2015年6月16日 (火)

中国・仏教文化の源流に触れる旅

中国ツアー

先日、ユーラシア旅行社企画「雲崗・龍門と中原の旅14日間」より帰国致しました。今回のツアーは中国の中でも「中原」と呼ばれる黄河中流域に焦点を当てています。古くは、伝説の時代とも言われている夏王朝に始まり、世界遺産・殷墟で知られる殷の都が置かれ、春秋・戦国時代には各勢力の争奪の場となり、北方民族の鮮卑族がこの地で北魏を建国、その後は遼・金時代に支配下に入るなど中国の長い歴史の中でもとても重要な地域にあたり、また、九朝の都となった洛陽と7朝の都となった開封があるのもここ、「中原」です。

もちろんツアーではそれらの時代の遺物や遺跡も見学しますが、もうひとつ、今回のツアーの特徴を挙げるとすれば、それは中国の古代仏教芸術を味わえることです。インドで生まれ、シルクロードを通って伝わった仏教は中国文化の重要な一面となり、時には国教として迎えられ、時には弾圧されてきました。その仏教が初めて中国に伝わった際に建立されたという白馬寺、日本の浄土宗・浄土真宗の原点となる玄中寺、そして達磨大師が面壁九年の後に禅宗を開き、数々の映画の題材ともなった少林寺拳法で有名な少林寺などの寺院を始め、各時代の寺院や遺跡を見て回ることで、中国の仏教文化を知ることができます。

中でも今回私の印象に残ったのは、やはり中国三大石窟に挙げられる雲崗石窟と龍門石窟です。石窟に入って見上げると、そこには優しい顔の仏像。傷がついているものもありますが、どれを見ても思わず溜息の出るような立派な姿に、思わずその場に立ち尽くしてしまいます。もちろん石窟自体の規模はどちらも大きく、見学時間は何時間あっても足りません。共に世界文化遺産に登録されており、龍門石窟は2000年に、雲崗石窟は2001年に登録されました。

雲崗石窟・龍門石窟も共にその規模の大きさに圧倒されますが、もちろん違いもあります。その一つは開削された歴史的背景です。雲崗石窟は北魏の太武帝による仏教弾圧の後、仏教復興を目指す文成帝が西方から僧侶を呼び寄せて開削を進めました。そのため、雲崗石窟には中央アジアや河西回廊の仏教様式の影響が見られます。一方龍門石窟はというと、北魏代494年の洛陽遷都に伴い、孝文帝によって雲崗石窟にならった開削が始まり、その後唐代に隆盛を迎えています。記録では、中国史上、最も美しく、そして残忍だったという則天武后も寄進したと残っており、龍門石窟のメインである高さ17mの廬遮那仏は彼女に似せて彫られたと言われています。

さらに、雲崗石窟と龍門石窟の違いは仏像にもあります。雲崗石窟の仏像はふくよかな顔に大きな耳を持ち、どっしりとした姿で、安心感を与えてくれます。一方、龍門石窟の仏像は全体的にすらっとしていて、首も細く、どこか気品が感じられるのです。

石窟・仏像はどれも同じように見えますが、しかしじっくり見ていくととても興味深く、ツアーが終わる頃にはすっかり中国仏教芸術に魅せられてしまっていました。各石窟や仏像の前でどの観光客もその素晴らしさに圧倒され、目を見開いていたことにも納得。今まであまり見て来なかった日本の仏像も、これからはよく見てみようと思わせてくれました。(越野)


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