2015年4月 2日 (木)

ご存知でしょうか?身近な秘境?金門島と小金門島(台湾)

Blog

ユーラシア旅行社で行く「風獅爺と戦跡残る金門島を巡る旅5日間」へ行って参りました。
金門島とは台湾本土から西に約270㎞、中国大陸の厦門島から約10kmに位置する宮古島と同じくらいの面積134㎢ほどの台湾に属する島です。火山活動で出来た島なので、平坦で川や天然資源がなく、コーリャンやピーナツ、サツマイモが主な作物として栽培されています。1895年下関条約によって清朝から台湾が日本に割譲された際には、金門島は割譲されませんでした。そのため、ここでは古い建物は清朝・明朝時代の面影残るノスタルジックなものから、貧しい土地から外国へ出て一旗揚げた華僑の財力によって建設された中華風と洋風建築が融合した独特で豪華な建物を見ることが出来ます。それとともに、この島を舞台にした中国の内戦による砲撃戦の凄惨さを物語る銃痕が外壁に残る家屋も一部で見られます。
◆今回、金門島を訪れての見どころをざっくり3つ挙げてみます
1.国民党・蒋介石 VS 共産党・毛沢東との内戦の歴史
2.九份に負けないノスタルジックな古い町並み
3.可愛い守り神・風獅爺
1)第二次世界大戦後、中国国内では内戦が勃発。蒋介石率いる国民党軍は、南京、重慶、厦門と追いやられ、1949年12月に大陸を離れ、80万人の兵士と200万人の支持者とともに台湾へと移り、主に金門島と小金門島を拠点に共産党軍との戦いを繰り広げました。島の至る所で、大陸側を見張る観測所や海からの上陸を防ぐ軌條砦がずらりと立ち並ぶ浜辺、現在は戦史博物館として残されている当時の軍基地など当時の戦跡を辿ることが出来ます。ある年代の方は、リアルタイムでテレビで見たという八二三砲戦。1958年、大陸側から約45万発もの砲弾が金門島に撃ち込まれた戦いで、そのときに打ち込まれた砲弾を利用し、現在、その着弾した砲弾を加工して作られた金門包丁や鉈が名産品になっています。

Blog_2

2)上記のような戦争、戦跡となるとちょっと・・・という方は、近代史より古い時代の金門島を覗き見るとわくわくするような光景を目にすることが出来ます。
台湾本島の台北近郊にある日本人観光客に人気の九份というノスタルジックな建物が立ち並ぶ街並みに似たような光景がここ金門島でも目にすることが出来ます。それも規模としては九份よりも大きいので、見ごたえがあります。水頭集落や珠山集落、山后民俗村で、古いものでは18世紀頃の建物が残っています。金門島の中心的な町で金城という地区がありますが、このあたりを散策すると趣のある寺や街並みが広がり、夜には赤提灯が灯り古い民家をぼんやりと照らす光景はまさにノスタルジック!九份が某アニメーションのお湯屋のような建物があるとすれば、金門島の中心地・金城には薬湯の薬を調合する釜爺の部屋のような薬屋がありますので是非お近くに立ち寄った際には散策して探してみて下さい。

Blog_3

3)沖縄のシーサーに似ている金門島の守り神“風獅爺”(フーシーエ)は、強風吹き荒れる金門島で風を鎮めて欲しいという住民の思いから作られ、それが邪気を払うなど厄除けの意味合いでも作られていったといわれています。その為、町の入口にあったり、二股路の間に立っていたりします。一体一体、姿・形が違うので出逢ったなかでどれがお気に入りかなど楽しんでみるのもお勧め。
台湾本島から遠く離れた金門島と小金門の旅では、この島ならではの歴史と文化に習慣、見所が小さい島ながらもたくさんあります。まだまだ私たち日本人には馴染みも情報も少ない島かもしれませんが、ここも台湾の歴史にとっても中国史にとっても非常に重要な場所。本島とは違った側面の台湾を味わえました。
ユーラシア旅行社でいく台湾のツアーはこちら>>>http://www.eurasia.co.jp/travel/search/tours/TW

|

アジア情報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。