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2015年4月

2015年4月24日 (金)

奇跡のマント?メキシコ、グアダルーペ寺院

グアダルーペ寺院

先日、ユーラシア旅行社でいく、「メキシコ・キューバ世界遺産とカリブの休日 11日間」から帰国しました。
メキシコと聞いて、真っ先に思い浮かぶのはどのようなイメージでしょうか。
やはり巨大なピラミッドがそびえ立つ、メソアメリカ文明を代表するテオティワカンや、つばの広いソンブレロという帽子をかぶった陽気な人々等を思い浮かべる方が多いかと思います。
しかし、キリスト教においても重要な場所があることを忘れてはいけません。バチカンが認定した三大遺跡、フランスのルルド、ポルトガルのファーティマ、そして最後の一つがここメキシコのグアダルーペ寺院。今回訪れた寺院では奇跡のマントに包まれた、聖母の実物を間近見る事が出来ました。その奇跡のマントにはあるエピソードがあるのです。
1531年、メキシコシティ北部で先住民フアン・ディエゴの前に聖母が現れ、礼拝堂を立てるようお願いをしました。ディエゴは司祭にその出来事について一生懸命説明するが、一向に司祭は信じようとしません。そして再び聖母は彼の前に現れ、バラをマントで包み、司祭に見せるようにと言いつけます。ディエゴが司祭の前でマントを開くと、その中に聖母子像が現れました…。このグアダルーペの奇跡は後に言い伝えられることになり、奇跡の場所として、寺院が建てられることになりました。
地盤沈下により少し傾いている聖堂に目を奪われていると、私たちのすぐそばに跪く人が。膝行参拝というこの方法は自らの敬虔さ、願いの強さを示し、膝の痛みに耐えながら、堂内の祭壇まで、膝行するのです。中にはメキシコシティから、この旧聖堂を目指して、膝行参拝をした方もいたそうです。
隣の新聖堂内ではミサが行われており、非常に厳粛な雰囲気。主祭壇へ向かい、見上げるように聖母マリアを目の当たりに。ただただ見つめている方、美しく写真におさめようと試行錯誤されている方、お祈りをされている方、皆様それぞれ何か感じるものがあったのではないでしょうか。(荒川)

ユーラシア旅行社で行く、メキシコツアーの魅力

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2015年4月23日 (木)

1年で最も熱気に包まれるパロツェチュ祭開催!!(ブータン)

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先日、ユーラシア旅行社のブータンの添乗より帰国しました。今回のツアーはブータンの中でも発展し、観光地化されている西部に比べ、まだまだ伝統的な生活様式が残るブムタン地方まで足を伸ばしました。
国土の72%が森林で囲まれ、豊かな自然が残るブータンの中でもこのブムタン地方は特に多くの自然に溢れており、人々の生活も素朴でブータンの真髄と呼ばれる所以を実感できました。
ゆったりと時間が過ぎるブムタン地方とは対照的にブータンの玄関口であるパロでは一年で最も盛り上がるパロツェチュ祭が開催されました。
「ツェチュ」とはチベット仏教の教祖グル・リンポチェの誕生日である月の10日を意味し、この日に法要を行うと人々の元に再びグル・リンポチェが降臨すると信じられています。
ツェチュ祭は毎月各地で行われていますが、中でもパロツェチュ祭はブータン最大級!
ブータン全土からパロのツェチュ祭を見るために多くの人々が駆けつけ、その中には2日間もかけて遠方から足を運ぶ人もいるそう。

会場に着くとブータンの民族衣装のゴやキラを身に纏った人々が大勢います。
若者にとってこのツェチュ祭は出会いの場にもなるため、自分のお気に入りで色とりどりの民族衣装を着た人々が広場を埋め尽くす様は圧巻!普段はシャイなブータン人もこの日ばかりは気さくに写真撮影にも応じてくれました。

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パロツェチュ祭は5日間通して行われ、祭りの期間中はチベット仏教の儀式や法要に基づいた舞が披露されます。中でも一番の盛り上がりを見せるのは「閻魔大王の裁き」です。
赤いお面を被った道化師のアツァラが会場を盛り上げ、太鼓や人々の歓声がこだまする中いよいよ閻魔大王が登場。死者の生前の行いを天秤に架けた後、地獄行きか極楽行きかに分別される様子を描かれます。この裁きを見ることで、今までの悪行もなかったことになるため、人々は大王を見て祈りを捧げていました。
そして、最終日の早朝には「トンドル」と呼ばれる大きな「タンカ」のご開帳があります。トンドルの保存の為、まだ真っ暗なうちにタンカを開き、太陽が昇るまでの僅かな開帳の時間に、是非トンドルに触ってご利益を得ようという信仰深い人々が大勢集まってきます。
幸福の国ブータンで行われる年に一度のお祭り、ブータンの人々の信仰の篤さと熱気を感じたひと時でした。(吉村)

>>>ユーラシア旅行社で行くブータンツアーはこちら

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2015年4月22日 (水)

黄金のコーヒー産出国!ジャマイカ

先日、ユーラシア旅行社の「カリブ6ケ国、夢の楽園紀行 15日間」より帰国致しましました。音楽や食、自然等様々な文化が育まれてきた美しい島々が浮かぶカリブ海。どこまでも続く白い砂浜に太陽光を浴びたコバルトブルーの海。キラキラと輝き、眩しく世界で最も美しいと言われるカリブ海を存分に堪能して参りました。
ツアーでは、カリブ海では最大であり、今、まさに変換期を迎えようとしているキューバを皮切りに、右回りに、ドミニカ共和国、プエルトリコ、アンティグア&バーブーダ、バルバドス、そして、最後にジャマイカを訪れて来ました。

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今回は、レゲエの故郷と言われるジャマイカにスポットを当ててご案内したいと思います。
ジャマイカと言うと、皆様ぱっと思い付くのは、ボブ・マリーを生んだレゲエの国、近年では世界最速の男ウサイン・ボルトを生んだ国等でしょうか?勿論これ以外にも、ジャマイカは沢山の魅力で溢れています。
緑豊かなジャマイカでは様々なフルーツや植物が生息しており、ツアーでも訪れる「サ
ンバリー・プランテーション」では、ジャマイカに生息する多種多様な植物やフルーツ
をガイドさんの案内の元、農園内を見て回ります。実際にジャマイカのフルーツを手に取ったり、スパイスを嗅いでみたり、フルーツの試飲や試食をしてみたりと、日本にはあまり馴染みの少ない南国フルーツに直に触れることが出来る貴重な体験が出来、楽しんで頂けるでしょう。
そして、忘れてはならないのがコーヒーの王様とも言える「ブルーマウンテン」。ブルーマウンテンコーヒーは、ここジャマイカのキングストンの北東に位置する山中で作られます。名前から山が青いのかとも思われがちですが、実際に山が青いのではなく、標高が2000M級の山脈は常に霧に包まれていて青く見える為、「ブルーマウンテン」と呼ばれています。その標高800M~1200Mの山中のコーヒー農園で採れた豆のみを「ブルーマウンテン」と呼ぶことが出来るのです。ツアーでは「UCCコーヒー農園」を訪れます。ここは、17世紀の英国人によって建設された邸宅をUCCが買い取りコーヒー農園にしました。まずは、邸宅の裏のコーヒー農園の見学です。現在約100ヘクタール、13万本ものコーヒーの木がある中を歩いて行きますが、途中コーヒーの木に成っている赤い実も見ることが出来ました。実は全て手作業で収穫され、厳しい検査を受けた良質の豆だけが選ばれます。よってUCCのコーヒーは、ブルーマウンテンコーヒーの中でも選りすぐりの豆で1等級のコーヒーです.。

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農園を歩いた後には、淹れたての「ブルーマウンテンコーヒー」が迎えてくれます。深い味わいながら、まろやかでいて、コクもありつつ、すっきりしているのです!酸味・甘味・苦み・香りの全ての調和がとれた世界最高品質です。ブルーマウンテンの爽やかな風にあたりながら飲む、挽きたてのコーヒーは格別です!余談ですが、日本人には考えられないでしょうが、現地の人々はコーヒーにコンデスミルクを入れるのが大好きなのだそうです。皆様も、世界最高峰のコーヒーを試しにジャマイカ、ブルーマウンテンへ訪れてみてはどうですか?(井手)

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2015年4月21日 (火)

ウズベキスタン「ナウルズ」で感じる春の訪れ

ウズベキスタンツアー


 先日、ユーラシア旅行社企画「ナウルズの季節に行く!ウズベキスタン世界遺産周9日間」より帰国致しました。今回のツアーの特徴は、春を迎えるお祭り「ナウルズ」の時期にウズベキスタンを訪れるということです。このお祭りは拝火教という名前でも知られるゾロアスター教に起源があるとされ、現在では中央アジアや中東の一部にしか残っていない、独特のお祭りです。3月21日の「ナウルズ」は新年の始まりとされ、この日を境に春が訪れると言われています。その春の始まりを祝おうと、3月21日を含めた前後の期間は街中がお祭り騒ぎ。今回も、街の広場では民族衣装を着た女性や子供たちが歌ったり踊ったりし、また大通りでは、お祭りの飾りを展示するためのブースが大学や村単位で出されたり、音楽ショーが催されたりと、とても賑わっていました。
 「ナウルズ」特有の行事として、例えばウズベキスタンではその年の豊作を願って麦の新芽が育てられます。その発芽させた麦をフレーク状にして水を加え、大きな鍋でことことと20時間以上火にかけることでできる、この時期だけの食べ物「スマラク」は、まるで麦こがしのよう。今回はブハラの広場にて無料で振る舞われていた物を試食させて頂くことができました。私たちが食べ終わる頃には、大きな鍋にいっぱい入っていたはずのスマラクが空っぽに。ほんのりと甘みがあって、子供から大人まで大人気の、春の風物詩です。
 また、農作業が休閑期にあたる冬の間のスポーツ「ブズカシ」は、頭を切り落としたヤギをボールに見立て、それを馬に乗ってゴールへと運ぶ、馬上ラグビー。春の訪れを示す「ナウルズ」を境に行われなくなるため、逆に言えばこの頃が「ブズカシ」が見られる最後の時期とも言えます。30~40kgもあるヤギを馬上から身を乗り出して持ち上げてゴールまで運ぶ選手の勇ましい姿は、この地がかつて遊牧民の土地であったことを強く感じさせてくれます。
 そして、「ナウルズ」の頃に咲き始めるのが杏の花。桜のような薄桃色の杏の花が咲き誇り、春はそこまで来ているというメッセージを送っているかのようでした。
 3月21日といえば日本では春分。昼と夜の時間が同じになるということでこの日を境に冬から春になると考えられてきましたが、実は日本から遠く離れたウズベキスタンでも同様に考えられていることには、何らかの繋がりがあるように感じてなりません。
 なお、「ナウルズ」は2009年にユネスコの世界無形文化遺産に登録され、さらに2010年には国連総会で国際デーとして可決されました。国際的にも認められた春のお祭り「ナウルズ」。今年一年、世界中のたくさんに人に幸せが訪れることを祈っています。(越野)

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2015年4月17日 (金)

ダウ船に思いを馳せて(モザンビーク)

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先日、「知られざる南部アフリカ5ヵ国周遊 14日間」より帰国しました。南部アフリカの国々、と言うと南アフリカや世界三大瀑布のひとつ、ビクトリアの滝、もしくはナミブ砂漠のあるナミビアなどが真っ先に思い浮かぶであろうことはだいたい予想がつきますが、今回はそんな王道の南部アフリカではなく裏南部!?まだまだ日本では馴染のない知られざる南部アフリカの国々を周遊してきました。国土の約4分の1をマラウィ湖が占めるマラウィは他のアフリカ諸国と比べ天然資源などがなかった事もあり外から侵略されることもありませんでした。その為か最貧国の一つと言われながらもアフリカ1治安の良い国、マラウィ。アパルトヘイト時代、厳しい規制が押しつけられていた隣国南アフリカの人々が息抜き出来る保養地であり、異人種恋愛の逃避場所であったスワジランド。山に囲まれ国土全域が標高1400mを超える天空の国レソト。初めて聞いた国名もあるかもしれませんが、普段耳にしない小さな国々でも歩んできた歴史が異なればそれぞれ特徴もありその中身も魅力いっぱいなのです。その中でも印象深かったのがモザンビーク島でした。
 
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 1991年に世界遺産にも登録されたモザンビーク島は本土から約3.5キロ沖合いに浮かぶ島。ヴァスコ・ダ・ガマが来る前、つまりヨーロッパ人が来るよりももっと昔からインド洋に半年ごとに吹く季節風を利用しダウ船という木造帆船は大海原を自在に往来。アラビア、ペルシャ、インドと東アフリカ海岸の交易が行われていました。その後、ポルトガルの支配下に置かれた島には重要な交易拠点を守る為に造られた堅固な要塞や立派な聖堂などの建物が次々と建てられ、奴隷貿易やオランダの侵略、衰退、独立。長い歴史の紆余曲折を経て今に至ります。インド洋交易により繁栄を極めた時代を物語る建物は漆喰も剥がれ落ち、廃墟となってしまっているものもありますが、アフリカ的、アラブ的、インド的要素が混ざり合わさった独特の雰囲気、これがモザンビーク島一番の魅力ではないでしょうか。
 風に身を任せるようにゆっくり進むダウ船をぼーっと眺めているとふと、象牙などを積んで風を待つ人達、また香辛料や綿布を持って風に乗ってやってくる人達。賑やかな港の情景が目に浮かんでくるようでした。(岩間)

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2015年4月16日 (木)

慶良間ブルーとホエールウォッチング

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先月、ユーラシア旅行社で行く「慶良間諸島 渡嘉敷島と座間味島5島めぐり 4日間」へ行ってまいりました。
最近、「慶良間ブルー」といわれ、絶景スポットとして注目を浴びている慶良間諸島。以外にも?那覇からわずか30分でいけるってこと、ご存知でしたか?
3月はまだダイビングには少々早いのですが、私はぜひともこの時期に訪れて頂きたいと思っています。
なぜならば!
ホエールウォッチングのシーズンだからです。
巨大なザトウクジラは地球規模で海の中を巡りながら生活していて、南極海域からアラスカ方面へ向かう途中で、この慶良間諸島付近に立ち寄ります。というのも、ザトウクジラ達がシャチという天敵のいないこの海域で子育てをするからです。
私達も、無事にザトウクジラに出会うことが出来ました!
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一応イメージ図を下に入れておきますが、ザトウクジラさんのイメージはこんなです。(私、画です)、とにかくホエールウォッチングは皆様大興奮。
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クジラを求めて船はどんどん沖に進んできました。
運が良ければクジラのジャンピングに遭遇することもあります。
子育てに安心な慶良間諸島に彼らが滞在するのは2-3月。
船の周りで潮を吹いては泳ぎまわるザトウクジラの描く優雅な水の輪にだれもが見入っていました。
もう一つ!泳がなくても十分楽しめるのが、無人島ウォーキングとグラスボードです。
座間味島から船で少し進むと、見えてくるのは安慶名敷島。濃紺とエメラルドブルーのコントラストの海と真っ白な海岸、そして豊かな緑なす木々…。
人の手の入っていない無人島には、天然記念物のムラサキオカヤドカリや油分たっぷりのアダンというパイナップルのような実を見たり、小さな島を歩き回るのは以外にも楽しいものでした。
グラスボードは船底をガラスにして、海の中をのぞくというものですが、薄青い世界にきらきら光りがさし、巨大なサンゴの間をクマノミが泳ぎ、時にはウミヘビにも出会いました。ただただ、美しい海を見ているだけでも、あっという間に時間が過ぎていきます。
ただただ、美しい海を見ているだけでも、あっという間に時間が過ぎていきます。
海岸には貝殻やサンゴが落ちていたり、沖縄の島々の成り立ちに関わる地層の石が転がっていたり、これまた飽きません。
ちなみに「ケラマブルー」とは写真の様な濃紺とエメラルドブルーの組み合わせをいうのだそう。
琉球時代には貿易島として栄えてきた慶良間諸島の島々。
明治時代はカツオ漁で栄え、第二次大戦でアメリカに上陸された最初の諸島として、苦難に逢い、苦しい時代もありましたが、2014年に国立公園に指定され、これからどんどん観光客が増え、ますます発展していくと思います。
美しい南国を誰もが楽しめるように頑張っている、沖縄ではそんな、うれしい印象を抱くことが出来ました。

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2015年4月15日 (水)

のんびり優雅に!たまには沿岸急行船の旅なんていかが?(ノルウェー)

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先日、ユーラシア旅行社で行く「世界で最も美しい航路に5連泊!ノルウェーフィヨルド・クルーズとオーロラ紀行」の添乗より帰国致しました。ノルウェーと聞いて、誰もが思い浮かべるのが、氷河が削り取った荒々しい断崖や、複雑に入り込んだフィヨルドではないでしょうか。

今回、私たちが乗船した沿岸急行船は、まさにこのような沿岸地域に住む人々と深く関係しています。19世紀後半まで分断され孤立していたノルウェー西海岸沿岸の村々。そこに安心安全な交通手段と交易ルートを築こうと立ち上がったのが、この沿岸急行船フッティルーテンです。1893年に運航が始まり、120年以上経った現在もなお、地元の人々の生活には欠かせない存在であり、また雄大なフィヨルドの絶景が続くことから「世界一美しい航路」として世界中の観光客を惹きつけて止みません。〝クルーズ〟と聞くと、少し敷居の高いものと思いがちですが、元々、地元の人々の足であった沿岸急行船は一味もふた味も違います!

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私たちの5泊6日の船旅は、ロシアとの北の国境、キルケネスからスタートし、南下すること2400㎞、最後は世界遺産のある南のベルゲンで下船。途中、北極圏を通過して、32の港町に寄港します。寄港する町々は、人口僅か数千人という小さな漁村から、トロンハイムなど約17万人の人口を有する大都市まで様々です。寄港時間が30分もあれば下船し、町を散策することも可能。多くの港は町の中心に面しているので、メインストリートを歩き、教会を覗いてみたり、スーパーに入って北極圏限定ものを探したりと、地元の人々の生活を垣間見ることができるのもこのクルーズの良い所。また、美しいパウダースノーにも大いに感動してしまいました!手に乗せても冷たくないし、溶けることなく、風にのって飛んでいった雪。深々と降る雪に温かい明りの灯る可愛らしい家々、そして温暖なメキシコ湾流のお蔭で、気温は氷点下にならずとも、天気が良い日にはオーロラも出現するのです!こんなロマンチックな冬なら、ちょっとの不便を感じてもここに住んでもいいかも・・・なんて思ったり。

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そして、旅の一番の思い出は、クルーズ船トロルフィヨルド号の船員たちの温かい〝おもてなし〟。朝食、昼食のビュッフェに並ぶのは、寄港した町で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類にトナカイの肉などの郷土料理、そしてノルウェーの森でふんだんに採れるベリーを使ったデザートなど。窓から素晴らしい景色を眺めながら頂く食事は本当に贅沢!夕食時の本日のメニューの表示の下に、ちょこっと書き加えられた薀蓄も個人的には楽しみでした。また船内には〝世界一美しい航路〟ならではの絶景を楽しめる工夫もいっぱい。中でもお勧めはサンデッキのジャグジー。雪を被った山々を眺めつつ、時には北極圏のパウダースノーが舞う中で、ビール片手にジャグジーに浸かれば一生の思い出になること間違いなし!またガラス張りのビューラウンジもあります。まるで船の突端にいるかのような大迫力の景色をソファーに座ってのんびり堪能。ゆるりと流れる時間の中で、仲間と談話したり、読書したり、コツコツ編み物をしたり、空想に耽ったり、昼寝したって注意される心配はありません。きっと素敵な夢が見られるだろうな~。大型のクルーズ船とは違い、代わる代わる催し物がある訳ではないですが、〝絶景の航路〟こそ、それにも負けない一番の魅力です。お気に入りの場所を見つけて、思い思いの時間を過ごす、それが究極の贅沢であり、沿岸急行船の醍醐味です。(三橋)

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2015年4月14日 (火)

カンボジアの首都、プノンペンの今と昔

先日、ユーラシア旅行社の「アンコール遺跡群を極める旅9日間」より帰国しました。栄華を極めた、アンコール時代の遺跡群もさることながら、私に最も強い印象を与えたのは、プノンペンの街並みでした。夜に綺麗にライトアップされる高層ビルや独立記念塔、王宮広場でスマートフォンを手にする若者たちは、私たちと比べて遜色ありません。
しかし、今から遡ること僅か40年。ポルポト政権時代のプノンペンには、知識人を収容、拷問するための刑務所が存在していました。そこには、わずか2年9か月の間に2万人近くの人が連行されたと言われ、そのうち生還できたのは8人のみだそうです。建物内には、独房が当時のまま残され、犠牲者の写真が整然と展示されています。天井や壁に付着しているシミは犠牲者の血痕です。自然と鳥肌が立ってしまいました。当時は密告などもあり、他人を信用することもできなかったそうです。
もしも私がこの時代に、この国に生まれていたら一体どうすればいいのか。考えただけで涙が出そうになります。
目を背けたくなるような悲しい歴史ではありますが、心の片隅に置いておこうと思います。現在の賑やかな街並みや人々の笑顔も、より輝いて見えてくるように思えました。(瀬戸)

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プノンペン王宮

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2015年4月10日 (金)

茶馬古道の宿場町をゆく(ユーラシア旅行社で行く中国ツアー)

ユーラシア旅行社の中国ツアー、茶馬古道の宿場町・沙渓にて

先日、ユーラシア旅行社の「千年の交易路、雲南・茶馬古道をゆく 8日間」より帰国しました。
茶馬古道という言葉を耳にしたことがありますか?これは、西南シルクロードといわれ、雲南省南部のシーサンパンナからチベットのラサまでの道のり。雲南からチベットへは特産のお茶を、チベットから雲南へは働き手として優秀な馬を運び、盛んに交易したことからこの名がついたそうです。険しい山、深い渓谷を超えながらの道のりは、1年以上かかることもあったとか。今回の旅では、この交易路にあった宿場町を訪ね、いにしえの風景を辿りました。

大理や麗江など徐々に観光地化されてゆく町が増える中、昔ながらの面影を今に残しているのが“沙渓”です。町の中心・寺登街の広場はかつて、市が開かれたところ。キャラバン隊が運んできた雲南の塩や、チベットの薬剤、毛皮なども盛んに取引されたといいます。この広場には、この地の少数民族・ペー族の特徴的な反り屋根を持った舞台建築があり、キャラバン隊の人々も夜にはここで歌や踊りを楽しんだとか。商売繁盛と旅の安全を祈願する寺もあり、まさに宿場町の中心だった様子が目に浮かぶようでした。また、町を散策し、一歩、路地裏に入ると、土壁や木造の古い建築物か建ち並ぶ細い道が続きます。今ではひっそり静まり返っているのですが、ぶらぶらしていると、荷物を運ぶ馬の足音や行き交う人々の会話が聞こえてくるようにも感じました。

ユーラシア旅行社の中国ツアー、茶馬古道の宿場町・諾鄧村にて

雲龍の郊外に位置する諾鄧村は、さらに手の入っていないひっそりとした村でした。山の斜面に沿って建てられた村は、約一千年の歴史を持ち、交易品のひとつだった塩を作っていた場所が今も残っています。今では電気が通い、家にはテレビもあったりと、その生活は徐々に変わりつつあるようですが、馬が今も運搬手段のひとつとして行き来している様子はそのままでした。

宿場町を辿りながら思い起こしたのは、チベットを訪れると口にする機会があるバター茶。この茶葉をもたらしたのは雲南の人々だったわけです。茶馬古道が発展しなければ、チベットの人々がお茶を飲む習慣を持つこともなかったわけです。“もうひとつのシルクロード”を辿り、宿場町を歩きながら、雲南とチベットのつながりの必然性を感じたのでした。(江間)

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2015年4月 9日 (木)

来世への祈りの数?1000以上の仏塔が建つミャンマーのインディン遺跡

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先日、「全日本空輸直行便で行く ミャンマーハイライト8日間」より帰国致しました。浮草でできた水上畑を見ることができるインレー湖、アジア三大仏教聖地であるバガン遺跡、落ちそうで落ちない岩で有名なチャイティーヨパゴダなど、ミャンマーの主要な観光地をコンパクトな日程でご案内する人気のツアーです。訪れた3月中旬は乾季の終わりで、過ごしやすい気候が続き、8日間毎日雲一つない晴天に恵まれました。今回のツアーで特に印象の深かったのが、1000以上の仏塔が建つインディン遺跡です。
インディン遺跡はミャンマーで2番目に大きいインレー湖のほとりに位置し、船着き場からボートで約50分ほど乗って向かいます。そこにはなんと1054基の仏塔があると言われていますが、その数は毎年増え続けているそう。
船着き場に到着後、緩やかな階段となっている屋根付きの参道を歩きます。途中、参道を少し横にでると、今にも崩れそうな、木に浸食されている仏塔があり、それはまるでカンボジアのアンコールワット遺跡群タ・プロームのよう。更に歩を進めると、金色にコーティングされた新しい仏塔も次々に現れ、思わず目を奪われてしまいました。
船着き場から寄り道をしながら参道を歩いて40分。少し高くなった所に寺院が見えてきます。靴を脱いで寺院に入ると、参拝に来た地元の人たちが仲良くお茶を飲んでいました。そして、寺院の奥の出口を通り外に出ると、いよいよメインの仏塔群。隙間なく建つ、そのおびただしい数に圧倒され思わず息を飲みました。

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どうしてこれだけの数の仏塔が建てられたのか?実は、この数え切れないほどの仏塔は全てミャンマーの敬虔な仏教徒の寄進によって建てられたのです。信徒は来世で幸せになるために、得度式(僧侶になる際の出家の儀式)を行ったり、僧院を建てたり、寄付をしたり、人々に親切にしたりすることで日々功徳を積んでいますが、その中でも仏塔を建てることは何にも勝る功徳とされています。そして信徒はその功徳を自分の来世のためだけのものにするのではなく、自分以外の家族や友人にも分け与えるそう。そんな人々の幸せへの祈りが詰まった仏塔群を見て、ミャンマーの人々の優しい微笑みがふと頭に浮かび、幸せな気持ちになりました。(長田)

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2015年4月 8日 (水)

東大寺「お水取り」、燃え上がる松明に大歓声! (ユーラシア旅行社で行く、日本ツアー)

東大寺二月堂

先日、ユーラシア旅行社の奈良・東大寺お水取りツアーに行ってきました。春の到来を告げる「お水取り」は、3月1日から14日間行われます。お水取りでは、東大寺の二月堂の欄干で、火を灯した松明が振り回されます。その松明の長さはなんと7mにも及びます。二月堂が夜闇に包まれる7時に松明が登場します。二月堂の左側には階段状の廊下があり、松明を担いだ男性が駆け上がります。その様子にまずびっくりします。長さ7mにも及ぶ、煌々と燃え上がる大松明が廊下の屋根を燃やしてしまわないのか、はた目に心配になりますが廊下は燃えません。事前に相当の水がかけられているそうです。そして、松明が欄干に到達すると、欄干の左側でまず松明が夜空の中で生きているように振り回されます。ニョキっと、上に差し上げられたかと思うと、グルグルっと回され、火の粉が舞い落ちます。そして、松明はいきなり欄干の右側へ移動。また、ニョキっと夜空に突き上げられ、グルグルと回されると、火の粉は一度、舞い上がり、そして舞い落ちていきました。火の粉が舞いあがる度に、お堂の下で見学するか人々から「ワァー!」と歓声が上がります。ツアーで見学した日は月夜でした。夜闇に浮かぶお堂と真っ赤な火の粉、そして月。まさに幻想の世界が繰り広げられていました。

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さて、「お水取り」は正式には「修二会」という国家の安泰と人々の幸福と祈る仏教の行事で、752年から今年でなんと1264回を数えます。「お水取り」といえば、松明を思い浮かべますが、これは何のために灯しているのでしょうか。「修二会」では、3月1日から14日まで毎晩、二月堂で選ばれた僧侶による修業が行われます。松明は二月堂へ向かう僧侶の道明かりとして灯されたものです。それでは、なぜこの行事を「お水取り」と呼ぶのでしょう。「お水取り」は、「修二会」で行われる一連の儀式の一つです。厳密には二月堂本尊に捧げるために3月2日に若狭小浜市より「お水送り」の儀式で送られたお水を、3月12日に二月堂の下にある井戸より汲み上げることを「お水取り」と言います。そこから、「修二会」の通称が「お水取り」になりました。
お水取り見学の際にはいくつか注意点があります。二月堂の前には傾斜のある雛壇状の広場があります。お堂の真下にあるので、ここでお水取りを見学すれば、炎を間近に迫力ある様子が体感できます。ただし、あまり近くにいくと火の粉が降りかかることもあります。またお堂の全体が見渡せません。あまり離れたところで見学すると、まったく火の粉が降ってこないので、これもなんだか寂しいものです。私のお勧めは二月堂全体が見上げられる、少し下ったあたりです。炎もほどほど近く、また火の粉も被るほどは降ってきません。ただし、3月上旬の比較的空いている時でも、午後6時前には場所取りを始めていました。やはり場所取りに忍耐が必要ですが、きっと大迫力の「お水取り」が体験できることでしょう。(斎藤さ)

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2015年4月 7日 (火)

年に一度の光の祭典 ランタンフェスティバルと台湾の今

台湾ツアー、台湾旅行

ユーラシア旅行社で行く「台湾鉄道旅情、ぐるり一周の旅9日間」より帰国しました。
台湾だけで9日間!?と、ご家族やご友人の方から驚かれたと仰るお客様が数名いらっしゃいましたが、台湾はその小さな国土の中にたくさんの魅力を秘めています。
実際に周り始めると、9日間では足りなくなってくるくらい。
沖縄よりも少し南に位置しており、気温は年中通して日本本土よりもずっと暖かいため、
三月には桜が咲き始めます。
台湾各地で日本の桜よりも濃い色をした緋寒桜を見かけました。
特に見事だったのは台湾の中央部にある、阿里山森林遊楽区の桜。
緋寒桜だけでなく、日本から入植された薄桃色の八重桜も植えられており、
濃淡が鮮やかに入り混じった見事な風景を見ることができました。
阿里山は北部、南部に比べると標高も高いためか、
朝晩は少し冷えるのですが、日中の散策中はぽかぽかと暖かく、
そのまま座ってお弁当でも食べたくなるような穏やかさでした。

台湾ツアー、台湾旅行

さて、今回のツアーでは特別日程で、初日、ランタンフェスティバルに訪れました。
このお祭りは1990年から毎年開催されている比較的新しいお祭りなのですが、その起源は台湾の旧正月のお祝いです。
この頃、全国各地にある代表的な寺院にランタンが展示され、あちこちからそのランタンを見にたくさんの人が訪れていました。
各地のランタンを一か所に集めてしまえば、たくさんの人があちこち行ったり来たりしなくてよいではないかと、台湾の交通省が1989年に企画し、翌年から現在まで、毎年会場を変えて、このランタンフェスティバルを開催しているのだそうです。
今回の会場は台中の新幹線の駅前広場でした。会場近くまで行くと、すでに灯りを灯したランタンが見えてきました。
ランタン、と聞いて想像する、丸い小さなランタンではありません。
巨大な、羊の形をしたランタンが、極彩色の光を周囲に放ち、ゆっくりと回っているのです。
この、最も巨大な羊のランタンが今年度のメインランタン。
その年の干支がメインランタンのモチーフとなるのです。
羊のランタンの高さは歴代最高の23.4メートル。
会場内のどこにいても、羊のランタンは簡単に見つけることができました。
もちろん、メインランタン以外にもたくさんのランタンが展示されており、
地域の組合、学校や外国のアーティストの出展したランタンのブースの中には、
日本が出展しているランタンもありました。

台湾ツアー、台湾旅行

交通省はこのイベントを国内の人々が、よりたくさんのランタンを見ることができるようにと企画したそうですが、
現在では、このイベントはリオのカーニバルやスペインのトマト祭りのように、
世界中の人々が集まるような国際的なイベントにしたいと、目標を持って取り組んでいるようです。
今年も会場内はかなりの来場客で賑わっていました。台湾の人々のみならず、
日本人や韓国人、ヨーロッパ方面から来たと思しい人々も、ランタンを見に訪れていました。
会場の中にあるステージでは、台湾の少数民族が民族舞踊を踊っていたりして、
台湾を盛り上げよう!という気風が伝わってくるような、活気あるイベントでした。
民族舞踊といえば、今回、台湾、花蓮の阿美文化村にて、阿美族の民族舞踊を鑑賞しました。
台湾は九州と同じくらいの大きさの、小さな島ですが、たくさんの少数民族が暮らしている事で知られています。
阿美文化村のステージで踊る青年達はとても明るいさっぱりとした顔で、楽しそうに、
台湾の様々な少数民族の踊りを踊っていました。
知本の温泉宿のステージでも、阿美族の子供たちが民族舞踊を披露していたりと、
あちこちで、その土地の民族の姿を目にしました。
台北や台中、高雄といった都市の観光だけでなく、、
少数民族の活気ある取り組みや、ランタンフェスティバルのような、
新しいイベントを見ることができました。(留置)

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2015年4月 3日 (金)

氷結のバイカル湖、氷点下の絶景!(ユーラシア旅行社で行くシベリアツアー)

シベリアツアー,シベリア旅行

先日、ユーラシア旅行社の「氷結のバイカル湖、聖地オリホン島とシベリア絶景紀行 8日間」の添乗より帰国致しました。 シベリアの真珠と呼ばれる世界遺産バイカル湖の表面は冬、凍結します。水平な湖面が凍る訳ですから、氷の大地(と言っていいのでしょうか?)はどこまでも平らです。その面積、実に琵琶湖の47倍。ベルギーの国土とほぼ同じ面積です。ブルハン岬のシャーマン岩と、その向こうに遥か広がる真っ平らな氷の大地を眺めていると、その神々しい光景だけでも、オリホン島・バイカル湖が聖地であることをじっかんします。 氷の厚さは70cm?1mほどですが、湖上を4WDで走行できるようになります。バイカル湖最大の島、オリホン島本土を結ぶ交通量の多い箇所は、氷の強度がきちんと測定され、通行可能な車種を示す標識も立ちます。また、シベリア鉄道開通当初は冬季、氷の上に線路も通っていました。 水は凍ると膨張します。膨張し、水平方向にも下にも行き場のなくなった氷は、天に向かって突き上げます。長野県諏訪湖でも有名な“御神渡り”と呼ばれる現象です。 世界一の透明度と、世界の淡水の20%を擁するバイカル湖で起こる御神渡り、太陽の光を受けてターコイズブルーに輝く氷塊は、まさに氷点下の絶景と呼ぶにふさわしいものです。
ユーラシア旅行社で行く、氷結のバイカル湖を訪れるツアー(2016年)は8月上旬頃発表予定です。

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2015年4月 2日 (木)

ご存知でしょうか?身近な秘境?金門島と小金門島(台湾)

Blog

ユーラシア旅行社で行く「風獅爺と戦跡残る金門島を巡る旅5日間」へ行って参りました。
金門島とは台湾本土から西に約270㎞、中国大陸の厦門島から約10kmに位置する宮古島と同じくらいの面積134㎢ほどの台湾に属する島です。火山活動で出来た島なので、平坦で川や天然資源がなく、コーリャンやピーナツ、サツマイモが主な作物として栽培されています。1895年下関条約によって清朝から台湾が日本に割譲された際には、金門島は割譲されませんでした。そのため、ここでは古い建物は清朝・明朝時代の面影残るノスタルジックなものから、貧しい土地から外国へ出て一旗揚げた華僑の財力によって建設された中華風と洋風建築が融合した独特で豪華な建物を見ることが出来ます。それとともに、この島を舞台にした中国の内戦による砲撃戦の凄惨さを物語る銃痕が外壁に残る家屋も一部で見られます。
◆今回、金門島を訪れての見どころをざっくり3つ挙げてみます
1.国民党・蒋介石 VS 共産党・毛沢東との内戦の歴史
2.九份に負けないノスタルジックな古い町並み
3.可愛い守り神・風獅爺
1)第二次世界大戦後、中国国内では内戦が勃発。蒋介石率いる国民党軍は、南京、重慶、厦門と追いやられ、1949年12月に大陸を離れ、80万人の兵士と200万人の支持者とともに台湾へと移り、主に金門島と小金門島を拠点に共産党軍との戦いを繰り広げました。島の至る所で、大陸側を見張る観測所や海からの上陸を防ぐ軌條砦がずらりと立ち並ぶ浜辺、現在は戦史博物館として残されている当時の軍基地など当時の戦跡を辿ることが出来ます。ある年代の方は、リアルタイムでテレビで見たという八二三砲戦。1958年、大陸側から約45万発もの砲弾が金門島に撃ち込まれた戦いで、そのときに打ち込まれた砲弾を利用し、現在、その着弾した砲弾を加工して作られた金門包丁や鉈が名産品になっています。

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2)上記のような戦争、戦跡となるとちょっと・・・という方は、近代史より古い時代の金門島を覗き見るとわくわくするような光景を目にすることが出来ます。
台湾本島の台北近郊にある日本人観光客に人気の九份というノスタルジックな建物が立ち並ぶ街並みに似たような光景がここ金門島でも目にすることが出来ます。それも規模としては九份よりも大きいので、見ごたえがあります。水頭集落や珠山集落、山后民俗村で、古いものでは18世紀頃の建物が残っています。金門島の中心的な町で金城という地区がありますが、このあたりを散策すると趣のある寺や街並みが広がり、夜には赤提灯が灯り古い民家をぼんやりと照らす光景はまさにノスタルジック!九份が某アニメーションのお湯屋のような建物があるとすれば、金門島の中心地・金城には薬湯の薬を調合する釜爺の部屋のような薬屋がありますので是非お近くに立ち寄った際には散策して探してみて下さい。

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3)沖縄のシーサーに似ている金門島の守り神“風獅爺”(フーシーエ)は、強風吹き荒れる金門島で風を鎮めて欲しいという住民の思いから作られ、それが邪気を払うなど厄除けの意味合いでも作られていったといわれています。その為、町の入口にあったり、二股路の間に立っていたりします。一体一体、姿・形が違うので出逢ったなかでどれがお気に入りかなど楽しんでみるのもお勧め。
台湾本島から遠く離れた金門島と小金門の旅では、この島ならではの歴史と文化に習慣、見所が小さい島ながらもたくさんあります。まだまだ私たち日本人には馴染みも情報も少ない島かもしれませんが、ここも台湾の歴史にとっても中国史にとっても非常に重要な場所。本島とは違った側面の台湾を味わえました。
ユーラシア旅行社でいく台湾のツアーはこちら>>>http://www.eurasia.co.jp/travel/search/tours/TW

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2015年4月 1日 (水)

ベトナム最北の秘境、ハジャン省とは

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先日、「少数民族の里、ベトナム最北の秘境ハジャンへ」の添乗より帰国致しました。ベトナムと言えば、フォーや生春巻きなどの美味しいベトナム料理、フレンチコロニアルの街並みと古き良き古都の調和、そして風光明媚な自然やビーチなど、日本国内での知名度も年々増している気がします。しかし、そんなベトナムを訪れる際に「北部の山岳地帯まで足を延ばそう!」という方は、まだ中々いらっしゃらないのではないでしょうか。
 北部の山岳地帯の何よりの魅力、それは昔からの慣習に則った素朴な生活と、独自のアイデンティティを守る少数民族との出会いです。首都ハノイから、昨年開通したばかりの高速道路を走ること4時間でベトナム北部、中国国境に接する町ラオカイに到着。通常はここから車で1~2時間のサパやバックハーといった村を数か所周り、市場や民家を訪問することが多いのですが、今回はさらに北へ。ツアーのタイトル通り、「最北」に位置するハジャン省を目指しました。
 上述のラオカイ近辺以上に数多の少数民族が暮らし、各種族により異なる独自の生活が守られているハジャン省ですが、観光客の受け入れを始めたのはつい10年ほど前のことで、今でも観光客が立ち入るには、入境許可証を取得が必要。舗装されていない道路も多く、決して快適な道とは言えません。険しい山道をゆっくり進むため、20kmほどの目的地へ1時間近くかかったりすることも!しかしその分、見渡す限りの棚田や50億年前の地層、深い渓谷といった絶景の数々や、時には農作業に勤しんだり、家路に着く民族衣装の人々など、飽きることのない車窓の風景をゆったり楽しみながら移動することが出来るのも醍醐味と言えるでしょう。

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 そして今回の旅のメインでもあり、最も印象的だったのが、各村単位で週に1~2度、曜日を決めて行われる「定期市」。その村だけで開かれている毎日の市場とは異なり、近隣の小村に住む人々が何時間もかけて険しい道を歩き、この日の為に集まってきます。カラフルな民族衣装に身を包んだ少数民族たちが広場を埋め尽くす様はまさに圧巻。各々持ち寄った野菜や自家製焼酎、家畜などを売り買いし、活気に満ちています。また、普段出会うことの少ない各少数民族間の交流や、交際相手探しといった意味合いもあり、民家で出会うよりも一層着飾った人々に出会えます。そして必ず併設されている食堂街では、普段食べることのできない料理をおいしそうに食べる家族や、買い物に出ている奥さんを待つお父さんたちが羽目を外して酔っぱらっていたりと・・・とにかく大賑わい。物の売買も勿論ですが、少数民族たちの社交場としての役割が大きいのだなと感じました。
 定期市は長年にわたり築かれ、守られてきた大切な暮らしの一部。押し寄せる近代化の波に、少なからず少数民族たちも影響を受けていると聞きますが、活気溢れる彼らの姿を実際に見ていると、まだまだ大丈夫な気がします。しかしこのような風景、文化の存続には、訪れる私たち観光客の振る舞いも大切です。彼らのありのままの生活を覗かせてもらうという、少しばかりの謙虚な気持ちを持つこと。それこそがハジャンの旅をのんびりと楽しむコツです。(冨永)

>>>ユーラシア旅行社のベトナムツアー一覧はこちら

※ハジャン省を訪れるツアーは5月中旬発表予定です

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