「お水取り」が体験できることでしょう。(斎藤さ)
先日、「少数民族の里、ベトナム最北の秘境ハジャンへ」の添乗より帰国致しました。ベトナムと言えば、フォーや生春巻きなどの美味しいベトナム料理、フレンチコロニアルの街並みと古き良き古都の調和、そして風光明媚な自然やビーチなど、日本国内での知名度も年々増している気がします。しかし、そんなベトナムを訪れる際に「北部の山岳地帯まで足を延ばそう!」という方は、まだ中々いらっしゃらないのではないでしょうか。
北部の山岳地帯の何よりの魅力、それは昔からの慣習に則った素朴な生活と、独自のアイデンティティを守る少数民族との出会いです。首都ハノイから、昨年開通したばかりの高速道路を走ること4時間でベトナム北部、中国国境に接する町ラオカイに到着。通常はここから車で1~2時間のサパやバックハーといった村を数か所周り、市場や民家を訪問することが多いのですが、今回はさらに北へ。ツアーのタイトル通り、「最北」に位置するハジャン省を目指しました。
上述のラオカイ近辺以上に数多の少数民族が暮らし、各種族により異なる独自の生活が守られているハジャン省ですが、観光客の受け入れを始めたのはつい10年ほど前のことで、今でも観光客が立ち入るには、入境許可証を取得が必要。舗装されていない道路も多く、決して快適な道とは言えません。険しい山道をゆっくり進むため、20kmほどの目的地へ1時間近くかかったりすることも!しかしその分、見渡す限りの棚田や50億年前の地層、深い渓谷といった絶景の数々や、時には農作業に勤しんだり、家路に着く民族衣装の人々など、飽きることのない車窓の風景をゆったり楽しみながら移動することが出来るのも醍醐味と言えるでしょう。
そして今回の旅のメインでもあり、最も印象的だったのが、各村単位で週に1~2度、曜日を決めて行われる「定期市」。その村だけで開かれている毎日の市場とは異なり、近隣の小村に住む人々が何時間もかけて険しい道を歩き、この日の為に集まってきます。カラフルな民族衣装に身を包んだ少数民族たちが広場を埋め尽くす様はまさに圧巻。各々持ち寄った野菜や自家製焼酎、家畜などを売り買いし、活気に満ちています。また、普段出会うことの少ない各少数民族間の交流や、交際相手探しといった意味合いもあり、民家で出会うよりも一層着飾った人々に出会えます。そして必ず併設されている食堂街では、普段食べることのできない料理をおいしそうに食べる家族や、買い物に出ている奥さんを待つお父さんたちが羽目を外して酔っぱらっていたりと・・・とにかく大賑わい。物の売買も勿論ですが、少数民族たちの社交場としての役割が大きいのだなと感じました。
定期市は長年にわたり築かれ、守られてきた大切な暮らしの一部。押し寄せる近代化の波に、少なからず少数民族たちも影響を受けていると聞きますが、活気溢れる彼らの姿を実際に見ていると、まだまだ大丈夫な気がします。しかしこのような風景、文化の存続には、訪れる私たち観光客の振る舞いも大切です。彼らのありのままの生活を覗かせてもらうという、少しばかりの謙虚な気持ちを持つこと。それこそがハジャンの旅をのんびりと楽しむコツです。(冨永)
※ハジャン省を訪れるツアーは5月中旬発表予定です
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